株式日記と経済展望

パージを繰り越しましたのでホームページからどうぞ。


東京都の千代田区、中央区、港区の都心3区で人口が増加しているという。
職住接近を求める高所得者や、保育所を求める子育て世代が流入している


2017年5月15日 月曜日

調子に乗って悪いヤツらも…危険な都心のマンション建設ラッシュ  4月24日 大前研一

今月5日の日本経済新聞によると、東京都の千代田区、中央区、港区の都心3区で人口が増加しているという。職住接近を求める高所得者や、保育所を求める子育て世代が流入しているのに加え、郊外から利便性を求めて移り住む高齢者も増えていることなどが要因。しかし、待機児童や介護の受け皿は脆弱(ぜいじゃく)なため、近い将来、問題となる公算が大きいという。

 私の住む千代田区の人口も、36年ぶりに6万人を突破した。1999年には3万9000人まで落ち込み、子供も少なくなって近所の学校は統廃合された。ウチの子供たちも巻き込まれ、大変だった。なのに今度は、学校が足りないということになっている。

 臨海部の人口の伸びも著しい。今年1月に人口15万人を突破した中央区もここ数年は日本一人口が増加している市町村として表彰されている。苦労して学校の統廃合を行った後、また学校を作らなければならないという状況で、矢田美英区長は「冗談ではない」と苦い顔をしている。

 3区とも、本音では「(子供を連れて引っ越してくる可能性があるので)マンションはもう売るな。賃貸だけにしろ」と思っているのではないか。たしかに、この3区にはすごい数のマンションが建てられている。値段もかなり強気だ。

 私は散歩がてら、建設中のマンションのモデルルームに行ってみた。モデルルームがあると、中に入りたくなる癖があるのだ。建設現場には「完売御礼」と出ていたが、モデルルームでは営業マンが旗を持って懸命に売り込んでいた。

 「まだ、売れていないのか」と思って価格を聞くと、坪単価700万円だという。それを聞いた途端、「サヨナラ」と出てきた。この価格では、いくらなんでも全部は埋まらないだろう。これまで千代田区の一番いい場所で坪600万円だった。給料も上がっていないのに、坪700万円なんて論外だ。

 自分が住むのならまだいいが、投資用に購入して賃貸に出すとしたら、逆立ちしてもペイしないだろう。やはり400万円から500万円の間ぐらいでないと、投資は成り立たない。

 現在、私の散歩道だけでマンションを40ぐらい建築している。建てれば売れるという時期が数年前にはあったが、調子に乗って建て過ぎているのではないか。マンション業者というのは、何かテンポが1つ遅れるキライがある。

 都心のマンションについては、もうひとつ、こんな問題もある。9日の日経新聞に「立ち退き物件に群がるマンション開発業者」という記事があった。

 マンション建設に適した土地が少なくなり、マンション業者が目をつけたのが、都心の築20年程度の賃貸マンション。丸ごと一棟、立ち退き料を払って借家人に退去してもらって、解体後に更地にし、この間に緩和された容積率を目いっぱい使えばマンション用地として大化けする。

 こういう「立ち退き物件」は、借家人との立ち退き交渉が難航するリスクはあるが、若干、おっかない人が出てくることもある。都心のマンション建設ラッシュで、調子に乗って悪いヤツらも出てきているということか。


(私のコメント)

最近は空家問題などを書いていますが、住宅の都心回帰の流れがずっと続いている。私の周りでも超高層マンションがあちこちに建ち始めていますが、どんな人が住んでいるのか、出入りする人は少なく夜になっても電気が点かない世帯が多い。中低層マンションならばベランダに洗濯物などが干してあって生活を感じさせます。

超高層マンションだとベランダもなく、ガラス張りの窓で塞がれているから住む場所としてはどうなのだろうか。やはり都心のマンションといえども中低層のマンションの方がいいのではないだろうか。おそらく超高層マンションは子供にも影響が出るだろうし、いずれ弊害が表面化するだろう。

バブルの頃は子どもの教育が一番の問題であり、環境のいい郊外の一戸建ての住宅が好まれた。しかしバブルが崩壊して夫婦共稼ぎが当たり前の時代になると、郊外の一戸建て住宅は夫婦共稼ぎには向かない。どうしても都心のマンションに住宅を移さないと通勤ができない。

今まで都心部は、空洞化が進んで小学校の廃校が相次いできた。しかし都心のマンションブームは小学生や中学生の急増につながり小中学校の増設が相次いでいる。それも都心3区に集中している。しかし坪700万という相場はバブル時代を思わせるものであり、10坪33平米で7000万円という事になる。

先日も書いたように、規制で25平米以下のワンルームマンションが出来なくなり、以前建てられた25平米以下のワンルームマンションの需要が急増している。一時は若者の減少でワンルームマンションの需要が減るとみられましたが、低賃金労働者の増加や年金暮らしの高齢者や、外国人留学生などの需要が増えている。

マンション業者は建て続けなければならず、土地の確保も大変だろう。一時はバブル崩壊でマンション用地の手配は楽だったが、最近のマンションブームで用地の確保が大変なようだ。老朽化したマンションを建て替えることで建売を続けているようですが、マンション業者も分譲マンションから賃貸マンションにシフトすべきではないだろうか。

マンションは管理が大切であり、管理しだいでマンションの寿命もかなり変わる。30年足らずで建て替えられるマンションが相次いでいますが、建物の躯体は100年以上は持っても、設備は10年から30年で次々と更新していかなければならない。電気のケーブルですら30年くらいが寿命であり、幹線ケーブルから交換しなければならない。

一番問題なのは水回りの設備ですが、これがいかれると住むことができなくなる。30年でダメになるマンションは水回りの配管が交換不能であり、これが建て替えの原因になっている。外壁塗装も20年も経てば行わなければならず、パッキンや防水シールなども新しくしなければならない。そうしないと水漏れが起きる。

新興国では超高層マンションが相次いで建てられているが、10年も経てば住めないマンションが続出するのではないだろうか。特に超高層マンションはメンテナンスが難しく費用もかかる。普段から積み立てていればいいが、借りて住んでいる人は積立費用を支払いたがらない。

都心にマンションを買おうという人は、管理のしっかりしたところを買うべきであり、定期的な大規模修繕を行わないとマンションは住めなくなる。住めなくなったマンションはスラム化して財産価値もなくなり売りに出しても買う人もいなくなる。ならば立て替えたほうがいいということになるのだろう。




「日本の組織における給与の水準や決め方はガラパゴスであり、
このままではいずれ深刻な人材難に陥るだろう」ということです


2017年5月14日 日曜日

なぜ日本の組織は優秀な若手の給料を2倍に出来ないのか 5月12日 城繁幸

先日、一橋大学のある講師のつぶやきが大きな話題となりました。

「給料格差ツイート、狙ってやった」 日本捨てる若手学者の危機感

要約すると「日本の組織における給与の水準や決め方はガラパゴスであり、このままではいずれ深刻な人材難に陥るだろう」ということです。筆者もまったく同じ危機感を抱いています。今回は有名大学の文系教授ということで話題となりましたが、理工系の教授や官僚、一般企業の若手幹部候補の間では、同様の人材流出は以前からかなり進んでいますから。

なぜ、日本の組織の若手には突然2倍以上のオファーが届くのでしょうか。なぜ、日本の組織はそれに対して有効なカウンターオファーを出さないのでしょうか。重要なことですけど意外と見落とされがちなこの問題について、いい機会なのでまとめておきましょう。

日本型雇用の肝は“信頼感”

日本の一般的なサラリーマンは終身雇用を前提としているので、どうしても単年度あたりの給料は低く抑えられてしまいます。リスクが少ない分、リターンも少ないというわけです。

くわえて、やはり一般的なサラリーマンは「初任給からスタートして少しずつ昇給する」という年功序列賃金がベースとなっており、2,30代は生産性の割に賃金が抑えられる傾向があります。もちろん、40代以降は生産性以上に支払われるので、トータルでみればトントンですが、若い間は安月給の傾向が強いということです。

その結果、日本の組織で働く2〜30代の人材は、終身雇用でも年功序列でもない外資系や新興企業からみると、とても安月給で働かされているように見えるわけです。「若手に2倍のオファーがくる」のは、こうした構造的な事情があるためですね。別に日本企業がケチだからというわけではなくて、給料の支払い方がぜんぜん違うからというのが理由です。実際、終身雇用と年功序列賃金によって、自動車や鉄鋼、商社といった大企業や官庁は優秀な人材を多く囲い込み、戦後の高度成長を実現させたわけです。

ただし、“終身雇用”や“年功序列”というのは契約ではなく単なる慣習にすぎません。「絶対に定年まで雇用が保証される」「40歳以降はポストについて昇給もバッチリさせてもらえる」という組織に対する信頼感がないと、優秀層を囲い込むことは不可能です。今の日本でそういう信頼感が維持できている組織がどれほどあるでしょうか。

追い出し部屋があったり、50歳過ぎてもヒラの社員がいっぱいいる会社で「うちにいれば50歳すぎてから人生ウハウハだぞ?」と言っても説得力ゼロでしょう。形がい化した“慣習”を惰性で続けるのではなく、メリハリの利いた“契約”を単年度で提供できるような仕組みに移行する以外に、日本の組織が人材獲得で勝ち残ることは難しいでしょう。

より具体的に言えば「滅私奉公してくれれば将来出世させますよ」といった曖昧なものではなく、どういう仕事に対して現金でいくら支払うかを明文化して契約することです。と聞くとプロスポーツ選手のような厳しい世界を連想する人もいるかもしれませんが、逆に明文化された契約であれば、そこに滅私奉公やブラック企業的要素の入り込む余地はありません。日本人の働き方そのものを見直す良い機会となるはずです。



(私のコメント)

最近の日本の大企業のスランプ状態が長く続いていますが、それらの企業は創業社長が引退して、サラリーマン社長が経営しているからだろう。ソフトバンクのように創業者の孫社長が先頭に立っている企業は元気だが、サラリーマン社長は名前すらも知らない社長ばかりで、任期が4年程度で回り持ちで交代していく。

社長や経営幹部にまで出世ができればいいが、多くの社員は途中で関連下請け企業などの天下りして定年を迎える。会社が順調ならばこのような組織体制も維持ができるが、シャープや東芝のような事態が起きれば天下りもままならなくなり、リストラされて再就職先を探さなければならない。

会社も終身雇用・年功序列から徐々に能力給制度に切り替わっていくのだろうか。正社員と非正規社員との待遇格差が問題になっていますが、同一労働同一賃金制度に切り替わって行って、必然的に能力給制度に入れ替わっていくのだろう。能力給なら若くても経営幹部に抜擢されることもあるし、能力がなければ減給や格下げなども普通に行われるようになるだろう。

どうしても能力が認められないとなれば、同業他社に転職して役職や給与を上げていくといったことも起きるようになるだろう。東芝のような名門企業と言われていたところは外部からの途中入社が極端に少なく、新しいプロジェクトを立ち上げようとしても適材の人材がいない。必然的に外部からスカウトして採用しなければならない。

しかし日本型の企業では、外部からのスカウト人事は滅多に行われず、いたとしても助っ人外人扱いで外様扱いにされる。外資系企業は人材の出入りが激しくて、生え抜きの社員だけが出世できるわけではない。社長人事も社外取締役などの会議で決まり、生え抜き人事が当たり前の日本企業は、相談役とか名誉会長とか言った形でそのまま会社の経営に関与し続ける。

これでは会社の社長は、前社長の路線から外れたことは出来にくくなり、シャープや東芝のようになってしまう。フランスでは30代の大統領が誕生しましたが、日本では国会も年功序列社会だから30代の総理大臣は不可能に近い。このような人事体系では有能な人材を外部からスカウトすることは無いから、社内の人事も停滞しがちだ。

このような閉鎖された日本企業では、閉ざされた世界だから派閥抗争による出世の明暗が分かれる。派閥人事になると社長に選ばれた派閥の社員が出世して、派閥抗争に敗れた派閥の社員は、飛ばされるか外されていく。これは能力主義とは無縁の社会であり、社内政治に長けた人材が出世するということになる。

今までのような年功序列社会では、若くて有能な社員を安い給料で使うことができましたが、反対に無能な中高年社員を沢山抱え込むことになる。会社には忠誠心が有りサービス残業も厭わぬ働きをするが、成果には結びつかない仕事をする。有能な若手社員を潰したりもする。

そう感じたら、有能な若手社員は起業すべきであり、日本の生産性が低いのはこのような起業割合が低いからではないだろうか。斬新なアイデアがあっても無能な中高年幹部に皆潰されてしまう。ならば自分で起業してそのアイデアを実現すべきなのだ。




北朝鮮に対処するため、ミサイル防衛システムを強化する一環として
陸上型イージス・システムの配備を検討するという報道がありました。


2017年5月13日 土曜日

陸上型イージス:「イージス・アショア」とは  5月1日 海国防衛ジャーナル

北朝鮮の核・ミサイル開発の進行に対処するため、ミサイル防衛システムを強化する一環として陸上型イージス・システムの配備を検討するという報道がありました。

イージス艦はその名の通り、海に浮かんだイージス・システムです。それゆえ、艦載イージスBMDを「イージス・アフロート(Aegis Afloat)」と呼んだりもします。このイージス・システムを陸上で使おうという計画が、現在着々と進められています。陸に揚がったイージスBMDのことを「イージス・アショア(Aegis Ashore)」といいます。これまでにもイージス・アショアについて何度か取り上げてきたので、本稿では過去記事をまとめる形でメモしておこうと思います。

欧州ミサイル計画

イージス・アショアは、欧州に配備される計画のもとで開発が進められてきました。弾道ミサイル防衛はNATOにとって集団安全保障上の "核心的要素"とされ(2010 Strategic Concept)、かねてからNATOは将来イランが大陸間弾道ミサイル(ICBM)を保有することになれば大変な脅威になるとみなし、米国の GBI(地上配備型迎撃ミサイル)配備を検討していました。

しかし、ロシアの強い反発とイランのICBM開発がそれほど進んでいないことを受けて計画を変更。イランが現時点で保有する短距離・準中距離弾道ミサイルなどの喫緊の脅威に対応すべく、2009年に「欧州ミサイル防衛構想(European Phased Adaptive Approach:EPAA)」を発表しました。EPAAは28カ国が参加するNATO首脳会議で合意されたもので、NATOの総意としてミサイル防衛を本格的に運用するものです。段階は3つ(当初は4つでした)で、以下の通りです。


フェイズ3の2基目のイージス・アショア建設も、ポーランドのレジコボにて2016年3月から着工しています。

イージス・アショアとは?

イージス・システムは、海上でさんざん実験を重ねた信頼性の高いシステムということもあり、SPY-1レーダーやC4Iシステム、Mk 41ミサイル垂直発射システム(VLS)、ディスプレイ、電源・水冷装置などアーレイ・バーク級イージス艦の設備がそのまま陸上でも使用されます。

ルーマニアとポーランドのイージス・アショアには、8セルのMk 41VLSが3基配備されるので、24発のSM-3ブロック1B/ブロック2Aを配備予定ということになります。

また、イージス・アショア施設の特徴のひとつが、移設可能("removable")な設計であるという点です。実際にイージス・アショアの設備は、まず初めにニュージャージー州・ムーアズタウンのロッキード・マーチン社敷地内でテストされ、その後にモジュール化されたコンポーネントを分解してハワイのカウアイ島に送り、試験施設(Aegis Ashore Missile Defense Test Complex(AAMDTC))として運用されています。

イージス・アショアの価格は?

ポーランドのイージス・アショアのために2017会計年度で米議会が計上した予算は6億2,140万ドルです。この額は施設建設、ウェポン・システムのアップグレード、SM-3ブロック2Aを含めたものです。これに加えて、2016会計では装備調達費(Aegis Ashore Equipment)として約3千万ドル、施設建設費(Construction of Aegis Ashore)として1億6千900万ドルが計上されているので、計8億2千万ドルほどかかっています。

システムの維持管理や人件費などの差もあるので、一概にコストを試算するのは適切ではありませんが、日本が有償援助調達(FMS)でイージス・アショアを調達するとなると、このあたりが目安になると思われます。

すでに迎撃実験にも成功済

2015年12月9日、イージス・アショアによる標的ミサイルを用いた初の迎撃実験「FTO-02イベント1a」が実施され、成功を収めました。

実験の概要は、以下の通りです。

ハワイ・カウアイ島沖にて、空軍のC-17から準中距離弾道ミサイル標的が発射され、AN/TPY-2レーダー(前方配備モード)がこれを探知、追跡データをC2BMCシステムへ送信。イージス・アショアのイージス・ウェポン・システムがデータを受信し、AN/SPY-1レーダーを用いて標的を追跡、交戦のための火器管制を行い、イージス・ウェポン・システムがSM-3ブロック1Bを発射、標的を直撃し、運動エネルギーによって破壊に成功。

日本に配備すると迎撃範囲はどうなる?

