株式日記と経済展望

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年収1200万円の35歳女子が外資を捨てた理由 「体調不良でも無理して
仕事」は、もうやめた外資系企業に勤める独身女性のTさん(35歳)のお話です。


2017年10月15日 日曜日

年収1200万円の35歳女子が外資を捨てた理由 「体調不良でも無理して仕事」は、もうやめた 10月15日 高山一恵

今回、読者の皆さんにぜひお読みいただきたい「マネー相談」は、外資系企業に勤める独身女性のTさん(35歳)のお話です。

35歳という若さにもかかわらず、年収はなんと1200万円という高収入。相談に来た彼女は、「バリキャリ」のイメージとは程遠いかわいらしい女性でした。聞いてみると、幼少の頃は海外に住み、英語力はネイティブ並み。加えてITとマーケティング(市場開拓)のスキルにも長けています。高収入なのもうなずけるほどの彼女は、まさにエリートを絵に描いたような彼女ですが、深刻な悩みがありました。それは「頻繁に頭痛と吐き気が襲ってくるので、今の仕事が続けられないかもしれない」という不安だったのです。

高収入の一方「頭痛と吐き気」で将来が不安に

Tさんは、帰国子女としての語学力やITスキルを生かし、大学卒業後は数社の外資系企業を渡り歩きつつ、順調にキャリアを積み上げてきました。しかし、最近は、頭痛と吐き気が襲ってきて、ひどいときには、数秒も立っていられないというのです。もちろん、時には会社も休まなくてはならないほどで、病院にも行きました。すると、特別に重い病気が発見されたわけではなく、「長時間パソコンに向かっていることが多いので、極度の眼精疲労が影響しているのではないか」と言われたそうです。

医師のアドバイスに従って「パソコンに向かう時間を減らすと、症状は少し和らぐ」らしいのですが、仕事がはかどらず、フラストレーションがたまってしまうことから、一時的には休んでも、結局は長い時間パソコンに向かって仕事をすることに。そうすると、再び強烈な頭痛と吐き気が襲ってきて、仕事どころではないそうです。

こんな生活がかれこれ半年間も続き、最近はパソコンに向かうのが怖くなってしまい、「今の仕事を続けられないのではないか。本当のところ、私は仕事を辞めたいのではないか」と自分を責めるようにもなり、将来への漠然とした不安が募るようになったそうです。

Tさんの状況を聞き、無理をして現在の仕事を続けていくよりも、ほかの選択肢がないか、真剣に考えるほうがよいだろうと思いました。すでにTさんも次の仕事について考えていたようなので、聞いてみました。

するとTさんは、「できれば、あまりパソコンを使わない仕事をしたいですね(笑)。得意な英語を生かして子どもに英語を教えたり、外国人に日本語を教えたりするのもいいかなと思っています」とのことでした。今まで第一線で活躍してきたので、少し休みたいという気持ちもあるようでした。

確かに、語学が得意で好印象のTさんには、向いている仕事だと思いますが、問題は収入が大幅に減りそうなことです。現在Tさんは、1200万円の収入を稼いでいるので、数百万円単位で収入が少なくなってしまうと、生活に大きく影響します。高収入をあきらめるというのは、なかなか思い切れないものです。

Tさんもそれはわかっていて、「今のような生活は送れなくてもいいけど、趣味の旅行を楽しんだり、友達と遊びに行ったりできるくらいの余裕はほしい」とのこと。そこで、以前から気になっていた不動産投資を始めてみたいとのことでした。

「不動産投資で家賃収入」という選択は正しいか

なぜ、Tさんは不動産に興味を持ったのでしょうか。実は、職場には時折、不動産投資会社から営業の電話がかかってきていました。実際、Tさんの職場の同僚の中にも不動産投資をやっている人が多く、体調不良だったTさんは、「家賃収入」というキーワードが気になっていたとのこと。

「家賃収入だけで30万円以上入れば仕事を変えてもそれなりの生活はできる」と考えたTさんですが、ワンルームマンションに投資をしても、ローンを返済した後の月々の手取りは微々たるもの。物件によっては、毎月数万円の持ち出しになるものも多く、これでは不動産投資をする意味がありません。

そこで、Tさんは、毎月数十万円の収入を手にするために、アパートへの投資を考えました。部屋数はさまざまですが、アパートを1棟丸ごと買うか新たに建てようというわけです。とはいえ、アパートへの投資はワンルームマンションを購入して貸すことよりもハードルが高く、融資の金額も億単位になるので、1度失敗してしまうとその物件は大きなお荷物になってしまいます。そこで、Tさん、信頼できる不動産業者さん、私の3人で、資金計画から物件選びまで何度も慎重にミーティングを重ね、アパートへの投資をスタートさせました。

