東京都知事としての舛添氏の手法も同じだ。猪瀬前知事は行政改革をやろうとして労働組合の反発を受けたが、舛添知事は職員や労組に評判がいい。官僚のいいなりに余りある財源を気前よく使ったからだ。彼の政治手法は、官僚のいやがることはしないで彼らのみこしに乗ることだった。

改革しようとする殿様は「押込」にあう

?このように家臣のいう通りにすることが幕藩体制で「殿様」としてうまくやるコツで、へたに財政改革をしようとすると、家臣が反乱を起こして殿様を座敷牢に幽閉する主君押込と呼ばれる事件が起こった。

?各藩は独自に徴税権も法律も軍隊も持っていたが、平和が続くと軍事費が負担になる。しかしリストラをしようとした殿様は「押込」にあい、何もしない殿様が名君とされた。幕末の長州藩主だった毛利敬親は、重臣からの上奏にすべて「そうせい」と答えたので「そうせい候」と呼ばれた。

?いわば舛添氏は「そうせい候」であり、豪華な「都市外交」は参勤交代のようなものだ。それは藩の財政には負担だが、藩士をもてなして機嫌をとる役には立った。東京都の予算は7兆円もあって今は黒字なので、節約する必要もなかった。

?このように君主を「みこし」としてかつぐボトムアップの意思決定を、丸山眞男は日本型デモクラシーと呼んだ。その典型が天皇制で、ある意味では日本型デモクラシーは1000年以上も続いている。もちろん鎌倉時代や戦国時代など軍事政権の時代もあったが、江戸時代以降は基本的に変わらない。

?これは明治維新で大きく変わったように見えるが、実際には明治憲法では内閣の権限がなく、各官庁が独立の藩のような存在で、彼らが合意しないと内閣は何もできなかった。議会には立法権も予算編成権もなく、政府に「協賛」するだけだった。

?この点は新憲法では改められ、内閣の権限も強まったが、実態は官僚内閣制と呼ばれる縦割りの構造が残った。閣僚に形式的な権限はあるが、実際の政策は事務方が他省庁や「族議員」と合意形成しないと実施できない。

?この点では知事も同じような立場に置かれており、舛添氏は当初は無難にこなしていたが、韓国人学校の問題をきっかけにマスコミの「百姓一揆」が起こり、これが都市外交の浪費に飛び火し、家臣も彼を守れなくなって「押込」にあったというところだろう。(後略)