現行のブロック1Aの射程が1,200kmであるのに比べて、ブロック2Aは2,000km。舞鶴や横須賀にいる海上自衛隊のイージス艦が1隻で日本全国をカバーできるようになります

イージス・アショアを2基設置してみます。設置場所は迎撃に適した場所や政治的に問題を招かないなど様々な要因を考慮したアセスメントを経て決定されますが、ここでは仮に新潟の佐渡分屯基地と鹿児島の下甑島に置いてみました。いずれも航空自衛隊の運用するFPS-5レーダーが設置されている場所です。

日本列島を十分にカバーします。もちろんここに海上自衛隊のイージス艦のSM-3ブロック2Aも射手として待ち構えることになります。ブロック2Aの射程を最大化するためには、早期警戒監視レーダーや前方配備レーダーなどのリモートセンシング・ノードがネットワーク化されてローンチ・オン・リモートおよびエンゲージ・オン・リモートが可能になっていること前提ではありますけども。
 
(※佐渡からだと迎撃できないとの指摘があったようなので以下追記します)。

シミュレーションの一つとしてノドンが北朝鮮・元山から東京に向けて発射されたとします。
元山から東京までは約1,150kmです。ノドンのバーンアウト速度を秒速3,234m(マッハ9.5)とします。佐渡分屯基地の山地から発射されるSM-3ブロック2Aのバーンアウト速度を秒速4,410m(マッハ13)とします。SM-3ブロック2Aのブースターの加速度やノドンの加速度など他の要素もだいたい伝えられる諸元のとおりとしておきます。

この場合、ノドン発射から298.5秒後、SM-3ブロック2A発射から175.4秒後に元山から水平に542km、高度358kmの日本海上空・大気圏外で迎撃に成功します。SM-3ブロック2Aはマッハ15を超えるともされているので、実際にはもっと余裕をもって迎撃できるでしょう。ノドンの条件を変えずにSM-3ブロック2Aを青森の車力から発射しても、やはり337秒後に迎撃できました。

これらは文字通り机上の計算ではありますが、イージスBMDはすでに実際の迎撃試験でこれらを成功させてきているので、否定するにはよほどの裏付けが必要となります。

EPAAにおいてイージス・アショアがイランから数千km離れたところに配置してあるのは、それくらい離れた所でしか迎撃できないからではなく、そもそもEPAAは米本土に向かうイランのICBMを迎撃することを最終的な目的(SM-3ブロック2Bによる「フェイズ4」、現在は凍結)として発足したからであり、SM-3ブロック2Aの技術的理由からではありません。

イージス・アショアの対地攻撃能力は?

イージス・アショアのランチャーはタイコンデロガ級やアーレイ・バーク級イージス艦と同じMk 41VLSですので、対地巡航ミサイル「トマホーク」が収まります。イラクやシリアを攻撃したあのトマホークです。北朝鮮に対する敵基地攻撃論が沸き起こっている中でのイージス・アショア導入となれば、当然敵も味方も第三者も日本が対地攻撃能力を保有することに踏み切った、と考えるかもしれません

しかし、同じイージスBMDでもソフトウェアにさまざまなバージョンがあり、"イージス・アショアのベースライン9Eは巡洋艦・駆逐艦とはソフトウェア、火器管制ハードウェアなどが異なり、対地攻撃はできない"(大西洋評議会におけるブライアン・マケオン筆頭国防副次官代行(政策)のインタビュー)とのことです。これは、米国がINF条約を順守する姿勢をロシアに示し、EPAAに反発するロシアを説得するために必要な措置であるようです。

ベースラインの書き換えによって対地攻撃は可能になるでしょうが、日本の場合もルーマニア、ポーランドと同じ仕様で対地攻撃できないイージス・アショアを導入すると思われます。とはいえ騒ぐ勢力はどのサイドにも現れそうです。

迎撃面での拡張性としては、SM-6が発射でき、NIFC-CAが運用できるようになると面白いかな、と思いますが、、、。

◇ ◇ ◇

EPAAのフェイズ3が計画通りに進むと、2018年には海上発射型ブロック2AがイージスBMD5.1システム搭載艦に、陸上発射型がポーランドのイージス・アショアに配備される計画です。海上自衛隊のブロック1Aも2021年にはブロック2Aに更新予定です。

イージス・アショアを含めたEPAA全体の今後の課題としては、レーダーの能力向上、費用問題、大気圏外迎撃体(EKV)の開発ペースといった点がGAO(会計検査院)やDSB(国防科学委員会)などから指摘されています。また、ミサイル防衛局は、ミサイル弾頭とデコイ(おとり)の識別能力が将来の技術的なハードルになるという認識を持っています。ただ、「将来の」と表現したとおり、現在の "ならずもの国家" による弾道ミサイル脅威に対しては十分な能力があるというのが、MDAやGAOの大筋で一致している見解です。


(私のコメント)

北朝鮮問題は、なかなか不可解な面を持っており、一種のヤラセみたいなものを感じます。アメリカも中国もその気になれば北朝鮮をいつでも潰せるのに、潰さずに生かさず殺さずで来ている。狙いとしてはMD開発予算を獲得するためであり、NATO諸国や日本に買わせることで採算を取ろうというのでしょう。

イランや北朝鮮は「悪役」として十分な働きをしていますが、アメリカの本当の敵はロシアであり中国だ。MDは防衛的な兵器であり、非常に高価であり開発費もべらぼうにかかる。日本にとっては核武装するのが一番手っ取り早い防衛手段ですが、一番安上がりな防衛手段になる。北朝鮮が核武装したのも一番安上がりだからだ。

アメリカは北朝鮮の核武装やミサイル開発を放置しているのは、防衛予算獲得のためだ。ミサイル防衛システムは非常に開発に金がかかるものであり、ロシアや中国ではまだ無理だろう。何しろマッハ15で飛ぶミサイルを打ち落とすのだから、非常に優れたレーダーシステムと迎撃用ミサイルを開発しなければならない。その根幹をなすのがコンピューターソフトであり、実験を重ねないとできない。

ミサイルや核弾頭などはそれほど金をかけずに開発ができる。北朝鮮でも出来るくらいだから、多くの国は核武装もミサイル開発も可能だろう。問題はミサイル迎撃システムであり、それが出来るのはアメリカと日本くらいだろう。ロシアには金がなく中国には技術がない。

私自身は防衛評論家ではなく、軍事オタクでもないので最先端の防衛技術についてはよくわからない。中東での戦争がなかなか終わらないのは、ロシアやアメリカにとっての格好の新兵器の開発現場だからであり、報道されないだけでいろんな新兵器が試されている。兵器は実戦で使ってみないことには価値がわからない。

イージス艦にしても、大型の護衛艦程度の知識しかありませんでしたが、ミサイル迎撃システムをまるごと載せたものであり、それをさらに改良して陸上でも使えるようにしたイージス・アショアはTHAADよりも高性能らしい。一隻のイージス艦で日本全土が防衛できるほどのものであり、二ヶ所に設置すれば日本のみならず中国主要部も射程圏内に入るようだ。

中国にしてみれば、北朝鮮が核やミサイルでアメリカを刺激するので、アメリカが本格的な迎撃ミサイルシステムを開発してしまう。これが完成して日本がこれを実戦配備されると中国は打つ手がなくなってしまう。日本は二重三重のミサイル防衛網を配備して、飽和攻撃に対しても飽和防御されれば意味がない。

「株式日記」でも以前にレールガンを紹介しましたが、レールガンはミサイルではなく超高速砲弾であり200キロ先のミサイルを迎撃できる。砲弾だからミサイルに比べれば安価であり数百発の砲弾を短時間に発射できる。これではミサイルの飽和攻撃もお手上げだろう。

ミサイルが単発小銃ならレールガンは機関銃のようなものであり、火薬を使わない電磁砲だから完成すればミサイルよりもコストも安い。プラズマやレーザー兵器はまさに未来の兵器ですが、アメリカは実用化を目指していますが、これが完成すればミサイル攻撃は無用の長物になる。しかし非常に電気を食うので原子力発電でないと対処できない。

韓国へのTHAAD配備を中国が嫌うのは、MDの威力を中国は認識しているからだろう。せっかく韓国や日本に対する中距離ミサイルを開発して配備してきたのに無力化する恐れがある。もしミサイルが全部撃ち落とされて日本から反撃されたら最悪の事態になる。中国は南シナ海の岩礁を埋め立てて軍事基地を建設していますが、最新の軍事技術から見ればあまり意味がないのだろう。防御手段がないからだ。




最も重要なことは「立地」である。ラーメン店に限らず、飲食店を出すにあた
って「どこに店を出すか」は、最初に考えなければいけないポイントのようだ


2017年5月12日 金曜日

“ユダヤ理論”で分析。美味いラーメン店が続かない理由 5月8日 尾藤克之

「ユダヤ人」と聞いてどのような印象を持つだろうか。「非常に頭が良い」「勤勉で真面目である」「金儲けが上手い」「合理主義」など様々なイメージがあるに違いない。では、彼らの仕事や思考ついてどこまで知っているだろうか。

今回は事業家でIT会社を経営する、立川光昭(以下、立川氏)の近著ユダヤから学んだモノの売り方』(秀和システム)を紹介したい。ユダヤ系の商社に勤務した経験のある立川氏がユダヤ人の仕事振りを詳細に分析している点が興味深い。本書はアゴラ出版道場でもお世話になっている、秀和システムの田中氏が編集を担当している。

ラーメン店の開店で重視すべきもの

――今回は、ユダヤ流のマーケティングを使って仕事に結果を出せるように、実践的な面からビジネスを捉えてみたい。みなさんがこれからラーメン店を始めるとする。日本人なら誰もが大好きなラーメン。それだけに競争の激しい世界でもある。一体どうやれば繁盛店をつくることができるだろうか?

「まず、多くの人が『とにかく日本一美味しいラーメンをつくろう!』と、味で勝負しようと考えるはずです。ラーメン店は日本中どこにでもあります。近隣のライバル店より美味しくなければ、お客さんはやって来ないだろう。ならば、他の店よりも断然美味しいラーメンをつくらなければいけないという発想になります。」(立川氏)

「そのために研究を重ね、修行を積み、コツコツと誰もが『美味い!』と唸るような味を追求していきます。そして修行の甲斐あって著名なラーメン研究家の目にとまり店は大繁盛。これではまるで漫画の世界です」(同)

――試行錯誤をしたにもかかわらず、ようやく開店したお店が、うまくいかないというケースは、じつはかなり多い。なぜだろうか。

どうしてそうなるのかというと、世の中のほとんどの人は、他店と比較した上で美味しいラーメン店に行くという人ばかりではないからです。そんなことを言うと、ラーメン店を経営されている方に怒られるかもしれませんが、現代は「マズい!」と思わせるラーメンをつくることの方が難しい時代です。(立川氏)

「製麺工場に連絡をして、『麺をお宅から仕入れますから、レシピを教えてください』といえば、いとも簡単に、美味しいラーメンのつくり方を教えてくれます。原材料もあらゆる種類がそろっていて。秘密にすることのほうが難しいでしょう。」(同)

――味にこだわったところで、お客には微妙な味の違いがわからない。味にこだわり過ぎることは愚の骨頂である。では、繁盛するラーメン店をつくる際に、何が重要になるのだろうか。立川氏は、最も重要なことは「立地」だと答える。ラーメン店に限らず、飲食店を出すにあたって「どこに店を出すか」は、最初に考えなければいけないポイントのようだ。

「『いい場所にお店を出せば必ず儲かる』というわけではありません。ユダヤ流のマーケティングでの考え方は『先にお客さんありき』です。その場所には、どんなお客さんがいるのかを見抜くことが、ラーメン店のように競合がひしめいている業界においては、重要課題になるのです。(立川氏)

学生街で学生が多い場所なのか、オフィス街で制服姿のOLがサッとランチを食べに来るような場所なのか。前者であれば濃厚でボリュームがあり廉価なラーメンが好まれるでしょうし、後者であれば、サッパリしてヘルシー、お店の雰囲気も清潔感のあるラーメン屋が好まれるでしょう。(同)

「ラーメン二郎」は三田だから当たった

――さらに、立川氏は次のように続ける。

「多くのファンを持つラーメン店に、東京は三田の、慶応大学の横で開業した『ラーメン二郎』というお店があります。これは周辺の学生たちの好みとピッタリしていたからです。もし白金の住宅街や、丸の内のオフィス街に1号店を出していたら、現在のような繁盛店になっていたかは疑問です。」(立川氏)

出店する場所によって、『味を変える必要がある』ということになるわけですが、自分のつくりたい味を極めるより、その場所で、食べに来たお客さんにウケる味を徹底的に研究するべきです。(同)

――たいていの人は、住み慣れた町で開業しようとするから失敗する。どうしても味にこだわるのであれば,「その味がウケる場所」を探さなくてはいけないようだ。その地域でどんなお店が長く続き、繁盛しているかを研究する。その作業が必要である。

合理的なユダヤ人がラーメン店をつくるとして、とある地域に行き、『この場所はラーメンではないな』判断したならば、潔く他の飲食店に出店計画を変更してしまうでしょう。別の言い方をすれば、出店したい地域をよく観察した上で、『ここにこういうお店をつくれば確実に売れるだろう』と考えることからはじめるべきなのです。(立川氏)

――飲食店を開業するなら、つくりたい味より、「その場所にどんなお客さんがいるのか」を見極めなくてはいけない。本書は、ユダヤ人の意思決定方法や、仕事振りを知りたい人には参考になるのではないかと思う。



(私のコメント)

貸ビルを経営していると、どのような業種に貸すかは大きな問題になります。貸事務所ならそのような心配はあまりありませんが、店舗に貸すとなると立地条件を考慮しなければなりません。また時代の変化にも大きく影響されます。ネット販売が拡大してくれば物品販売店は大きな影響が出る。

だからネット販売に馴染まないような飲食店や美容院などのようなサービス業が流行るようになるでしょう。気がつけば駅前のビルなどは飲食店と美容院が軒を並べている。コンビニやスーパーなどもネット販売が即日配達されるようになればうかうかとはしていられないだろう。

私などもネット通販で毎日のように買い物をするようになりましたが、普通の店舗では売っていないような物でもネットで探せば安く売っている。あまりに便利すぎて買い過ぎてしまいますが、宅配業者も宅配の増加で人手不足になり、値上げするそうです。

バブルの頃は、駅前では銀行や証券会社が軒を並べていましたが、今では大手流通チェーン店が軒を並べている。しかしいずれ大手流通チェーン店から、物品販売店以外のサービス業が駅前に軒を並べるだろう。不思議でならないのはネット化が進めば、必ずしも大都市に住む必要がなくなり、地方分散化が加速すると見ていましたが、実際には都市部への集中化が進んでいる。

これからは高齢化社会になり、高齢者を対象にした店舗が流行るのかもしれない。立川光昭支流に言えば、ラーメンでも高齢者向けのレトロな味付けのラーメンが流行るのかもしれない。高齢者向けのラーメンといえば海苔や鳴門巻やシナチクなどが入ったものがいいのだろう。

近い将来は東京も高齢化が進み、マンションなどには高齢者が多く住むようになり、車は乗らなくなり鉄道などで移動することがますます多くなる。だから地方都市などもLRTなどを走らせて都市づくりをしなければなりません。若い人も夫婦共稼ぎが多くなり、通勤に便利な都市部に住むようになり、駅前には保育園などが出来るかもしれない。

私のビルには飲食店以外にも、美容室やリラクサロンなどが入っていますが、近所のビルにも美容関係やリラクサロンの店舗がたくさん入っている。こんなに競合して大丈夫かと思うのですが、競合していたほうが好みの店を選びやすく、東京近郊からの客も多くプラスに働くのだろう。

将来的に車社会が本格化すれば、誰もが郊外の広い家に住んで、車で買い物をするようになると予測したが、車社会のアメリカでもネット販売が本格化すると大手流通チェーンが廃業するようになった。このようなショッピングセンターがなくなればアメリカでも都市化は加速して大都市に人口が集中するようになる。

宅配業者も郊外に点在する住宅に配達するよりも、都会のマンションに住む住宅の方が安く効率的に宅配できるようになる。アメリカの超大金持ちは郊外の大邸宅に住むよりも都心のビルの最上階のペントハウスに住むようになり、トランプ大統領もペントハウスに住んでいる。