住宅ローンを組み、首都圏のある中古アパートを1棟買って経営に乗り出したのですが、ローン返済後の手取り収入は35万円程度になりました。これでひとまず、転職しても少しはゆとりがある生活を送れると安心したTさんは、転職を決意しました。これからは少しゆっくりしながら子ども向けの英会話教師になろうと、転職活動をするとのことです。現在は、つらい頭痛に襲われることも少なくなり、だいぶ体調が回復してきているようです。(後略)



(私のコメント)

外資系の会社で年収が1200万円とはまことにすごいことですが、高年収であればあるほどストレスが多く健康を害しやすい。ファンドマネージャーも高年収なのですがストレスの塊のような職業であり、数年で退職する人が多い。私が勤めた銀行員時代もストレスが溜まって体を壊して辞めましたが、年収が高ければ退職しても収入の確保だけはしておくべきだ。

年収が高ければそれだけ貯金もしやすいわけであり、8年も勤めていれば3000万円くらいは貯まるはずだ。現在では3000万円あれば、優良なアパート物件を買うことができます。私自身も自己資金と銀行からの借入で3000万円ほどでアパートを建てました。

3000万円投資して250万円ほどの家賃収入だから8%の利回りになりました。だから会社を辞めても、しばらくはぶらぶら出来ましたが、外資系企業に勤める独身女性のTさん(35歳)も同じようなアパート投資を初めて、英語教師に転職するようです。

私も銀行員を辞めた時に、周りからはこれだけの高収入なのに何故辞めたのかとよく言われましたが、外資系企業や金融業などにかかるストレスの多さが分からないのでしょう。最近では過労死や過労死自殺が話題になりましたが、高年収の職場はストレスが多く、転職の事なども考えておくべきでしょう。

最近ではブラック企業が話題になりますが、低賃金でこき使っている職業は淘汰されていくでしょう。現実にそのような現象が起きています。若い時は体力や気力もあり仕事を覚えるのも早いから無理がききますが、若い時こそ金を貯めて投資をしてセカンドビジネスで生活できるくらいの収入を得るべきでしょう。

Tさんは英語力もITスキルもマーケティング能力もあるから1200万円もの高収入女性ですが、なんの能力もないのに独立起業しても失敗するのは目に見えている。資金力も乏しいから続けられずに失敗する。「株式日記」ではサラリーマンからの独立起業を何度も勧めていますが、「高い能力があれば」の話だ。

能力もなく金もなければ独立起業しても失敗するにきまっている。農家や商店から見ればサラリーマンは気楽な職業に見えるのでしょうが、息子や娘には継がせられないという人が多い。農家や商店でも能力があれば時代にあった形に変えれば十分な収入も得られるはずだ。どうして大学を出してサラリーマンにさせたがるのでしょうか。

確かに高度成長時代はサラリーマンは良い職業だった。しかし低成長になればサラリーマンはブラック企業にこき使われて過労死や過労死自殺まで追い込まれる。NHKや電通や東芝や神戸製鋼や商工中金など企業内不正がまかり通ってしまって、モラルも低下してしまった。若者の非婚化や少子化は非正規化低賃金の影響だろう。

Tさんのような独身高収入女性は例外的なのでしょうが、外資系だからいつ首になるかわからない。だからこそ独立自営できるような生活設計が必要だった。35歳すぎれば体力的にも続けられなくなり、1200万円もの年収は得られなくなるだろう。結婚や出産や子育ても、自営収入があれば時間的な余裕も出来るでしょう。




大学では一流企業サラリーマンこそ「勝ち組」と教えているが、中卒高卒でも定年
退職のない自営業こそ「勝ち組」なのだ。定年退職したサラリーマンの哀れな姿


2017年10月14日 土曜日

「一人ぼっち」で過ごす定年退職者の哀愁、午前中の図書館、カフェ、ジム… 10月11日 楠木新

定年後、人はどこで何をするのか。新たな仕事や、これといって趣味を持たない人は、どうやって時間をやり過ごすのか。フィールドワークを通して、定年退職者が多く集う場所がわかった。そして、そこにいる多くの人がみな「一人ぼっち」だった。(ビジネス書作家 楠木 新)

図書館で目撃した小競り合い

 私は2年半前に、60歳で定年退職してからどこの組織にも属さずに過ごしてきた、「毎日が日曜日」状態である。

 『定年後』(中公新書刊)を執筆する前に、定年退職者は普段はどのように活動しているのだろうかと考えた。しかし資料などでは実態がわかるものはなかったので自分で動き始めた。