もし私が大金持ちになったとしても、郊外の大邸宅は何かと不便であり維持費もかかり、ガードマンを雇わなければならない。それに対してペントハウスならエレベーターで部外者をシャットアウトできるから安心だ。バブルの時代は住宅が郊外へ郊外へと広がっていったが、今は都会のマンション回帰が進んでいる。

車社会とか住宅の郊外化は一時的な現象であり、都市化すれば車は駐車場が必要になり都市化に馴染まない。公共的な鉄道があれば都市においては生活ができるから、車は不経済なものになる。車社会なら国道沿いにファミリーレストランができて家族がそこで食事をするのが流行でしたが、フェミレスも閉店するところが多くなった。




おカネがあって、大きな家があって、高級車に乗って、多くの人が
信じる幸福像は、ひょっとして自分自身の幸福ではないかもしれません。


2017年5月11日 木曜日

片岡鶴太郎 「定年後に遊ぶのでは遅すぎる」 5月7日 

仕事をしている今から、定年後のことを考えてみる

立派に子供を育て上げ、無事に定年まで勤め上げた──。一見、幸せなことのように思えるのですが、その一方で「定年後、毎朝起きてからやることがない」と嘆いている中高年がとても多いと聞きます。

地域のコミュニティに溶け込んでいる奥さんのほうは、毎日生き生きとしている。それなのに夫のほうは、退職して仕事の付き合いが絶たれると人間関係がリセットされ、立ち往生してしまうようなのです。

特に趣味もなければ、これといって用事もない。だから妻が外出しようとすると「どこへ行くの??オレもついて行くよ」などと言っては、妻から疎まれる……。

こういうことは、今に始まったことではありません。定年退職後に妻にまとわりつく夫は“濡れ落ち葉族”と称され、だいぶ前から取りざたされてきました。

まだ会社勤めをしている現役の人にしてもそう。週末になれば暇を持て余してしまう自分がいる。平日は仕事で忙しいからいいものの、この先、60代になって定年退職したら、どうなることか。そんな不安が頭をよぎる人も多いようです。

私は1954年生まれの62歳ですが、毎朝、起きるのが楽しみでしょうがありません。やりたいことがあって、毎日時間が足りないと思うくらいです。この歳になってテレビの仕事に恵まれていることもありますが、その仕事を抜きにしても、毎日やりたいことがあって時間が足りないのです。(中略)

■「まねる」ということは「学ぶ」ということ

 私は芸人になる前もなった後も、「自分は絶対にできるんだ」というある種のうぬぼれや思い上がりに近い気持ちで、物まねに取り組んでいたような気がします。

 そのうえで、私は何かを会得していくには「反復練習」しかないと思っています。これはどんな仕事、どんな物事でも同じ。「匠」と呼ばれるような達人でも、最初からうまくできたわけではなかったはずです。毎日毎日繰り返しているうちに、何かが見えてくるようになる。そこに至るまでの早道は反復練習以外にないと思うのです。

 後にのめり込んでいくボクシングを始めたときも、絵や書に取り組んだときも、最初はあこがれの人の所作や作品をまねることから始めて、あとはひたすら反復練習に打ち込みました。

 考えてみれば、これは私がずっとやってきた物まね芸の修練と同じです。

 「まねる」ということは「学ぶ」ということにつながります。先輩や師匠のいいところをまねていくことが、自分が欲する物を手に入れるためのいちばんの手段なのです。

 人間は「オギャー」と生まれて、まずはいちばん近い存在の母親から言葉を学んでいきます。母親が「ママ」といえば、「ママ、ママ」とまねをし、やがて母親の仕草や表情をまねするようになり、成長すると価値観もまねするようになってきます。そうして大人になって外に出て、今度は先輩や師匠をまねるようになる。これが物事の上達の本質だと思うのです。

 そのとき、何を選択するかがとても大事になってきます。ただまねればいいわけではありません。間違ったところ、そんなところをまねしてもしようがないということをまねてしまうと、思っていたこととまるで違う方向に行ってしまうかもしれないからです。

 最終的に自分が何を欲して自分の物にしたいと思うのか。その「肝」のようなものを意識することが大切だと思います。

自分にしか気づかないシード(種)を見つける

 私に最初に絵を描かせてくれた赤い椿の花は、私が気づくずっと前からそこに咲いていました。

 普段は気づかなかったその存在に気づくことができたのは、心が自分の内に入っていたからだと思います。調子がよくてイケイケのときほど、そういうものに目が行かないものです。

 そう考えると、がむしゃらに働く20代、30代を過ぎて、少し余裕が出てくる頃こそチャンスではないでしょうか。それはある意味、神様からのプレゼントだと思うのです。

 30代後半ですべてをなくした孤独感、無力感、焦燥感がなければ、私は椿の存在に気づかなかったでしょう。周りの人間も、いえ私自身でさえ、絵を描くことになるとは思っていませんでした。それがあの日、早朝に気づいた椿の存在で、道が開けたのです。

 「ボクシングの次は絵なんかやって、今度は芸術家気取りかよ」

 と口さがないことを言われたこともあります。でも、何を言われても構いはしません。私の魂の根源的な欲求なのですから、どうしようもないのです。

■まったく不安はない

 そして今の私には、まったく不安はありません。さまざまな人との出会いやたくさんの贈り物によって、魂の歓喜を感じることができているからです。

 おカネがあって、大きな家があって、高級車に乗って、贅沢な料理を口にして、すてきな家族に囲まれてと、多くの人が信じる幸福像は、ひょっとして自分自身の幸福ではないかもしれません。

 そのことに気づかず、自分の魂に背いた生き方をすることで、不安になる。その不安を打ち消そうとすると、ますます不安になる。少なくとも私はそうでした。

 自分の魂が歓喜するシード(種)は、自分の中に必ずあって、自分にしか気づくことはできません。もしも小さなシードの存在に気づいたら、水をやり、声をかけ、慈しんで育ててください。失敗してもめげず、周りの人が何と言おうと振り回されずに。最後に私の大好きな言葉を記します。

 汝の立つところ深く掘れ、そこに必ず泉あり

片岡 鶴太郎



(私のコメント)

片岡鶴太郎は最初はモノマネタレントとしてテレビで売れるようになりましたが、最近では画家としての活躍が目立っています。一芸に秀でた人は多芸に通ずと言いますが、時間の経つもも忘れるような没頭できるような趣味を持つことが大切です。学生時代からそのような趣味がある人は、それが仕事になったりする。

私自身も絵や彫刻などが好きでしたが、芸術家で生活できるとは思ってもいないから、サラリーマンになると学生時代の趣味はしなくなってしまった。せいぜい写真やステレオやパソコンなどに金を使いましたが、趣味の域を出ることはなく、生活が厳しくなるにつれて、それどころではなくなってしまった。

それでもゴールデンウィークには唯一秋葉原に行って来ましたが、ステレオブームやパソコンブームの熱気は秋葉原から消えてしまった。今でもステレオ売り場やパソコンショップがありますが、多くの店舗が店を閉めてしまって、中国製品の雑貨屋さんが賑わっている程度だ。パソコンも自分で組み立てる人はわずかになり、パーツ屋さんもほとんどなくなってしまった。

秋葉原に活気がなくなってしまったのは、ネット通販で買う人が多くなったからパーツ屋さんなどの店舗も閉店してしまった。今では趣味と言えるのは毎日ブログを書く事が趣味になりましたが、これは20年前から始めたことであり、当時はブログはなくてパソコン通信したりホームページをアップする程度だった。

今ではユーチューバーという人が出てきて、ネットに動画を配信して多くのアクセス数を稼ぐことで多額の収入を得る人が出てきています。これも趣味が高じて仕事になった例でもありますが、誰もが稼げるようになるわけではない。ブロガーでも新聞記者を定年退職した人は、仕事がそのままブロガーとして生かせることができる。

画家やイラストレーターにしても、作品をネットに公開することで注目されることもあるようだ。しかしこれらは若い頃からしてきたからできることであり、サラリーマンを定年退職してから始めても遅すぎるのではないだろうか。私が「株式日記」を書き始めたのは1997年からですが、数行書くのがとてもきつかった。

30代や40代なら「まだまだこれから」といった意識で新しいことを始めて夢中になることもあるのでしょうが、50代や60代になると何かを始めるには遅すぎるような気がする。事業も同じであり、定年退職してから事業を始めるのは遅すぎるのであり、私がアパートを建てたのは30代だった。ビルを建てたのも30代ですがやっとローンを払い終えた。

これからは学生時代に趣味だった絵や彫刻などにトライしてみたいと思っていますが、私のビルのロビーや階段の壁などに絵画や彫刻を並べてみたい。観葉植物の栽培にも取り組んでいますが、これらは趣味と実益がセットになっている。自宅のインテリアなども大きく改装してみたいと思っていますが、本格的なAVシアターなども作ってみたい。

60インチ程度の液晶テレビなら20万円以下で買えるので家で映画館並みの映像が楽しめる。オーディオ面でも臨場感のあるシステムを組みたいと思っていますが、どれくらい費用がかかるかわからない。問題はどんなコンテンツを見るかですが、テレビ放送局の番組はどれもつまらない。画質も悪い。4Kが生かせるものではスカパーくらいしかない。

片岡鶴太郎氏も多方面の趣味を活かして時間が足りないそうですが、60代ともなると生活も安定して仕事もしながら絵を書いたりもできる。しかし仕事一筋のサラリーマンが定年退職すると何もすることがなく、会社の人間関係も絶たれてしまう。近所付きあいもほとんどなく、濡れ落ち葉族になってしまう。私の父自身がそうだった。

金の切れ目が縁の切れ目であり、夫が定年退職すると熟年離婚にも結びつきやすい。30代の現役の頃から定年後の準備はしておくべきであり、定年のない仕事にシフトして、自分の趣味が活かせる仕事を持つことだ。しかしそんなことは理想論であり、テレビでも定年後にラーメン屋をするCMがあるが、若い人ですらラーメン屋は体力的にきつい仕事だ。

芸能界でも定年のない仕事ですが、若い頃から続けているから高齢になってもできる仕事であり、定年退職したサラリーマンが俳優や歌手になれることはまずない。サラリーマンという仕事は経理や総務や営業などができても定年退職後にできる仕事ではない。しかし多くのサラリーマンは趣味は特技を持たないまま定年になってしまう。




住宅ローンを借りた人が契約どおりに返済できないというのが
住宅ローン全体の3割近くに上っている。銀行のいちばんの恥部だ。


2017年5月10日 水曜日

住宅ローンの3割近くが延滞  5月9日 荘司雅彦

「2017年 大局を読む」(長谷川慶太郎著 徳間書店)を読んで、対年なショックを受けました。
住宅ローン金利が史上最低の0.5%割れを起こしているにもかかわらず、3割近くが延滞に陥っているというのです。
当該箇所を同書から引用すると以下のようになります。

住宅ローンの未済、つまり住宅ローンを借りた人が契約どおりに返済できないというのが住宅ローン全体の3割近くに上っている。銀行のいちばんの恥部だ。そのことについて住宅業界や銀行業界から広告をもらっているマスコミは目をつぶっている。銀行によって住宅ローンの未済の割合は違うけれども、未成の物件は競売にかけなくてはいけないので、今はどこの裁判所でも競売担当の部署は人でごった返している。

その原因は次のように書かれています。
若い人には非正規社員が増えているし、正規社員でもシャープや東芝の例を見ればあきらかなように大企業といえどもいつリストラされるかわからない。中小企業ならなおさらで、安定した雇用で長期間の住宅ローンを払い続けるという点では厳しい時代になってきた。

長谷川氏には失礼ですが、本当に理由はこれだけなのでしょうか?
同書には「銀行が与信の低い人たちにまで貸し付けるはずがない」という記述がありますが、昨今の銀行の個人融資の増加に鑑みると、まず審査基準が甘くなっているのではないかと私は思います。

他の原因として、貸付後(個人にとっては借り入れ後)の次のような事情が影響しているのではないでしょうか?

まず、実質賃金の低下が原因のひとつではないかと考えます。いつを基準とするかによって異なりますので各自お調べいただきたいのですが、私がざっとグーグル検索した結果、財務省の資料で1991年から2012年の間に「実質賃金の大幅な減少」というPDFが出てきました。

最近の記事では「4年連続実質賃金低下」という記事がヒットしました。アバウトに言ってしまえば、バブル崩壊後実質賃金は下がり続けているのです。

実際、私の大学時代の同級生には「30代に課長になってからずっと年収が減っている」と言う友人が複数人いました。
大手銀行も、バブル崩壊前は「30歳を過ぎれば年収1000万円」と言われていたのに、今では定年(もしくは転籍)まで年収1000万円を死守するのに必死だそうです。昔は、出世しない窓際族でも50歳あたりだと年収1500万円はあったそうです。

もう一つの原因として考えられるのは、教育費の高騰です。
今や、全て国公立で通しても子供一人大学を卒業させるまでに1000万円近くかかるそうです。
私立が入ったり塾や予備校が入れば、教育費はもっと膨らみます。私自身の経験からも、娘一人大学を出すまでに本当にあれやこれやとお金がかかり、社会人になってくれてホッと一息つけました。

いずれにしても、大きな変化の真っ只中で30年先の収入を計算すること自体がナンセンスなのかもしれません。



(私のコメント)

昨日は教育費の高騰の事を書きましたが、住宅ローンもサラリーマンにのしかかる重大な問題だ。バブル崩壊以前は住宅ローンを借りてマイホームを手に入れることが常識だった。私も当然マイホームを買いたいと思ったが、住宅ローンはサラリーマンに仕掛けられた罠だと早くから気がついていた。

住宅ローンを30年返済で借りれば、否が応でも30年間は返済し続けなければならない。それは決して小さな額ではなく生活費を削って返し続けなければならない。定年まで一生が安泰というような保証はどこにもなく、病気や会社の倒産や大不況の到来などこないといった保証もない。さらに子どもの教育費の高騰もある。

世の中がまだみんな貧しかった頃なら、安アパートで一家が生活することも許されたが、高度成長時代が来てみんなが豊かになると、借家暮らしではなく誰もが持ち家を望むようになった。借金をして住宅を買って値上がりして、さらに給料も年々上がっていった時もあった。

私も東京の郊外の新築住宅や中古住宅などを見て回ったが、とても高くて手が出ないような物件ばかりで手が出なかった。しかし周りの同僚の銀行員たちは結婚して借金してマイホームを買っていた。それは30年間会社で働き続けることを義務付けられられた人生でもあった。しかし私は会社勤めに限界を感じていたので、住宅ローンには手を出さなかった。

長谷川慶太郎氏の言う、住宅ローンの3割が延滞しているというのは予想以上の多さですが、競売にかけられる住宅もかなりあるようだ。アメリカのようなノンリコースローンなら、買った住宅を手放せば済むが、日本の場合は手放しても借金が残って一家心中といったことが起きた。日本の場合は土地が値下がりすることは想定されていなかった。

私自身は、大不況が来れば土地も値下がりするだろうと見ていた。90年前後は株価も大暴落しても不動産は実物価格だから値下がりはしないと見る向きもあったが、前代未聞の不動産暴落が起きてしまった。1億円近いニュータウンの住宅も今では空家だらけになって3000万円台で売りに出されている。

都内の一戸建てでも2000万円以下の物件もあり、バブル時代ではとても想像ができなかったことが起きている。団塊の世代も70歳近くになれば亡くなる人も出てきているが、家や土地で相続すると分割ができないので相続争いのもとになったりする。そのまま使う人がいればいいが、郊外の不便な住宅だと子供たちも住まなくなり空家になる。

そのような住宅は売りに出ても買い手がいなかったりする。一体何のために30年間も住宅ローンを支払ったのかわからなくなりますが、気がついたときは手遅れだ。通勤に便利な都内のマンションなら売れば買い手はあるが、バブルの頃は圧倒的に郊外の一戸建てが人気だった。

結果的に私自身はビルを建てて最上階を自宅にしたが、バブル崩壊の波をまともに食らって大変な目にあった。結婚して家族がいたら一家心中か一家離散の悲劇になっていただろう。2000万円以上あった自己資金もほとんど使い果たして、やっと完済して滑り込みセーフになった。

今から30年前の1987年は、まさにバブル真っ盛りの年であり、その頃買った人は無事に完済できた人は7割くらいなのだろうか。バブル崩壊後は一部上場の大会社が次々に潰れて、リストラも激しかった。賃金カットもあっただろうし、まさに住宅ローンの返済は長期であるだけに銀行にとっても慎重さが要求される。

賃金の値下がりが続き、不動産の値下がりが20年も続いてきた。国家財政面から見ればインフレになってもおかしくないのにデフレが続くのは、バブルの頃にインフレを見込んで買ったものが外れてしまったからだ。土地は永久に値上がりするといった神話があった。銀行にしても土地が担保ならば焦げ付く心配もなく貸せた。

しかし土地や建物は買い手があってこそ価値があるが、売れなければ唯の無価値な物になり、税金まで支払わなければならない負動産になる。バブルの頃はとても想像ができなかった事態が起きている。だから不動産を買うときは売る時に買い手がいるかまで考えて買うべきだろう。




学校は学費を上げて生徒を食い物にする。金貸し業者は学費を用意
できない生徒の弱みにつけ込み、高利で金を貸し付けて食い物にする。


2017年5月9日 火曜日

「役に立たない学歴のために、借金を背負わせて搾取する社会」 5月7日 ダークネス

18世紀の半ばからイギリスで始まった産業革命を経て、現代社会が急速に工業化していくと、身体能力よりも知的能力の方が重視されるようになっていった。

そして、現代の高度情報化社会になると、その知能重視はますます先鋭化している。この知能重視の結果として生まれて来ているのが、学歴社会である。

学歴はその人の知的レベルを手っ取り早く計るモノサシになるので、他人に雇われて生きる人にとって学歴は何にも増して重要なものになっていく。

そのため、誰もが社会で生きて行くために学歴を必要としている。一般的に、それは高ければ高いほど良い。一流であることは望ましいが、二流三流であってもないよりはマシだと考えられている。

その歪みとして先進国では大学全入時代が生まれた。日本だけでなく多くの先進国がそうだ。

グローバル社会になるとこの流れは途上国でも広がり、今やケニアやナイジェリアと言ったアフリカ諸国でも学歴社会が到来している。

大学は学生たちの足元を見て学費を値上げして儲けるようになった。値上げしても学生が来るのだから、資本主義の論理で値上げするのは当然の動きだろう。

また、民間の金貸し業者がサメのようにやって来て学生に多額の金を貸し付けて長年に渡って暴利を貪るシステムができあがった。

つまり、今の資本主義は学歴を求める人間を食い物にするシステムになっていこうとしている。

◆ただ金を搾取されるためだけに生きる奴隷と化す

学歴が必要な社会にする。就職と賃金で差別化する。そうすると、いずれは誰もがそれを必要とする社会になる。

そうなると、学校は学費を上げて生徒を食い物にする。金貸し業者は学費を用意できない生徒の弱みにつけ込み、高利で金を貸し付けて食い物にする。

かくして、まだ社会に出ていない若者が搾取される構造ができあがっていく。そこに気付かない若者は、まったく知らない間に資本主義の奴隷と化していく。

この構図を見ると、莫大な借金を背負わされて先進国に売られた途上国の女性たちの悲劇とほとんど何も変わらないことに気付くはずだ。

経済的に豊かになるためには先進国で働くしかない。そのためにブローカーに借金をして先進国に行く。そこで借金を返すためだけに売春ビジネスを強制され搾取されていく。

「経済的に豊かになりたいだろう。そのためには先進国に行く必要がある。金がないなら貸してやろう」と言われて、彼女たちは搾取されるだけの奴隷になった。

今の若者は経済的に豊かになるために大学に行くしかない。そのためにブローカーに借金をして大学に行く。そこで借金を返すために必死で仕事をして搾取されていく。

「経済的に豊かになりたいだろう。そのためには大学に行く必要がある。金がないなら貸してやろう」と言われて、学生たちは搾取されるだけの奴隷になっていく。

どちらも、経済的に豊かになりたいとささやかに望んでいただけなのに、知らない間に社会の闇に取り込まれて莫大な借金を背負わされ、ただ金を搾取されるためだけに生きる資本主義社会の奴隷になる。

高学歴になって絶対に成功するのであればまだしも、今や高学歴などありふれて希少価値すらもなくなり、それは武器にならない。それなのに莫大な借金を背負うのである。

経済的に豊かになりたいという「望み」につけ入れられて、社会の食い物にされる。

それが、弱肉強食の資本主義のやり方だ。現代社会の搾取構造を甘く見てはいけない。それはいつでも人々を搾取の中に放り込む。その恐るべき社会の搾取構造に、あなたは気付いているだろうか。


(私のコメント)

大学というところは学問の墓場であり、やる気のない学生とやる気のない教授のたまり場だ。私が大学に在籍していた頃に感じたことですが、大学の5月のGW明け頃になると教室に来る学生の数はぐっと少なくなり、多くがアルバイトかクラブ活動に行ってしまう。

何しに大学に入ったのかわかりませんが、私が大学に行った頃は学費も年に三十数万円程度であり、アルバイトしながらでも学費は払えた。今は百万円以上はかかるから卒業するまでには500万円はかかる。多くの学生が500万円もの借金を抱えて社会人をスタートさせなければならない。

運良く給料のいい企業に就職できればいいが、できなければ自己破産一直線だ。大学という所は金持ちのドラ息子やドラ娘の行くところであり、勉強したければ大学などに行かずとも毎日図書館に通ってすればいい。私なども大学で講義を聞くのも退屈なので図書館で本を読んでいた。

大学の講義も形ばかりのものであり、試験に出そうなところは講義に出ていれば教えてくれるので、講義に出ていない学生も友達に聞けば試験に出るところがわかる。大学のいいところはゼミなどに参加することで、議論などをして学問への関心を深めるところにある。私なども近代日本政治史のゼミに参加した。

今の若者は、二人に一人は全く本を読まないそうですが、学生時代に読書の習慣がつかなければ一生本を読まないようになるだろう。本を読まなければ底の浅い人間になり、一般常識が身に付かない。社会に出れば一般常識が身についていない人間が多いことに気がつきます。

その多くが本を読まない人間であり、本を読まないから周りの人間に左右されてしまって、一般常識が身に付かない。一般常識があるかどうかは、多くの人と同じ事を言うのではなく、自分の意見が言える人間であり、決して他人と同調する人間ではない。同調する人間は付和雷同という。しかしサラリーマン社会では付和雷同人間が常識的人間とみなされる。

間違っていることは周りがどうであれ間違っていると言える人間が一般常識をわきまえた人間であり、しかしサラリーマン社会では上司が間違っていてもそれに同調するのが常識人間とされる。私は上司にそれは間違っていると言う事があったので、変人扱いされたが、本に書かれていることのほうが正しいと判断したからだ。

大学生になる大きな理由が、みんな行っているから私もということで大学に進学するという人が多いのでしょうが、借金までして行くところかといえば疑問だ。一流大学でない限りは一流企業に就職ができないということもありますが、一流企業なら一生安泰かといえばそうではなくなってきている。

Fラン大学でも学費が安いということはなく、かかる学費は同じくらいであり、それだけ借金のリスクは大きくなる。18歳から22歳ころは一番体力もあり物覚えもいい頃であり、社会人になるには一番いい年頃ですが、大学で遊んでしまって22歳で卒業しては企業社会に馴染めないといった人も出てくる。

昔は、住宅ローンがひとつの罠であり、住宅ローンを借りてしまうと返済し終わるまでは働き続けなければならない。現代では大学奨学金がひとつの罠になって、奨学金を返し終わるまでは嫌でも働き続けなければならない。これは戦前の従軍慰安婦と同じであり、ブローカーから借金をして身を売るのと同じだ。

大学と金貸し業者がつるんで、若者に借金をさせて甘い言葉で罠にかける。そして返せなくなれば自己破産してカードも持てなくなる。これはまさに現代の奴隷制であり、社会の右も左もわからない若者に借金をさせるのは間違いだ。最近では大学の無償化の話も出てきていますが、誰が学費を負担するのだろうか。




グーグルは2015年にスマホ重視を打ち出して2016年からは更に強化しました。
「モバイルフレンドリー」でないサイトは検索結果の順位を大きく下げたのです。


2017年5月8日 月曜日

社会の鏡インターネット検索、20年目にして危機 5月6日 Blog vs. Media 時評

 インターネット検索が登場して20年、便利なだけでなく市民の集合知で社会の姿を映し出す機能が非常に危ぶまれる状況になっています。圧倒的シェア首位のグーグルがスマホ利用者の利便を重視し中身軽視に走るからです。商用のネット検索が使われるようになった1997年から、私は検索を活かしたネット評論を書き続けています。グーグル登場は翌1998年であり、ページ相互のリンク関係を集計して出した検索結果ランクは、これまでマスメディアが独占したニュース価値判断を覆し、市民社会自身による価値付け・重み付けと言えるものでした。ところが、例えばヤフー個人ニュースのアクセス統計でスマートフォンが7割を占めるほどになっており、グーグルは2015年にスマホ重視を打ち出して2016年からは更に強化しました。「モバイルフレンドリー」でないサイトは検索結果の順位を大きく下げたのです。

 私の「インターネットで読み解く!」からのページを、グーグルのモバイルフレンドリーテストに掛けた例です。もともとパソコンで読んでもらうページですから横幅がスマホ画面の2倍くらいの設定になっています。スマホできちんと読むなら横方向にもスクロールしなければなりませんから「このページはモバイルフレンドリーではありません」と駄目が出されました。

 「インターネットで読み解く!」サイトのアクセスにどう響いたか紹介します。グーグルのスマホ重視以前は月に約2万件の検索サイト経由のアクセスがありましたが、今年になると月間数件と激減しています。読まれたページがお気に入りとしてブックマークされる件数が月に2万近かったのに今は4千前後になっています。つい一昨年まで実際に読んで有用と判断されたページが、現在はこれほど使われなくなっています。

 順位を下げる要素はモバイルフレンドリーだけではないとの指摘が《もうGoogle検索ってダメかもね》(ふくゆきブログ)にあります。モバイル対応の他に「サーバーのレスポンスが遅いと順位が下がる」「古い記事は順位が下る」などがあり、「だんだん情報の本質的でない部分が検索の順位に影響してきて、検索しても見つけたい情報がさらに見つかりにくくなってくるかもしれません」と危惧しています。

 この危惧通りの経験を私がまさにしています。以前はニュースサイトで読んでちょっと気になったページがあっても放置して「必要な時に検索で簡単に見つかるよ」と楽観していたものですが、いまや検索しても出て来ません。少しでも気になったらテーマ別のファイルに入れておかないと、検索では巡り会えなくなっています。少し前までは考えられない事態です。

 まとめサイトが妙に優遇されたのも画面の狭いスマホでさくっと読めるからでしょう。これでは検索で本当に見つけたい情報が霧の彼方になってしまいます。例を上げましょう。2013年の第346回「『がん村』放置は必然、圧殺する中国の環境司法」で中国人研究者による科研費研究「中国環境司法の現状に関する考察〜裁判文書を中心に〜」を見つけ出しました。公害無過失責任をうたいつつ中国の環境司法はほとんど司法手続を受け付けない壁を設けて住民の訴えを圧殺していると、実証的に明らかにした労作です。当時でも様々にキーワードを工夫して検索でようやく見つけました。これはスマホには不向きなPDFファイルであり、今のグーグル検索では当時のようには発見できないと思います。

 この5月が私のネット評論活動の満20年です。1997年春には「goo」が商業検索を立ち上げ、「infoseek」が追いかけ、それを利用してインプレス社「INTERNET Watch」で連載を始めました。新聞記者をしていましたが、大きな仕事をしたのに取材記者から外れる左遷にあい、特例として社外活動の権利を得ました。それから色々な検索サイトを利用する中でグーグルとの出会いは鮮烈な印象がありました。ブログ隆盛期には新聞社内の記事審査リポートをブログ検索を使って書き、評判でした。なのに今となってはこれまでのように「主に検索を利用して書いている」とは言えなくなって絶望的な気分にさせられるとは、「グーグルは何を考えてるのだ」と叱責したくなります。

 【5/6追補】Facebookである方がこの記事に対して「Googleは、自身のビジネスのために自らを変化させているのであって、それは、至極当然の事です。Googleに文句を言うのは、筋違いと思います」とおっしゃいました。私の答えは以下です。皆さんはどうお考えでしょうか。
 「受信料とか購読料とかを取っていないグーグルが何をしても自由ですよ。しかし、この20年間、暗黙のうちに築かれてきた市民社会的な了解が崩壊していくのを指摘するのが今回記事の目的です。グーグルが『知らぬこと』とうそぶくなら、それまでの企業と了解するまでです。グーグルにとって本業中の本業で声望が地に墜ちます



(私のコメント)

4月15日も「Googleの検索アルゴリズムでアップデートがあった」と書きましたが、内容はスマホ重視の検索に切り替えたようだ。現在ではインターネットの多くがスマホで見られており、パソコンでネットを見ている人が少数派になったようだ。だからブログやホームページもスマホ用に作り変える必要があるのだろうか。

GOOブログはスマホからも見れるブログですが、文体そのものももっと短く切って、小さな画面でも見やすいように作る必要があるのだろう。スマホは画面が小さいから長い文章が読みづらく、LINEのように文章にもなっていない単語だけの会話も成立するようになった。

そうなるとグーグル検索でもスマホ用に検索アルゴリズムも作り替えられて、スマホに考慮されていないサイトは弾かれるようになった。しかしスマホの一画面で見られる文章は僅かであり、スクロールさせながら見なければならない。スマホを見るのは電車の中とか歩きながらであり、長文を読むのは無理だ。

できればアイパッドでならパソコンと変わらぬ画面が見られるのですが、スマホの画面は文章まで作り変えなければならない。パソコンならスクロールも楽なのですが、スマホだと指でスライスしなければならない。それだけでも億劫だ。電子書籍みたいに画面が切り替わらないものだろうか。しかし電子書籍はページの区切りがあるし検索にもなじまない。

私などはとてもスマホを利用する気にならないのは、長文を超スピードで見なければならず、スマホばかりを利用していれば馬鹿になるだけだ。スティーブ・ジョブスや業界の人は高校生以下にはスマホを使わせないようですが、本も読まずにスマホばかり見ていれば本当にバカになる。

スマホはもともと文字を入力するためには作られておらず、だから最近では音声で検索されるようにできている。だから株式日記をスマホ用に作り替えるのは、音声読み上げファイルにすればいいのだろう。もっともテキストを読み上げるアプリもあるからそれでもいいかもしれない。

しかし音声読み上げでは、スマホではいいかもしれないが、黙読のスピードと比べるとどんなに早口で読み上げても時間がかかる。それに何度も読み直すことが難しい。もともとインターエットは軍用に作られて、最初は学者が意見交換で使われていたものであり、世界中と意見交換ができた。

スマホは所詮は電話機であり、携帯用に作られたものだからネットへの接続は物理的に制約がある。それがグーグルなどの検索に影響を与えて、検索しても見つからなくなるサイトがあれば問題だ。「株式日記」も内容からして最初からグーグルブロックで見つからないサイトになりました。

グーグル検索は、もともとは軍や政府が情報集めのために作られたものなのでしょうが、商用化が本格化すれば金さえ払えば上位に検索されるようなものに作り替えるようになっていくだろう。どんなに有用なサイトでも軍や政府に好ましくないものは弾かれるようになる。「株式日記」のようなテキストブログは真っ先に弾かれる。

ブログなどのサイトは、バックナンバーも充実していないサイトがほとんどであり、半年位で消えていくサイトが多い。「株式日記」は1997年から初めて今年で20年になるが、全部バックナンバーで読めるようにしている。途中でPLALAからFC2に引っ越したがサーバーが満杯になり引っ越さざるを得なくなった。

GOOブログも2005年から併用するようになったが、さらにスマホに特化したサイトを作るのは面倒だ。ツイッターなどはスマホ向けなのでしょうが、140文字しか入力できない。グーグル検索対策としてはコピペが有力な武器となり、ネットはコピペが簡単だから言論弾圧にも有力な対抗手段となります。

「株式日記」の検索なども、コピペがあちこちにされているから本来のオリジナルにたどり着けます。将来「株式日記」が無くなってもコピペが残るだろう。このコピペに対しても著作権違反だと騒ぐ人がいますが、コピペができなければ簡単に言論が弾圧されてしまう。むしろアクセス数よりもどれだけコピペされているかがサイトのバロメーターになる。