 まずは地元の図書館を訪れた。朝10時の開館前に行くとすでに7〜8人の男性が玄関前にある椅子に座って待っていた。60代、70代とおぼしき男性ばかりだった。もちろん定年退職者ばかりとは言えないが、60代と思われる男性たちは私の目には元会社員であるように見えた。

 10時になって扉が開くと、全員が新聞コーナーに行く。全国紙とスポーツ新聞を合わせると人数分はあるので各自一紙ずつ手に持って読み始める。

 一人の男性が経済新聞を長く読んでいたので、待っていた人が「もう少し早く読んでくれないか」と話しかけると、男性は株価のページを読んでいた手をとめて「順番だから仕方がないだろう」と言い返して軽い小競り合いになった。館内に一瞬緊張感が走ったがそのまま収まった。

 地元の図書館と比較する意味で、日比谷図書文化館の開館時間前にも行ってみた。10時の開館時間には27人が列をなしていたが、定年退職者と思しき人は半数もいなかった。

 開館と同時に新聞コーナーに行ったのは6人だけだった。受験や資格試験の勉強のために来ている人が多くて、間もなくすると、眺めのよい窓際の席はテキストをひろげる若い人でいっぱいになった。同じ図書館でも場所によって風景は異なるのである。

 一方、ハローワークの利用者は高齢者が多いわけではない。定年退職者と思しき人はパソコン画面を少し見てすぐに帰る人が目に付く。失業保険の受給要件を満たすために来ている人が多いそうだ。

 平日の大型ショッピングセンターでは高齢の男性の姿が目立つ。

休日とは違って広々としたスペースは閑散としており、午前中にゆったりとしたソファーに座っているのはほとんどが高齢の男性だ。住宅地にある喫茶店にも定年退職したと思われる人は少なくない。子どもたちを連れたママ友のグループとは違って、一人で新聞や週刊誌を読んでいる人が多い。

スポーツクラブは大繁盛

 住宅地に近いターミナル駅にあるスポーツクラブは、開館の9時には長い行列ができる。男性、女性を問わず高齢者が並ぶ姿は壮観でもある。私もこのクラブに加入して通ってみた。すると、午前中は見事なまでに高齢者が中心である。

 私は定年退職するまでは、スポーツクラブは勤務時間後に汗を流す場所かと思っていたが、認識を改めさせられた。

 昼間であれば何回使っても定額のコースがあり、朝から夕刻近くまでクラブで過ごしている人もいる。サウナや浴場もあるので「昼食を持ち込めば本当にゆっくり過ごせる」という男性定年退職者もいたのである。

 以前、利用者の意見を掲示するボードに、「スポーツクラブだと思って入会したのに、ここは養老院なのか」と批判する意見が書かれた用紙が貼られていたことがあった。それに対して、クラブ側は「この施設はいろいろな世代の人に利用してもらうものです」と回答をしていたのを覚えている。こんな意見はわざわざオープンにしなくても良いと思ったが、批判する意見を書いた女性の気持ちは分からないでもなかった。 (中略)

 カルチャースクールの講座にも行ってみたが、女性はグループでワイワイ楽しそうにおしゃべりをしているが、男性はやはり一人でいる人が多かった。

 もちろん一人ぼっちであることに問題があるというわけではない。一人でゆったりと時間を過ごすことが心地よい人もいるであろう。人と群れることを好まない人もいるに違いない。どちらかと言えば、私も一人が好きなのである。

 ただ、定年退職者を取材した時に、私の問いに正面から答えてくれた人たちのなかには、「毎日やることがなくて困っている」、「一番自由な今が一番しんどい」、「家で居場所がない」、「暇になったのに焦る」、「嫌な上司もいないよりはマシ」などと語られることがある。なかには「このままの毎日が続くと思うと、自分の人生は何だったのかと思うときがある」とまで発言した人もいたのである。

 彼らの発言と住宅地や都心をまわった取材を重ね合わせてみると、在職中は組織内での上司や同僚、部下との濃密な人間関係を築いているにもかかわらず、退職後はその関係が切れてしまい、自分の居場所が見つからなくなっている、ということだ。

 今まで長い間、企業社会のなかで朝から晩まで共同作業をやってきた人たちが、いきなり一人ぼっちになっては、力も意欲も湧かないのは当然であろう。

 定年退職者には、まず何よりも、“他のメンバーのために”何かをやらなければならない義務や役割、すなわち、人との「関係をつくる」作業が求められるのではないか。



(私のコメント)