日本人のできることは、韓国や中国の人間も無条件で実現可能
と考えている。自らの実力を検証せずに思いこみで行動するのだ。


2017年5月7日 日曜日

韓国、「特異な国民性」競争心強く実現しないと「被害者意識」  5月6日 勝又壽良

韓国人とは、どんな民族特性なのか。牢固とした「反日」姿勢を持ち続けて、絶対に過去を水に流さずに、日本を責め立てている。この裏には、日本への劣等感が渦巻いていることだ。慰安婦問題は、それを典型的に表している。この問題は、70年以上も過去のことである。政治的には解決したはずだが、なお反日姿勢を崩さない。日本に打つ手はない。

当時の日本には、公娼制度が存在した。慰安婦問題はその一つである。韓国では、こうした当時の法制度を無視して、現代の人権感覚で過去を糾弾している。こういう批判は、一回ぐらい認められてもその後、依然として非難し続ける姿は異常に映る。

韓国は、ベトナム戦争で大量の民間人を殺戮したほか、現地女性に沢山の子どもを生ませて放置している国家である。それが、こと日本問題となると、聖人君子へ豹変する。自らの行為には口を拭って「反日」に転じる。毎度のこととはいえ、被害者意識を全開させてくる裏に、韓国の異常な国民性を指摘するほかない。

私が、韓国ウォッチをしながら気付いた点は、韓国国民が他民族より優っているとの自負心を持っていることだ。この点は、中国人と共通である。理由もなく、日本人よりも優秀と思いこんでいる。日本人のできることは、韓国や中国の人間も無条件で実現可能と考えている。自らの実力を検証せずに思いこみで行動するのだ。そして、失敗すれば「被害者意識」に囚われて、日本を恨むという悪循環に落ち込んでいる。

『朝鮮日報』(4月21日付)は、「韓国の高校生、一番になりたい、達成動機はOECDで突出」と題して、次のように伝えた。

私がこの記事に注目したのは、韓国の国民性を解くヒントがあると見たからだ。OECD調査で見ると、韓国の高校生はクラスで一番になりたい比率が82%になっている。OECDで最高の比率である。これだけ激烈は競争意識を持っているが、当然に「一番」は一人しかいない。「敗者」はどうするのか。このやり場のない気持ちは、「被害者意識」に変わって、誰かを恨まずにはいられない精神状態にになる。自己抑制ができないのだ。

「反日意識」は、まさにこのケースが当てはまる。儒教が世界最高の倫理と考えている韓国人は、非儒教の日本は下劣な存在に映っている。その日本が、こともあろうに日韓併合で朝鮮を支配したから許せない。韓国は、こういう恨み=被害者心理から脱け出せないのだ。

(1)「OECDは、世界の15歳(高校生)54万人を対象に、全般的な生活満足度と達成動機、身体活動、親との関係などをアンケート調査した。OECDのアンドレアス・シュライヒャー教育局長は報告書で、『(韓国など)学歴が高くても生活満足度が低い国がある一方で、フィンランド・オランダ・スイスの高校生は学習の結果と生活満足度がよく調和している』と述べた」。

韓国は、学歴が高いものの生活満足度は低いというアンケート結果である。高い学歴を得れば、それにふさわしい幅広い人生観=教養を持つはずである。韓国では、高学歴=出世と誤解している。高学歴=幅広い教養であると納得しないのだ。これは、儒教社会の官僚制度の科挙当時と同じ感覚である。

日本では、戦前の旧制帝国大学を出れば、それなりの社会的な待遇を受けて満足な人生を送れたかも知れない。戦後の大衆化社会では、そうした出世コースは不可能である。だから、高学歴=出世とは理解していないはずである。韓国の認識遅れは、社会構造が前近代的であることを表している。儒教社会そのままである。

(2)「韓国の高校生は、『一番になりたい』という達成動機が非常に強いことも分かった。例えば、『うちのクラスで一番の生徒になりたい』という高校生は82%で、OECD平均(59%)を大きく上回った。同時に、学校の勉強で緊張・心配する割合も他国より高かった。 『学校で悪い成績を取るのが心配だ』という高校生は75%(OECD平均66%)に達した」。

日本では俗に、「点取り虫」と言って、ガリ勉は歓迎されない雰囲気である。理想型は、「文武両道」であり、勉強と運動の両方で卓越していることが高評価を受けてきた。韓国では、「学校で悪い成績を取るのが心配だ」というほどの点取り虫になっている。ソウル大学などの難関4大学の入試では、ほとんど満点を取らないと合格できないという。ガリ勉集団が、韓国のエリート大学生と言えそうだ。こういう名ばかりのエリートが、卒業後に国家のリーダーになるわけだから、韓国の政治や経済が停滞するのは当然であろう。

前述の通り、ソウル大学などの入試ではほとんどが満点だとすれば、この段階では成績に甲乙をつけがたいはずだ。だが、社会へ出ても全員が、出世コースに乗れるものでない。トップは一人だから、残りは全員が「負け組」に分類される。こういう社会が異常であることは言うまでもあるまい。人間の価値は、大学入試のような記憶力の点数で評価されるものでない。こう見ると、韓国社会は近代的な社会として発展できる基盤を持っていないのだ。(後略)



(私のコメント)

韓国は日本の隣国であり、身の回りにも多くの在日韓国人がいる。日本で働いている人も大勢いる。しかし見た目は日本人とほとんど区別はつかないが、考え方が違うために摩擦が生じやすい。どうしても見た目が同じだから日本人と同じように対処して摩擦を生じてしまうのだ。

だから摩擦を生じさせないためには、韓国人や中国人の国民性を理解して対処しないと摩擦は起き続ける。日本の政治家も、日本国民に対するのと同じように謝罪してしまうと許されるどころか更に問題をこじらせてしまう。韓国人や中国人と日本人とでは考え方が異なることは儒教などを通じて説明してきましたが、上下意識が非常に強い。

テレビでK-POP番組を見るのですが、どれもがランキングで歌番組が構成されている。歌でランキングしても意味はないと思うのですが、日本ではこのような歌のランキング番組は消えてしまっている。むしろ今の日本でどんな曲が流行っているのかわからないくらいですが、AKBやジャニーズばかりでは歌番組も廃れるわけだ。

だからランキングにこだわる韓国人と、ランキングに無頓着な日本人との感覚の差が摩擦となって現れる。学歴に関する考え方にしても、韓国人にとっては学歴と成績とはまさに生命線であり、入学試験における受験生の猛烈さは日本では想像ができない。日本ではAO入試で大学入試が骨抜きになり、成績よりも入学生を集めることに大学は夢中になっている。

日本では一流大学を出たからといって社会で成功できることは保証されていない。一流大学を出たような人物が、シャープや東芝などの一流企業を潰している。事業で成功することと学歴とはあまり関係がなく、学生時代の成績ともあまり関連はないようだ。しかし韓国では一流大学を一番で出て、大財閥企業に入ることが成功の鍵になっている。

だから韓国人にとっては勤める企業も一流企業でなければならず、中小企業に対する考え方も日本人とは異なるようだ。職人や技術者に対する評価も日本人と韓国人とは異なる。韓国人は上下意識に非常に敏感であり、1歳でも年が違えば上下関係が成立する。だから彼らにとっては日本が上位であるという事ほど不愉快なことはない。

だからこそ韓国政府は日本の70年以上も前のことまで持ち出して日本を批判する。しかし今の倫理観で当時の事を批判するのは筋違いもいいところですが、それくらい韓国の焦りは強い。本来は日本がどうであろうと韓国人は韓国国内の事を心配すべきだし、日本を批判したところで韓国が良くなるわけではないのだ。

上下意識の強さは、加害者と被害者の意識も強くなることであり、韓国は被害者であり、日本は加害者だから叩けということになる。被害者という立場に立てば倫理的な優位性があるということになる。このような構図を韓国国内でも乱用されて、勝俣氏も、『韓国では、青年政策、教育政策、研究政策、エネルギー政策、産業政策、不動産政策などでも「被害者−加害者」のポピュリズムが必ず登場するという。韓国政治の限界がここにある。』と指摘する。




奥山篤信(著)「キリスト教を世に問う!」 欧米の白人のキリスト教とは、
異教徒や有色人種を人間とみなさないことができる恐ろしい宗教なのだ。


2017年5月6日 土曜日

◆キリスト教を世に問う! 奥山篤信(著)


キリスト教を世に問う、マザー・テレサの仮面を剥ぐ 平成29年3月22日 西村真悟

 畏友の奥山篤信さんが
「キリスト教を世に問う!〜マザー・テレサの仮面を剥ぐ」
という本を近く展転社から刊行する。

奥山篤信さんは、
京都大学工学部と東京大学経済学部を卒業し、
三菱商事に勤務してニューヨークで活躍し、
退職後の六十歳の還暦を過ぎてから、
上智大学大学院神学研究科に入学して神学修士号を取得し、
次いでフランスのパリ・カトリック大学に一年間留学した。
実に、昔の武者修行の如き求道である。
但し、その間、フランスの美味美女への求道も怠りなかった。
これが奥山さんの幅の広さである。

上智大学においても、パリ・カトリック大学においても、
奥山さんの同級生は四十歳ほど年下であった。
そして、カトリック大学での留学を終えて、奥山さんは、
これが実に面白いのだが、
完全なる無神論者となってパリから帰国し、
しばらく美味と美酒を求めてウロウロしながら、
キリスト教の偽善と欺瞞を暴いて、
西洋的なものとキリスト教的なものを
未だに盲目的に尊重し、ありがたがり、素直に受け入れる日本に警告を発し、
日本人は堂々と教育勅語の精神を守れという結語を以て締めくくる本書を執筆したのだ。

一四九二年、コロンブスが西に向かってアメリカ大陸の西インド諸島に到着し、
同時期、バスコ・ダ・ガマが東に向かってインドに到着してから
欧米列強が、東と西から開国した我が国周辺に現れるまで、
約三百五十年を要した。
その三百五十年の間に、アジア・アフリカそして南北アメリカは、
ほぼ、欧州のキリスト教国の植民地となっていた。
キリスト教諸国は、激しい植民地獲得競争をしながら支配圏を拡大したのだ。
一四九四年のトルデシリャス条約と一五二九年のサラゴサ条約は、
スペインとポルトガルが、ローマ教皇の承認の下に、非ヨーロッパ世界、
つまり、アジア、アフリカ、南北アメリカを
如何に分配するかを勝手に取り決めたものである。
そして、その彼らの剥き出しの物欲と支配欲を
カモフラージュして覆い隠す「大義」は、
アジア、アフリカそして南北アメリカの有色人種つまり未開人を
文明化しキリスト教徒にするという
「マニフェスト・デスティニー(神から与えられた摂理)」であった。
このマニフェスト・デスティニーに包まれた白人の剥き出しの物欲連合と
十九世紀の半ばに開国した我が国は遭遇し対峙した。
そして我が国は、二十世紀の半ばまで独立自尊を守るために戦い続けることになった。

この彼らキリスト教徒が掲げるマニフェスト・デスティニー(神から与えられた摂理)、
即ち、キリスト教とは何か、が分からなければ、
我が国は、歴史戦という文明の戦いを克服できないし
自国の歴史と歩みを説明できない。

例えば、
欧米諸国による植民地支配と、
我が国による朝鮮や台湾の支配や戦時中のジャワ支配は如何に違うのか。
実は、この違いは、天と地の違いである。
しかし、キリスト教が分からなければ、我が国は、欧米との違いを弁明できない。
そして、この違いこそ、キリスト教の本質に由来するのだ。

欧米の白人のキリスト教とは、
異教徒や有色人種を人間とみなさないことができる恐ろしい宗教なのだ。
従って、欧米人は現地の植民地の民を人間とみないで支配した。
しかし、日本人は、現地人を同じ日本国民として支配したのだ。
相手を人間とみるか人間とみないか、
これ、天地の違いではないか。
また、
ナチスドイツのユダヤ人虐待と大量殺戮と同じことを
我が国もしたと言われたときに、
キリスト教の偽善と欺瞞を見抜いて隠された本質を知っておれば、
ナチスドイツのユダヤ人虐殺は、
旧約聖書にも記載されており、
キリスト教徒がかつて十字軍や宗教戦争でしていたことであるが、
我が国の精神世界には
そのような神の意志に基づく虐殺はあり得ないと言えるのである。

以上の通り、
我々は、今こそ、キリスト教の本質を知るべきである。
そうでなければ、我々は、
キリスト教を禁教にして日本を救った秀吉の慧眼も、
開国以来のキリスト教列強を相手とした
我が国の苦闘の歩みも実感し理解することもできない。

次に、奥山篤信さんの新書
「キリスト教を世に問う!〜マザー・テレサの仮面を剥ぐ〜」
に掲載される私の推薦の辞を掲載して、諸兄姉の一読を乞う。

 二十世紀初頭の現代史を大観すれば、ユーラシアの西端の欧州を本拠地とする白人が、
数世紀におよぶ植民地獲得競争の果てに、
アジア、アフリカそして南北アメリカのほぼ全域を支配し、
ただ、ユーラシアの東端の極東にある日本のみが、その植民地支配を受けず、
欧州列強と肩を並べて独立自尊を貫くために苦闘していた。
 では、数世紀にわたって膨張し、遂に極東に迫って我が国最大の脅威となった欧州列強が、
剥き出しの物欲と支配欲を覆うために掲げたものは何か。
それは、未開人である有色人種を文明化し、キリスト教徒にするという
「神から与えられた摂理」(マニフェスト・デスティニー)の実現である。
即ち、キリスト教は、
白人が有色人種を支配することを正当化する宗教として機能し世界史を動かしてきたのだ。
 そうであれば、さらに、
アジア・アフリカそして南北アメリカにおける白人の「キリスト教による支配」の実態は何かを問わねばならない。
それは、端的に言って、異教徒や有色人種を、人間とみなさないことができる支配である。
つまり、キリスト教とは異教徒を人間とみなさない恐るべき宗教として数百年にわたって非ヨーロッパ世界に君臨したのである。
白人キリスト教徒は、アジア・アフリカにおいて、
原住民を「家畜」として売買し、キツネやウサギの狩りを楽しむように「原住民」の狩りを楽しむことができた。我々は、オーストラリア政府が、オーストラリアの原住民であるアボリジニを「人間」とみなして人口統計に入れたのは、実に一九七六年(昭和五十一年)の憲法改正以降であったことを記憶すべきである。また、キリスト教徒は、欧州においても千年にわたって、
隣人を「魔女」や「異端」と決めつけて火あぶりにして殺戮(リンチ・テロ)してきた。
再び言うが、このような恐ろしい宗教があろうか。
 以上の通り概観すれば、ローマ帝国が三九二年に、
キリスト教を国教としてローマ帝国の支配圏に広げたことは、
二十世紀に至る人類の大惨害の発端であったと言わざるを得ない。
その上で、我が国が、このキリスト教による惨害を免れたことは、
ひとえに、キリスト教の本質を直ちに見抜いて禁令の措置を執った秀吉の決断によるものであることを思い、秀吉の慧眼に感謝し、この時にこの指導者をもった歴史に誇りをもつべきである。
当時、非欧州世界の指導者は、スペイン・ポルトガルの植民地化の尖兵で工作員であるキリシタン宣教師のもたらす利益に籠絡されてきた。
我が国の「キリシタン大名」もそうである。
しかし、秀吉だけは違ったのだ。
彼はキリシタンの口先の偽善と欺瞞に怒り、我が国の国柄すなわち國體を護った。
もし秀吉がいなければ、今、日本は日本ではない。
 そこで、本書「キリスト教を世に問う!」の著者である奥山篤信氏は、
何のために「世に問う」のか。
それは、まさに十六世紀後半の秀吉の慧眼を、
現在に甦らせて、日本を護るために「世に問う」ているのである。
奥山氏は、京都大学工学部と東京大学経済学部を卒業して、
欧米のキリスト教圏において実業の世界で活躍し、
還暦を過ぎてから上智大学神学部に入学し大学院で神学修士号を得た後、
さらにフランスのパリ・カトリック大学院で一年間学んだ。
六十を過ぎてからのパリにおけるキリスト教神学との格闘、まさに傑物だ。
そして、その格闘の末に、
秀吉と同じように偽善と欺瞞に怒り、警告の書である本書を執筆した。
それ故、本書は、荒々しく旧来からの偽善と欺瞞を誤魔化すキリスト教の美辞麗句に感心して素直に従っている戦後の風潮を殴打する。
そして、最後を、日本人は堂々と教育勅語の精神に戻れと結んでいる。
まことに、本書は、
千数百年のキリスト教文明の偽善と欺瞞を破り、
日本の伝統と文化を甦らせて将来を拓く愛国救国の書碑である。



(私のコメント)

一昨日は、キリスト教がなぜ日本人に受け入れられないかを少し書きましたが、確かにキリストの教えは立派だが、キリスト教徒が南米やアフリカやアジアでしてきたことを見れば、キリスト教がいかに恐ろしい宗教であるかがわかるはずだ。神の名のもとにキリスト教徒たちは原住民を大虐殺してきた。

キリスト教徒はその事だけでも反省すべきなのですが、日本人に対してもキリスト教徒は日本人を奴隷として海外に売りさばいてきた実績がある。その事は秀吉のバテレン追放令にも書かれていることであり、十条に日本人を南蛮に売り渡すことを禁止する条項がある。高山右近などが神社仏閣などを破壊したことも秀吉を怒らせた。

西村真悟氏の記事にもあるように、オーストラリアでは1976年まで原住民のアボリジニを「人間」として人口統計に加えられなかった。まさにキリスト教はカルト宗教よりも恐ろしい宗教であり、異教徒や有色人種は人間としてみなされてこなかった。だからこそアメリカは神の名のもとに広島や長崎に原爆を落とすことができたのだ。

このようなキリスト教の勝手な振る舞いは、批判されるべきであり、キリスト教信者からも批判されるようになりましたが、キリスト教は人種差別を正当化する道具にも使われてきた。このような事をキリスト教信者に問うても仕方のないことであり、歴史的事実は消しようがない。キリスト教は宣教師を世界各地に送り布教に努めてきましたが、宣教師の次に送り込んでくるのは恐ろしい支配者なのだ。

秀吉はその事に気がついたからこそバテレン追放令を発したのでしょうが、スペインやポルトガルなどの軍隊を寄せ付けない武力を持っていたからできたことだ。本来ならばキリシタン弾圧を根拠にスペインやポルトガルは軍隊を送り込んで植民地にしてきた。秀吉や家康がもう一歩、天下統一が遅ければ日本もどうなっていたかわからない。

日本こそが唯一、白人のキリスト教支配に抵抗してきた歴史が有り、大東亜戦争もその歴史の流れの一つと捉えればわかりやすい。大東亜戦争は白人キリスト教国と非白人非キリスト教国との宗教戦争でもあった。その結果日本は戦争には負けてしまいましたが、白人による植民地支配と人種差別の不当性が明らかとなり、歴史の流れは大きく変わった。

戦争に勝ったアメリカですら、60年代には公民権法案が成立して黒人の人権が認められるようになりました。そしてアメリカは近い将来は、非白人が多数派の国家となり、ヨーロッパにも非白人の移民が押し寄せて、それを最近ではグローバル化と言っているようですが、16世紀から今までの反動が一気に押し寄せているような気がする。

キリスト教にしても、今まで行ってきた蛮行があまりにもひどいので、批判を浴びて衰退して行くのではないだろうか。もちろんキリスト教も近代化して洗練されたものとなってはいますが、ヨーロッパの衰退とともにキリスト教も衰退していくのではないだろうか。ヨーロッパの跡を継いだアメリカも非白人国家となり、キリスト教も変化していくのではないだろうか。

「神から与えられた摂理」(マニフェスト・デスティニー)とは、白人による人種差別を正当化するために使われてきた。イエス・キリストはユダヤ人であり中東系の人間であったはずなのですが、映画や絵画などに描かれるイエス・キリストは金髪碧眼の典型的な白人の姿をしている。

戦争に宗教が絡むと凄惨なことになりますが、宗教は個人的なものであり国家的イデオロギーに利用されると暴走してしまう。西村氏が言うように異端裁判とか魔女狩りなど残虐なことになってしまう。近代とは政治と宗教が分離した社会であり、日本は16世紀の戦国時代に分離したが、ヨーロッパでは政治と宗教が分離したのは18世紀のフランス革命以来であり、共和制に変わった。




情緒豊かな詩を書くことと、論理的に物事を考えることは正反対の営みです。
中国韓国は、前近代国家だという諦めの境地で付き合っていくべきでしょう


2017年5月5日 金曜日

なぜ中韓はいつまでも日本のようになれないのか―著者に聞く(石 平) 5月1日 

『論語』は少しも論理的ではない

 ――本書『なぜ中韓はいつまでも日本のようになれないのか』では、日中韓の文明史に対して詳細な考察を加えながら、なぜ日本だけが近代文明を手にすることができたのかを検証しています。近代化に必要な条件として5つが挙げられており、いちばん重要なのは「科学の精神」とされています。その起源はギリシャ哲学にあったという点から本書は始まりますが、西洋史まで跨る非常に長い時間軸のなかで、東アジアの近代化の歴史を紐解いていくところに知的興奮を覚えました。

 石 ありがとうございます。古代の中国にも東アジアに大きな影響を与えた文明、文化があったのは事実です。ただし、ギリシャ文明やその派生である西洋の文明と中国のそれは性質が大いに異なります。第1に、ギリシャ文明は自然に対する探究心があり、第2に、主知主義、理知主義と呼ばれる知的方法論(論理的思考)があります。しかし、中国の思想や考え方にはこの2つが最初から欠如している。そもそも興味がないんです。

 ――興味がない……?

 石 『論語』を読めば、私がいっていることがすぐに理解できるはずです。実際、孔子は自然について何も語っていない。さらに、話が少しも論理的ではない。『論語』を通して読んでみても、「孔子がこういっている」と書いてあるだけで、三段論法のような論理的思考に基づく議論の展開はどこにもありません。

 ――ただ、少なくとも日本では、ギリシャ哲学よりも『論語』のほうがよほど親しまれているといえます。

 石 もちろん、『論語』の1つひとつの言葉には、人生に対する深い洞察があると私も思います。ただ、繰り返しますが、論理的な思考の展開はまったくありません。たとえば『論語』で語られる「仁」という概念は、儒教の核心原理といっていいでしょう。ところが『論語』をいくら読んでみても、「仁」の定義は書いていないんです。孔子以降の儒者も「仁」について定義しなかった。だから結局、「仁」とは何かについて、中国では誰も知らない。このように中国では昔から物事の定義や本質を論理的に説明する習慣がなかった。この伝統はいまでも続いています。たとえば『人民日報』の論説は、現実や論理を無視した妄言ばかりで、ちっとも科学的ではない。あれはただの共産党による宣伝ビラです(笑)。

 ――日本でも『論語』は哲学の書というよりも、修養の書として読まれてきたと思います。しかし、だからこそ、『論語』は長く尊ばれてきたともいえそうです。

 石 日本ではそうだったのでしょう。しかし中国においては違います。『論語』は科挙という難しい試験に合格するための、あくまで暗記用のテキストであり、いわば内容はどうでもよい。さらに科挙に合格するためには、詩を書くのが上手でなければいけなかった。だから、中国の官僚はみんな詩作がうまかった。ところが、情緒豊かな詩を書くことと、論理的に物事を考えることは正反対の営みです。だから中国では、近代化に不可欠な「科学の精神」が育たなかったともいえる。これは中国の科挙の制度を導入した朝鮮でも同じです。
 他方、日本では儒教を学問として輸入したが、科挙の制度は真似しませんでした。そのため、知識人イコール儒学者ではなかった。実際に江戸時代には、数学者もいれば、自然科学者もいるなど、多様な才能が育った。その意味では中国や朝鮮とは異なり、日本では江戸時代後半にはすでに近代化の準備が整っていたともいえます。

なぜ「公」の精神が育たなかったのか

 ――1853年の黒船来航後、西洋近代文明の力を思い知らされた日本は、アジアのなかでいち早く近代化に成功しました。これに比べて中国(清)や朝鮮(李氏朝鮮)の歩みは遅かったといえます。

 石 そうですね。たとえば日本における政治体制の近代化は黒船来航から明治維新(1868年)まで、わずか15年で成し遂げた。一方で中国はアヘン戦争(1840年)から辛亥革命(1911年〜)まで70年以上もかかってしまった。なぜか。中華思想のためです。中国の指導者や知識人は、最後まで西洋文明の優位を認めたくなかった。西洋は野蛮人であるという考えから抜け出せなかったんです。
 しかし、清国は英仏との戦争に相次いで敗れた結果、武器の力は認めざるをえなくなった。そこでドイツから最新鋭の軍艦を購入し、東洋一といわれた北洋艦隊をつくった。ところが、清は戦力ではるかに劣る日本海軍に完敗してしまった。西洋同様に野蛮な国と思っていた「小日本」に敗れたことで、当時の知識人たちはようやく日本風の文明開化の必要性に気付いたんです。

 ――日清戦争後、孫文のほか、多くの知識人が中国から日本に留学しました。

 石 そのとおりで、中国に近代革命を輸出したのは日本だといえるでしょう。
 中華思想に加え、中国の近代化が遅れたもう1つの理由は、「公」の精神の欠如です。高杉晋作がわずかな部下と共に倒幕に向けて決起したのは、上海留学中、清国人が奴隷のように扱われていたのを見て「このままでは日本も西洋列強の植民地にされる」という危機感を抱いたからです。そこには「国のために死ねるなら本望だ」という武士道精神があった。

――清国や李氏朝鮮の末期は、西洋文明を拒否する頑迷な態度もさることながら、派閥争いや汚職の蔓延でむしろ自滅していった感があります。なぜ彼の国では「公」の精神が育たなかったのでしょうか。

 石 日本では、権威を司る天皇と権力を司る武家によって統治構造が二元化されています。また将軍家が全国の土地を直接支配しているわけではなく、地方の統治は藩主に任されており、藩ごとに独自の気風が生まれた。自治の裁量を任された武士たちのあいだには「御家のために」「領民のため」という「公」の精神が自然と育つことになったんです。
 一方で中国や朝鮮は、皇帝・国王が宗教的権威と世俗の権力を併せ持つ「一元化権力構造」であり、官僚たちはその手足にすぎませんでした。なにしろ土地や人民は皇帝様、王様の私有財産なのですから、それに仕える官僚にも「公」の精神が育つわけがありません。むしろ皇帝や国王に倣って、自分たちも私腹を肥やそうとする。少しでもいいポストに就こうとして賄賂が横行する。民からは搾り取るだけ搾り取ろうとする。こうして産業化に不可欠な民間における財産の蓄積が不可能になってしまったんです。

 ――現代の日本にも汚職はあるが、中国や韓国の度合いと比べると、かなりマシだとはいえそうです。ただ、中国や韓国も戦後数10年たってようやく工業化に成功し、その意味では近代化したともいえます。そのわりに民主主義や法治主義が根付かないのは、どうしてなのでしょうか。

 石 誤解してはならないのは、工業化は近代化の1つの要素にすぎないということです。工業化を土台として、その上に法治主義や基本的人権の遵守、報道の自由が根付いて初めて近代化したといえる。その意味でいまの中国や韓国では、近代化に逆行する動きすら出ています。習近平政権は躍起になって汚職を摘発していますが、あのように庶民の喝采を集めて権力基盤を強化することは、昔の皇帝の常套手段でした。韓国でも、贈賄疑惑で朴槿惠大統領が辞任に追い込まれるという「前近代性」を顕わにしています。

 ――そのような国と日本はどのように付き合えばよいでしょうか。

 石 1つは、日米同盟を基軸として防備を固めること。もう1つは、中国大陸とは一定の距離を保ち、深入りしないことです。「小中華」の韓国に対しても同じ事がいえます。2015年末の日韓慰安婦問題の合意は、それを象徴するような失敗です。対日合意によって逆に韓国の世論は硬化し、慰安婦像が乱立するような事態を招いてしまった。
無理に近代国家同士の大人の関係を築こうとすると、必ず裏目に出てしまう。あちらは前近代国家だという諦めの境地で付き合っていくべきでしょう。


(私のコメント)

昨日は、儒教が中国や韓国や日本でどのように受け入れられたかについて書きましたが、日本では儒教は「日本では儒教を学問として輸入したが、科挙の制度は真似しませんでした。そのため、知識人イコール儒学者ではなかった」と石氏は指摘しています。中国では「論語」は科挙に合格するための暗記用のテキストであり、だから中国の官僚は詩作は上手いが、論理性に欠ける人物が官僚になった。

だから中国は、感情に訴えるプロパガンダは非常にうまいが、論理的ではなく矛盾したことを平気でする。中華人民共和国という名前も現実の政権とは真逆であり、民主主義でもなく人権もへったくれもない。中国の官僚は記憶力の権化であり、会談においても一問一答の想定問答集を記憶してくるが、想定外の反論をすると討論が続かなくなる。アドリブがきかないのだ。

石氏は、「中国では昔から物事の定義や本質を論理的に説明する習慣がなかった。この伝統はいまでも続いています。たとえば『人民日報』の論説は、現実や論理を無視した妄言ばかりで、ちっとも科学的ではない。」というのは、論理的な思考法に欠けているということだ。だから現実を直視できず、嘘も100回繰り返せば本当になるといった思考法が蔓延してしまう。

「論語」にしても自然科学に対する考察がなく、論理的な展開がない。「論語」は弟子たちが孔子の発言をまとめたものであり、事実とは何かといった実証論的な考察とは縁がないようだ。「仁」とは何かといった考察がなく、論理的な説明もない。近代化とは超高層ビルを立てて高速道路を作って新幹線を走らせることではない。そんな事は金さえあればどの国でもできる。

工業化は、民主国家でなくても法治国家でなくてもできることは中国が証明してくれた。しかし近代化と工業化とは同じではなく全く別のものだ。むしろ工業化は独裁国家である方が上手く行くかもしれない。しかし工業化社会から情報化社会になるには独裁国家ではなれない。情報を統制することで独裁国家が成り立つからだ。

中国では巨大戦艦を持てば戦争の勝てると思ったが、しかし戦力がはるかに劣る日本軍に負けてしまった。だから中国人も真の近代化に取り組むことで日本に大量の留学生を送り込んできた。その事によって近代化革命が起きましたが、すぐに守旧派によって元に戻ってしまったようだ。

中国や韓国では、王朝時代の政治とは大して変わらず、王朝とは名前を変えたたけの国家主席や大統領が統治していますが、法治国家でも民主国家でもない。国家権力が一元化しており三権分立が機能していない。パク大統領がでもによって大統領から引き摺り下ろされましたが、法的な根拠がはっきりしない。群衆のデモと民主政治とは関係がない。

石氏は、「工業化を土台として、その上に法治主義や基本的人権の遵守、報道の自由が根付いて初めて近代化したといえる。その意味でいまの中国や韓国では、近代化に逆行する動きすら出ています。」と指摘していますが、「あのように庶民の喝采を集めて権力基盤を強化することは、昔の皇帝の常套手段でした。」というように、政治統治手段は昔と変わりがない。

現代の習金平国家主席は、人民服から背広にネクタイをして近代化した人物に見えますが、頭の中身は昔のままだ。外見を真似ることは簡単であり、北京や上海は東京よりも近代的に見える。しかし貧しい農村は放置されたままであり、誰も住まないニュータウンや超高層マンションが放置されている。

情報の公開や人権の尊重や民主主義とは無縁の政治であり、国民の不満が鬱積している。それを反日外交にぶつけてくる。日本に対するネガティブキャンペーンは、国民の不満を外らせるためであり、中国政府や韓国政府の焦りでもあるのだ。経済的に豊かになれば「管子」の教えによれば「衣食足りて礼節を知る」はずだが、中国外交や韓国外交は礼節を知らない。




シャープや東芝にも、やはり「例の法則」が働いて身売りすることになった。
韓国への技術供与は、恩をアダで返す韓国倫理の習性を知らないからだ。


2017年5月4日 木曜日

東芝“半導体” 外資に買われたら・・・ 5月2日 TBS

日本の将来を左右するかもしれない決断が大詰めを迎えています。東芝が深刻な経営難に陥り、半導体事業の売却に追い込まれています。日本を支えた技術が海外勢にのみ込まれていいのでしょうか。

 「一日の半分くらいは使っている」(街の人)

 「スマホとタブレットの併用。無くなったら仕事にならない」(街の人)

 今や世界のおよそ5割の人が使うスマートフォン。そのスマホに欠かせないのが、フラッシュメモリーです。データを保存するための半導体で、最大の特徴は、その容量。人さし指に乗るほど小さいチップには、写真2万枚が記憶できます。東芝のフラッシュメモリーは薄さと保存量で世界の最先端を走っているのです。

 このフラッシュメモリーを1987年に世界で初めて開発した舛岡富士雄さん。東芝の元社員です。当時は、データの保存にはハードディスクが主流でした。より小さく、より安く、より速く。研究を重ねてようやくフラッシュメモリーを誕生させたのです。

 「電話も家庭の電化製品も車も全部(に使われている)」(フラッシュメモリーの開発者 舛岡富士雄さん)

 当時は十分な予算もつかず、重視されていなかったといいますが、スマホなどの登場で2006年にはフラッシュメモリーは東芝の稼ぎ頭に成長しました。しかし、当時、メモリー事業と並んでもう一つの柱ともくろんだ原発事業で巨額損失が発生。その穴埋めをするためにフラッシュメモリー事業は売却に追い込まれました。

 「利益が出ていたフラッシュメモリーを売らなくてはいけないのは寂しい。フラッシュメモリーを売ったら、(東芝に)残るものは何もない」(フラッシュメモリーの開発者 舛岡富士雄さん)

 世界の最先端を走ってきたフラッシュメモリー。その売却で懸念されているのが、技術の流出です。今回、買収に名乗りを上げているのはグーグルやアップルなど世界の超巨大企業。中でも・・・

 「我々は東芝への投資に本気だ」(ホンハイ精密工業 郭台銘会長 3月)

 台湾のホンハイ精密工業は最も高いおよそ3兆円を提示しました。最先端の半導体事業が売りに出されるのは極めて珍しいのです。

 フラッシュメモリーの生産拠点、三重県の四日市工場。工場のあらゆるところに設置された監視カメラ。社員でも立ち入りが制限されるなど厳しいセキュリティーが敷かれています。東芝は、技術流出を防ぐために常に神経をとがらせてきました。

(外資に買収されると工場の雰囲気は?)

 「それは違うのではないか。外国の人もいっぱい来るだろうし。想像できない」(四日市工場で働く人)

 というのも、東芝には苦い記憶があります。今から25年前、東芝は、まだ成長途上だったフラッシュメモリー市場を拡大させようと、技術をサムスンに提供。ところが、それが裏目に出ました。サムスンは巨額な投資で世界シェアトップに成長。日本企業のほとんどが撤退に追い込まれたのです。

 「サムスンがいなければ、日本は大丈夫だった・・・」(フラッシュメモリーの開発者 舛岡富士雄さん)

 技術流出によって世界トップの座を奪われた日本。さらなる流出には、日本政府も懸念を示しています。その背景には安全保障上の問題があるというのです。

 「グローバル的にも大変高い競争力を持っている。情報セキュリティーの観点からも重要性がこれから増してくる」(菅義偉官房長官 3月)

 東芝のフラッシュメモリーは政府の機密情報を管理する場所でも使われていて、特に中国への流出を警戒しているのです。

 「東芝の半導体とシャープの液晶を同等に考えないでほしい。我々はホンハイなんかには絶対に売らない」(東芝幹部)

 さらに、フラッシュメモリー事業は2025年にはおよそ9兆円に成長すると見込まれていて、外資に売却すれば、みすみす巨額の利益を手放すことになるのです。そこで、今、対抗策として浮上しているのが日の丸連合による買収。政府系ファンドの産業革新機構が中心になって日本メーカーに参加を呼びかけています。しかし、資金面で二の足を踏むメーカーもあり、日の丸連合が買収合戦を勝ち抜けるかは不透明です。フラッシュメモリーの“生みの親”は・・・

 「日本に残すのが良いです、個人的には。海外に出すよりも日本に」(フラッシュメモリーの開発者 舛岡富士雄さん)



(私のコメント)

ネット上では「例の法則」と言えば誰でも知っていることですが、韓国や韓国人と関わるとロクな事にならないことを言います。具体的な例を挙げればきりがないのですが、シャープや東芝にも「例の法則」が働いてしまったようだ。なぜそうなってしまうのかは韓国人のものの考え方に問題があるのでしょう。

在日韓国人がなかなか日本社会にとけ込めないのも、韓国人の儒教道徳思想に問題があるからでしょう。儒教そのものには正しく理解すれば問題はありませんが、韓国人によって韓国流に理解されてしまう。キリスト教にしても韓国人流のキリスト教理解がカルト化してしまう。同じことは中国人にも言えます。

仏教や儒教やキリスト教なども、その国の歴史風土によって理解のされ方も異なってくるようですが、日本に入ってきた仏教や儒教やキリスト教も日本風に理解されて定着してきた。山本七平氏はこれを、日本教仏教派とか日本教キリスト派とか言っていました。儒教も日本に合わないものは受け入れられずに日本教儒教派となっている。

キリスト教にしても、先祖に対する考え方が日本人の考え方とは相いれずに日本社会への布教に失敗してしまった。キリスト教には先祖を敬う習慣があまりないようだ。その事が靖国神社に対する否定的なことにも現れている。カトリックでは少し異なるようですが、先祖崇拝に対するキリスト教の反発が理解できない。「死んだものは神になる」といったことをキリスト教は否定する。

このことは一神教と多神教との違いを浮き上がらせるものですが、キリスト教ではイエス・キリストだけが神ですが、日本教では「死んだ者は神になる」のです。だから日本各地には様々な神社が建てられています。明治天皇を祀った明治神宮には毎年数百万人もの人が参拝に訪れます。古代ローマ帝国でも死んだ皇帝は神となって祀られてきた。

古代ローマ帝国が滅んでしまったのも、キリスト教はイエス・キリストのみを神としてきたからであり、キリスト教が国教になってからは皇帝も神として祀られることが無くなり、ローマ皇帝の権威が低下してしまったからだ。だからキリスト教信者からしてみれば、300万人の神が祀られた靖国神社を理解できない。彼らにとってはイエス・キリストだけが神だからだ。

このように国によって宗教も変質をするのもであり、韓国社会に入れば儒教もキリスト教も異なってくるのでしょう。儒教もキリスト教も韓国に入るとカルト化してしまうのはなぜなのだろうか。韓国人には対等という概念がなく、上下関係しかないのはなぜなのだろうか。儒教がカルト化したとしか思えない。

韓国のキリスト教もカルト化してしまって、統一協会(世界基督教統一神霊協会、原理研究会)となっているようですが、細かなことは別の機会にしたいと思います。このように儒教もキリスト教も韓国に入るとカルト化してしまうのは、韓国人の「恨み」の思想があるからでしょう。つまり「現実を恨む文化」があるのです。

だからたとえ恩人であったとしても、恨みの対象であり恩を感ずることはありません。韓国の慰安婦像にしても恨みを銅像にして祀るくらいであり、何でもかんでもが恨み対象になる。だから技術を教えてもらったシャープや東芝に対しても恩ではなく恨みを感じて報復するのです。アメリカに対しても救ってもらった恩よりも恨みの感情を持つのです。

儒教やキリスト教もカルト化してしまうのも、韓国人の「恨みの思想」が入っていくるからであり、韓国人は自然を恨み、神を恨み、歴史を恨み、すべてを恨むのです。日本人は正反対に、死ねば神や仏として祀られるのだから究極的な楽天家であり、自分たちの子孫を信じなければこのような思想は持てるはずがない。だから見た目は日本人と韓国人はよく似ていますが全く異なる精神を持っている。だから在日韓国人は日本社会にとけ込めない。

日本人と一番似ているのは、古代ローマ人たちであり、古代ローマ帝国は多神教であり、様々な神がいた。先祖を敬う点では共通しており、カエサル神殿やアウグストゥス神殿などが建てられた。しかしキリスト教社会になると先祖崇拝の気風はなくなり、偉大な皇帝でも祀られなくなり、古代ローマ帝国は滅んでしまった。現代のイタリア人は古代ローマ人の子孫ではない。

靖国神社は明治に新しく作られた神社ですが、戦死者を祀る神社であり、死者の霊は神として祀られている。しかし天皇陛下も総理大臣も参拝することができないでいる。中国や韓国が反対するからだ。つまり靖国神社に対しても韓国人社会の「恨みの思想」がそうさせているのだ。




ほとんどの区が「25平米以上」になっています。狭小のワンルーム
マンションは新築で供給できなくなり希少性が高まっているのです。


2017年5月3日 水曜日

中古ワンルームは「狭い」「古い」「安い」が人気化する 5月2日 内藤忍

今年の3月に購入した中古ワンルームマンションは京急沿線の大田区にあり、広さは16.8平米、築年数30年近い「3点ユニット」の物件でした。3点ユニットとは、洗面・バス・トイレが1つのユニットにまとまっている古いマンションに多い仕様です。

人気がなく賃貸が付きにくいといわれる3点ユニットですが、東京23区では逆に「お宝ワンルーム」となる可能性があるという話を聞きました。その理由は区が定めるワンルーム規制条例です。東京23区ではすべての区に条例や指導要綱が存在し、ワンルームマンションの最低専有面積はほとんどの区が「25平米以上」になっています。狭小のワンルームマンションは新築で供給できなくなり希少性が高まっているのです。

一方で需要は拡大しています。その理由は3つあります。若年層の低所得化、外国人居住者の増加、そして高齢化です。

賃金が伸びず、家賃にかけるお金を節約したい層にとって、3点ユニットの狭小のワンルームマンションは、利便性が高く、家賃を抑えることができる魅力的な賃貸物件なのです。ワンルームマンションの家賃は東京23区では5万円〜10万円がレンジですが、バス・トイレ別で20平米以上の築浅物件になると、家賃が10万円に近づいていきます。3点ユニットの20平米以下の物件にすれば、6万円前後でも利便性の高い場所に物件が見つかります。

また外国人も比較的裕福な留学生が、ワンルームに住むケースが増えているそうです。さらに、今後は高齢の単身者が利便性を求めて入居することも多くなりそうです。

私が買った物件は家賃が66,000円。管理組合費、修繕積立金、管理会社費用を差し引いた手取りの家賃から計算した利回り(ネット)は5.8%と比較的高いレベルです。法人契約になっているので、当面は空室リスクは低そうです。

経年劣化による家賃の下落や、築年数が古いことによる出口(売却)の難しさなどを懸念していましたが、供給の絞り込みを考慮すると、むしろこのような物件の方が家賃の下落リスクも低く、出口も現金での買い手が見つかりそうです。

築古ワンルーム物件は、中古ワンルーム販売専業の会社が、例えばワンルームダイレクトメールのようなメールマガジンで毎週情報提供していますが、メール配信と同時に問い合わせが入る人気になっています。

本当に新築の狭小ワンルームの建設が東京23区でなくなってしまうと、需給関係から価格が1000万円程度の中古物件の人気が高まりそうです。規制が生んだ市場の「歪み」といえます。数年後にはマーケットから、築古狭小物件がなくなっているかもしれません。



(私のコメント)

一時期ワンルームマンショオンの人気が低迷して、都内でも投げ売り物件もあり、1000万円以下でワンルームマンションが売りに出ていた時期がありました。狭小なワンルームでは借り手がいなくなることが予想されたからですが、都内である限りは狭小なワンルームでも借り手はいるようです。

都合で手放すときでも買い手が付けば問題はない。ワンルームに対する都内の規制条例で25平米以下のワンルームマンションが建てられなくなれば、逆に利用価値が出てきて築古のマンションでも需要が見込めるようになる。8万円の家賃では無理でも6万円の家賃なら借り手が見つかるようになる。

もちろんこれは都内に限られていて駅近でなければ意味がない。考えてみれば、都内の駅近のアパートでも同じことが言える。ワンルームや安アパートは若年層が減ってくれば需要がなくなると見ていましたが、最近では外国からの留学生とか、若者の低所得化とか、高齢化などで低家賃の物件の需要があるようだ。

外国からの留学生にとっては、アルバイトをしながらとなるから都内でないと生活ができない。日本の若年層が減った分を海外の学生が埋めているようなものですが、アメリカに留学するとなるとべらぼうに学費も高く、アルバイトなども制約があるから日本に留学する学生が増えているのだろう。

日本の高齢化で、高齢者のワンルーム需要が増えるとは意外でしたが、年金で生活するには低家賃のアパートやマンションが必要だ。年金生活なら地方の方が物価も安く借家も安い。なのになぜ都内で年金生活をするのでしょうか。やはり利便性が都内の方がいいからだろう。地方は車がないと生活ができない。

昔なら、地方の駅の前には雑貨屋とか食堂があったものですが、今では辺鄙な駅には何もない。車の時代になって国道沿いにはコンビニやファミレスができましたが、駅前の雑貨屋や食堂はみんな閉店してしまった。買い物や食事ができなければ生活ができないから都内の安い借家で生活するようになる。

事情は日本人の学生も外国からの留学生も同じであり、地方では車がなければ生活ができないから大都会に学生は集中する。有名大学も一時は郊外に引っ越す大学がありましたが、再び大学は都内回帰が学生集めで始まっている。地方の衰退は車がなければ生活ができないような環境にしてしまったことが大きな原因だ。

大都会の郊外にできたニュータウンも、高齢化が進んで車も運転ができないようになると家を売って都内のマンションに住むようになる。だから地方は車がなくても生活ができるような町作りをすべきだし、大都会に引っ越さなくても済むように手を打つべきなのだ。しかし実際には地方は何もしていない。

だから、都内の築古のワンルームマンションの需要は落ないし、低家賃の借家の需要は常にある。地方ではコンビニやガソリンスタンドも閉店するところが増えてきて、インフラそのものが崩壊寸前だ。車がなければ生活ができないのにガソリンスタンドまで閉店されたら生活もできなくなる。町営や村営のコンビニとかガソリンスタンドを作らなければ本当に地方は衰退してしまう。

千葉のアパートの近所のコンビニも閉店してしまったし、ガソリンスタンドは数年前に閉店してしまった。駅前の食堂も閉店してしまったし、土地は売り地ばかりになってしまった。東京の近郊でもこうなのだから地方はもっとひどいだろう。だからこそ都内の築古のワンルームマンションが流行る事になる。




太陽光発電投資は儲かるか? 相手は電力会社なので取り
はぐれがなく、20年間は安定収入が有り、節税にも向いている。


2017年5月2日 火曜日

太陽光発電を1年運用してみて、10の思ったこと、考えたこと。 2016年1月2日 ハリオの日記

まだ1年なのでなんともいえませんが、

一応シミュレーション通りといってもいい結果が出ています。

ただ想定シミュレーションに対して78%?136%まで

振れ幅はでかいです。

1年ならしてトントンになっていますが、正直こんなに幅が出るとは

思っていませんでした。

来年はもう少し晴れの日が多くなることを祈るだけです。

また休業補償は前年度の月をベースに考えられるので

来年は7月と12月だけは故障することを避けたい月でもあります。

こうしてみると5月と12月で1日当たりの発電量が倍以上差があるので

夏の日照時間の長い時期にいかに取りこぼさないかが

太陽光発電投資の肝になるんだろうなあと思います。 

3.売電代金もちゃんと振り込まれる?  

購入し、連携までは業者が入ってますが、

連携後引き渡されると私と電力会社とのやり取りになります。

もちろんフォローや相談は業者とできますが。

で、管理を私と業者の間で契約を結ぶことになります。

なので振り込みは毎月電力会社から入金されています。

遅れたこと、間違っていたことはありません。

当たり前といえば当たり前ですが。

インフラを担う電力会社が資金が回らないということも

ないとは思うので安心してます。 

パワコンの電気代が毎月400円弱請求されるのが

帳簿の入力の作業が発生してめんどくさいですが。

4.不動産投資と何が違うの?

これは不動産による、です。不動産の方が高リスク、高リターンだと思います。

私の購入した太陽光は賃貸で、

20年後、機械設備を無料譲渡することで

撤去費用を免除してもらう契約になっています。

国が固定価格で買い取ってくれるのは20年間なので、

そのあとは土地持ちなら続けるという手もありますが、

そうでなければ土地の処理に困る可能性は大です。

20年売電の固定価格の保証というところに価値がついているので、

機械装置自体については価値は数年でほぼなくなるといってもいいでしょう。

不動産に例えるなら 残り20年の借地権物件で

20年一括借上になっているようなイメージでしょうか。

一括借上の不動産は数年ごとに家賃の見直しが入るんで

想定よりうまくまわらない、という声も聞きます。

でもボロアパートリフォームしてウハウハみたいな本も見るので

やり方次第なんでしょう。

太陽光は収益が売電額20年分なんで

上ぶれなんてたかがしれているので(急な気候変動で日照量に大幅な変化がない限り)

どれだけ平穏に施設を稼働させ続けて、20年の期間中取りこぼさないかが肝です。

5.途中でやめたり、売却できたりすることはできるのか。

太陽光はこれからできるかどうかわかりませんが

今の所中古市場が整備されているとはいえる状況ではないので

売却は不動産に比べれば難しく、相対取引になると思います。

努力してみる価値はあるでしょうし可能性もありますが、

当てにしてはいけないと思います。

基本20年売電しきって出口と考えておく方が無難です。

6.トラブルや心配事ってどれくらいあるのか。

1年間であったトラブルを上げていくと、

・パワコンが9台中1台遠隔監視機能に初期不良

発電には影響出なかったが、しばらく遠隔監視が見れず。無償交換。

・政治的要因で認可の見直し等マスコミで騒がれて
太陽光自体のビジネスモデルに暗雲が。

結果問題なく、また一度施工した法律を遡ってひっくり返すことも

できないもんなんだなと、身を以てわかり、

結果いい経験だったとも思います。

ただ周りから大丈夫?みたいなことはいわれましたね? 

・遠隔監視のサーバーエラーにより異常な売電量が表示される

サーバーの再起動等で修復しました。

・僕の区画ではないが、1台パワコンのケーブルが焼け落ちる。
・トラブルにはならなかったが、水はけ用の溝が枯葉や草で詰まりそうになる

事前に管理会社が見つけて処理したので問題なし。

・台風で太陽光パネルが飛びまくっている映像がニュースに

私の発電場所では問題はありませんでしたが、

あわてて現地に目視確認を頼みました。

・落雷で設備が故障した事例が太陽光投資をしていらっしゃる方のブログで報告される。

そういうこともあるのかと、リスクをあらためて感じました。

・梅雨が思ったより長く夏場の発電が伸びきらない。

秋に晴れが続いた時期があり、それで年間はトントンになりました。

 みたいなことがいろいろあり、完全ほったらかし、ってわけにはいきません。

不動産みたいに人間を相手にしていない分、トラブルは粛々と処理すればいいので、

気は楽ですが、その分取りこぼさない前提の投資なので収益機会が削がれることにキリキリします。

7.節税効果ってどうなの?

これは使い方によってはかなり有用です。

2014年はグリーン税制

2015年は生産性設備投資というのを使って一括償却でします。

土地の代金もしくは賃料や、メンテナンス関係は一括で落ちませんが、

パワコンとパネル、その設置費用等をきちんと申請すれば一括償却できます。

2000万とかの損金を作れるのは非常にでかいです。

保険等に比べてかなり有利です。

もちろん借りるなりしてお金はを一度用意しないといけませんが。

あと節税といっても、後々上がってくる売電収入に対して税金がかかってくるので

利益を細切れにして先送りにする感じです。

累進課税のことや、小額の利益ならば節税していくkとは比較的簡単なので

期間限定ですごく収入が上がる場合は相殺させるとすごく有用です。(後略)



(私のコメント)

最近は千葉の方に行くと太陽光発電パネルをよく見かけるようになりました。アパートの近所にも出来ましたが、アパートの投資するよりも収益が安定していて、儲かるような気がします。何よりも土地が安くなり、売り手ばかりで買い手が少ない状況であり、土地を買うまでもなく借りても太陽光発電投資ができる。

先日も地元の不動産屋さんとも話をしたのですが、中古住宅には多少の需要があっても土地だけだと売り手ばかりで買い手がいないそうです。だからアパートの隣の土地を買うとすればどれくらいかを聞いたのですが、思っていたよりも安い相場だった。そこに太陽光発電をして、水は井戸だから自給ができて電気も自給ができるようになる。

東京に大災害が起きて、水も電気も止まれば生活ができなくなり、災害拠点としての千葉のアパートは万が一の保険にもなる。東日本大震災は東京も停電に巻き込まれて、電池すら店頭から消えてしまったくらいであり、家庭用蓄電池なども脚光を浴びた。太陽光発電装置があれば電気も自給できるので、普及が進むようになった。

問題は太陽光発電が儲かるかということですが、初期費用がかかるが安定した収益にはなるようだ。一括償却なども出来るから節税にもなるようだ。近隣にはアパートが沢山出来るようになり、競争も激しくなりますが、太陽光発電は電力会社から収入が入ってくるので安定している。あとは天気次第で発電効率が決まる。

しかし太陽光発電ができる場所は、土地が安く借地代も安いことが条件であり、地方に限られる。もちろん日当たりがよくて南向きの土地であり、耕作放棄地などがあれば土地を安く買うか借りて設置すれば太陽光発電投資ができる。アパートなどよりも辺鄙な所でもいいし、メンテナンスも代行業者がやってくれる。

太陽こパネルも数年前よりも安くなり、発電効率も上がってきており買取価格が下がっても利回り自体は良くなっているようだ。もちろん太陽光電池パネルも年数が経てば効率も落ちてきますが、耐久性も上がってきている。ブログ記事によれば初期投資に2500万円で経費で500万円で3000万円投資して4000万円くらいの利益を想定している。

私のアパートも3000万円くらいの投資で240万円程度の年収でしたが、ブログのシュミレーションを見るとほとんど売上が変わらず、アパート投資よりもこれから始めるなら太陽光発電の方が良さそうだ。アパートは立地条件が厳しいが太陽光発電は辺鄙な処の方が土地代も安く投資効率がいい。

問題は途中で売却ができるかですが、市場ができれば利回りで価格が決定されて売れるようになるのではないだろうか。毎年収益が上がる物件でもあるので空き家問題のように税金ばかりかかって維持費が大変だということもない。収益があるのだから売る必要もないわけであり、使わない空家にしておくよりも家を取り壊して太陽光発電に転用たほうがいいのではないだろうか。




アメリカが平壌を直接叩くという事態になれば、戦闘には参加
できなくても、『拉致被害者保護』の名目で自衛隊を派遣できる。


2017年5月1日 月曜日

「米朝開戦」そのとき日本で起きること【インサイドレポート】 5月1日 週刊現代

ついに始まった、金正恩とトランプの直接対決。本気と脅し、真実とフェイクが錯綜する中で、日本の政府中枢では一向に具体策が決まらない。うかうかしていると、取り返しのつかないことになる。

安倍総理はゴキゲン

北朝鮮情勢が緊迫してきてから、安倍さんはすっかり元気になって、『ツキがまわってきた』と側近たちに話しています。『安保法制も、集団的自衛権も、やっておいてよかっただろ。シナリオ通りだよ』とも(官邸スタッフ)

世界はいま、固唾をのんで極東を見守っている。

一糸乱れぬ兵士たちの行進、大量のミサイル、列をなして進む戦車……金正恩・朝鮮労働党委員長が、満足げな笑みを浮かべて見下ろす一大軍事パレード。中には、これまで確認されていなかった、トレーラーに載った巨大な大陸間弾道ミサイル(ICBM)とおぼしき兵器も見えた。

しかし、安倍総理はゴキゲンだ。

「なんといっても、内閣支持率が急回復しています。森友学園のスキャンダルで下がり始めたときはどうなるかと思いましたが、やっぱり『外患』の効果はすごい。『神風』ならぬ『北風』がまた吹いた、と官邸ではもっぱら言われています」(前出・官邸スタッフ)

2月中旬、3月上旬と、北朝鮮は弾道ミサイルの発射を繰り返してきた。前者は稲田朋美防衛相がしどろもどろな答弁をして国会で野党の集中砲火を浴び、後者は森友スキャンダルと「昭恵夫人問題」に火がつき始めた頃である。

そして、共謀罪法案の審議で国会が紛糾している今回――安倍総理は今まさに、山積みのはずの難題をすべて「北風」で吹き飛ばす、千載一遇のチャンスを手にしたのだ。

ある総理側近も言う。 

「つくづく運の強い人ですよ、安倍総理は。

(4月)18日の昼、ペンス米副大統領と安倍総理が会食しました。その直後、安倍総理、麻生副総理、ペンス氏の3人が『立ち話』した際に、ペンス氏はこう伝えたそうです。

『空母カール・ビンソンを朝鮮半島近海に向かわせると発表したが、現段階でまだ、インドネシア付近にいる。北朝鮮だけでなく、中国を牽制するためだ。もちろん、北に不穏な動きがあれば、すぐさま朝鮮半島に向かう』

つまり、世界中を震撼させた『カール・ビンソン、北朝鮮へ』の報道は陽動作戦だったということ。この情報を得ていたから、その夜も総理は余裕で会食に出かけ、近年珍しいほど真っ赤になるまで飲んで帰ったのです」

安倍総理は、ペンス副大統領との面会の後、官邸と外務省のトップメンバーを集めて指示を出し始めた。

かねて厚い信頼をおく谷内正太郎・国家安全保障局長のほか、杉山晋輔外務事務次官、秋葉剛男外務審議官、森健良外務省北米局長らである。

中でも秋葉氏は、安倍総理がいま最も信頼する外務官僚で、次期次官就任が確実視されている。現時点でも「外務省は事実上の秋葉体制」と言われているほどだ。

在韓邦人を保護せよ

「4月の最終週に、カール・ビンソンが日本近海にやってくる可能性が高い。北朝鮮有事があることを前提にして、準備を進めてくれ」

安倍総理の頬は紅潮し、その口調は、これまでにない緊張を感じさせるものだった、と居合わせた外務省関係者は言う。

「安倍・ペンス会談は2時間近くの長時間に及びましたが、その詳しい中身は総理秘書官にさえ伝わっておらず、極秘です。

ただ、まず総理は腹心の一人で、対北朝鮮政策の現場指揮を事実上担っている谷内局長に、在韓邦人の保護スキーム作成と、それに伴う韓国側との協議を始めるよう指示しました。

有事の時には、朝鮮半島から難民が殺到する可能性も高いですから、国交省は山口県や福岡県にその場合のシミュレーションを復習させています。この両県では、すでに難民対応マニュアルが秘密裏に作られているんです。

官邸は4月25日の朝鮮人民軍創建記念日、いわゆる『建軍節』を最大のヤマ場と見ている。トランプ政権はそれまで中国に猶予を与えて、北朝鮮への石油輸出を止めるといった形で、中国から圧力をかけさせるつもりだと睨んでいるのです」

なかなか空母が姿を現さないことから、トランプ政権の「本気度」を疑う声も出ている。しかし、緊急時の情報はすべて「ブラフ(脅し)」の可能性を疑う必要がある。何の前触れもなく、米軍が平壌を叩くというシナリオも皆無ではない。

また、ここまで大っぴらに軍事的圧力をかけている以上、トランプ政権は手ぶらで帰るわけにもいかない。元米国防次官補で、ハーバード大学教授のジョセフ・ナイ氏はこう指摘する。

「ティラーソン国務長官をはじめ、トランプ政権の幹部は『オバマ政権がとっていた、戦略的忍耐≠フ作戦は失敗だった』と口を揃えています。金正恩の『良心』に期待して、北朝鮮が自分から核兵器開発を断念するだろう、という甘い考え方は捨てたということです。

トランプ大統領は、大統領選の最中もずっと『アメリカを再び強くする』と言い続けていました。

ここで行動を起こさないと、世界に『トランプのアメリカこそ、世界一パワフルで偉大な国だ』と知らしめることはできない。『なんだ、トランプも結局オバマと同じか』と言われることだけは、避けたいのです」

これまでもトランプ大統領は、就任前の世評に反して「言ったことはやる」、有言実行を貫いている。まして「北朝鮮を潰した大統領」として歴史に名を刻めるのなら、攻撃を躊躇わないだろう。

安倍の異様なテンション

もし「米朝開戦」となった場合、安倍総理はどう出るか――。

驚くべきことに官邸では、総理が政治家人生のライフワークと位置付けている、「拉致問題」を利用するプランが検討されているという。自民党議員が言う。

「アメリカが平壌を直接叩くという事態になれば、戦闘には参加できなくても、『拉致被害者保護』の名目で自衛隊を派遣できる。総理にとっては、『拉致被害者を取り戻す!』と堂々と言えるうえに、集団的自衛権発動・自衛隊派遣の実績を作れる絶好のチャンスです。

ここで本当に被害者を保護できれば、それこそ支持率は急上昇でしょう。'02年の小泉(純一郎元総理)電撃訪朝のときのように、一気に20%アップも夢じゃない」

このプランを裏付けるように、稲田朋美防衛相は18日の衆議院安全保障委員会で、有事の際に拉致被害者の救出を行うかどうかと聞かれて、こう答弁資料を読み上げた。

「先般の平和安全法制の整備により、新たに自衛隊による在外邦人等の救出や、警護などの保護措置が実施できるようになったことは、一歩前進だと思います」

北朝鮮崩壊の時が刻一刻と近づく中、航空自衛隊基地に降り立つ拉致被害者たち。日本の地を数十年ぶりに踏む彼らに、笑顔で歩み寄り、握手を求める――安倍総理の脳裏には、こんな自分の姿が浮かんでいるかもしれない。

この「悲願」を現実にしてこそ、総理も野党や世論の批判を押し切って安保法制を通した甲斐があるというものだ。

一方で、北朝鮮問題に関する実務を担う外務省では、テンションが上がる一方の安倍官邸とは対照的に、戸惑いが広がっているという。外務省キャリアがこう漏らす。

「安倍総理からの評価が高い秋葉(外務審議官)さんにとっては、北朝鮮有事も出世のチャンスかもしれませんが、現場はいい迷惑ですよ。具体的な判断は全部官邸とNSCがやって、われわれは下請け同然ですから。

総理の言う『有事を前提に』という点には異論はありません。ただ、官邸のプランの実現可能性については、なかなか厳しい。まず、在韓邦人を助けるためとはいえ、自衛隊の航空機がすんなり朝鮮半島に入れるとは思えません。

向こうの国民には、日本の軍隊に強い抵抗がありますから。結局は港まで自力で来てもらって、船でピストン輸送する程度の対応しかできないでしょう。海上で北のゲリラ的な攻撃を受ける事態にでもなれば、救出活動は完全に麻痺してしまいます」

在韓邦人の数は約6万人。現時点で、帰国などの指示を出している企業はほとんどなく、避難訓練も行われていない。「ぶっつけ本番」で乗り切るしかないのだ。(後略)



(私のコメント)

5月1日2日はGWの中休みですが、国際情勢にはゴールデンウィークは関係がない。このままでは北朝鮮の粘り勝ちということになりますが、米韓合同演習は先月で終わった。オバマ政権ではこれで問題は先送りで済んだのでしょうが、トランプ大統領はこれで終わりにするだろうか。

テレビなどの外交評論家などは何も起きないという観測ですが、マスコミでは戦争になれば大変だという大キャンペーンを張っている。だから話し合えばいいといったご都合主義では問題の先送りであり、オバマ大統領はそれで失敗をした。トランプ大統領もここで引き下がれば支持率がますます下がってピンチになる。

私の見立てでは何かやると見ていますが、あっさりと金正恩の亡命で終わるのではないだろうか。金正恩もトランプ大統領もシナリオ通りに動いている。シナリオといっても幾通りものシナリオが有り、出口を決めなければ戦争は始められない。おそらく北朝鮮内部で何かが起きるだろう。

金正恩は側近の粛清を繰り返しているが、外交的にも孤立しては独裁者もいつかは失脚する。問題はそれがいつ起きるかですが、アメリカと中国との話し合いで決着がついているのだろう。それを知っているのは日本では安部総理だけであり、米中の首脳だけだ。韓国は蚊帳の外だ。

金正恩の失脚を一番待ち望んでいるのは、北朝鮮の軍部であり粛清でビクビクしているから戦争にもならずに、金正恩の亡命で終わるかもしれない。亡命先はおそらくロシアになるだろう。そうなれば安倍総理は北朝鮮に拉致問題の搜索のために自衛隊を北朝鮮に派遣するかもしれない。

北朝鮮は、当面は米中の管理下に置かれて暫定政権ができるのでしょうが、北朝鮮の非核化と同時に在韓米軍の撤退も始まるかもしれない。北朝鮮がおとなしくなれば在韓米軍もいる必要がなくなるからだ。しかし北朝鮮はそのまま存続して韓国との統一はないだろう。中国もアメリカも統一を望んでいないからだ。

安倍総理の話では、『安保法制も、集団的自衛権も、やっておいてよかっただろ。シナリオ通りだよ』という事ですが、まさにシナリオ通りに話が進んでいる。朝鮮半島からの難民問題も検討されていますが、朝鮮半島が戦乱にならない限りは難民は発生しないだろう。

北朝鮮軍のゲリラ的な反撃も予想する人もいますが、ゲリラは支援する国があってこそ成り立つものであり、中国もロシアもゲリラを支援するだろうか。韓国や日本での北朝鮮特殊部隊の攪乱工作も予想されていますが、独裁者が失脚すれば特殊部隊の作戦も行われないだろう。

問題はトランプ大統領のGOサインがいつ出されるかですが、近い将来としか言えない。5月中に行われるかもしれないし、金正恩がいつ亡命を決断するかでも違ってくる。それまでは米中による北朝鮮への圧力は続くだろう。



ホームページへ


inserted by FC2 system