私の父は、一部上場企業のサラリーマンであった。そしてサラリーマンが定年退職したあとの哀れな姿を見ている。まさに家庭でぶらぶらしている父親はまさに粗大ゴミであり、妻や子からも冷たい目で見られるようになり、家庭に居場所がない。どこかで働けばと言われても手に職がないから働けない。

金には不自由しなくても、毎日ゴルフばかりしているわけにもいかない。会社の社長が退職しても「顧問」とか「相談役」などといった形で残りたがるのは、家でぶらぶらしていても何もする事がないからだ。本当に有能なサラリーマンなら、途中で独立起業を目指すべきであり、このことは「株式日記」でも何度も書いてきた。

健康に恵まれれば、定年退職してからの20年から30年をどのように過ごしたらいいのだろうか。女性なら専業主婦には定年がないから、そのような事を考える事もないのでしょうが、男の場合は家に居てもする事がない。だから図書館などに行って新聞を読むとか、喫茶店で時間を潰すしかなくなる。

私自身も、銀行を退職したあと数年ほどぶらぶらしていましたが、喫茶店や図書館で時間を潰していることが多かった。アパートを経営していたので失業者ではなかった。だから電気学校に行って電気工事士の資格を取り、ビル管理の会社に再就職しましたが、やはりサラリーマン稼業は私にはむいていなかったので、ビルを建てて不動産家業に専念することにした。

なぜそうなったのかといえば、やはり父親の定年退職した姿を見ているからだろう。30代40代なら体力気力もあるが、60歳すぎれば体力気力もなくなって再就職も難しくなる。働く場所がなくなった男は正に粗大ゴミであり、社会との繋がりも無くなってしまう。

何らかの仕事をしていれば、いやでも社会とのつながりができますが、定年退職してしまうと会社との繋がりもぷっつりと切れてしまう。定年退職したあとに会社に行っても後輩からは煙たがられるだけであり、上司や同僚もいない。何とか再就職しても、職業として満足のいく仕事でなければやりきれなさが先に立つ。

独身ならば、仕事を辞めてぶらぶらしていても妻子から疎んじられることもなく気楽でしたが、定年退職して妻子がいたらまさに悲劇であり、家にいたたまれなくなるだろう。だから図書館や喫茶店で時間を潰して日々を過ごさなければならなくなる。こんな生活をしていれば体を壊して命を縮めるかもしれない。私の父も定年退職して数年で亡くなった。

これは日本ばかりのことではなく、どの国でもあることだ。アーサー・ミラーの戯曲で「セールスマンの死」がありますが、アメリカにも引き籠もりの息子がいたことが面白い。セールスマンはサラリーマンの代表的な職業ですが、歳を取れば業績も落ちてクビになることもありますが、自営業ならクビになることもなく定年もない。

日本でも、大学生でもビルゲイツやザッカーバーグやスティーブジョブスなどのように、大学を中退して独立起業することが「勝ち組」となるだろう。「負け組」は大学を出てサラリーマンになる。「セールスマンの死」は年老いたサラリーマンへの鎮魂歌であり、多くの若い人は自分が定年退職した時の事まで考えている人は少ない。




偏向マスコミとバカ野党が、モリカケ問題ばかりに拘るほど自民党に
票が流れる動きができている。国民の関心は北朝鮮問題に向いている。


2017年10月13日 金曜日

自公、圧勝で安定多数へ…希望の党惨敗で消滅も、小池百合子は女性支持失い政治生命終了 10月13日 長井雄一朗

投開票日22日に向けて衆議院総選挙が熱を帯びているが、永田町ではすでに次の政局がどのように動くのかに注目が集まっている。注目点は、希望の党や立憲民主党の躍進で「安倍一強政治」が終わるのか、という点だ。

 しかし、自公が安定多数を獲得して希望の党が失速、小池百合子代表の政治生命も事実上終わるとの見方も強い。政治ジャーナリストの山田厚俊氏は、「希望の党は、選挙後消滅した日本未来の党と同じ道をたどる可能性がある」と語り、安倍晋三首相の進退についても「2期任期満了で終えることが一番良い引き際」と言う。そこで、今秋から冬にかけての政局の見通しなどについて、山田氏に話を聞いた。

■自公は安定多数獲得

――本格的に選挙戦に突入しています。現時点(取材時:10月11日)で注目度の高い、自民党・公明党、希望の党、立憲民主党の獲得議席の予想をお願いします。

山田氏(以下、山田) 今のところ、マスコミの世論調査で各党支持率を見ると、当初よりも希望の党が失速しています。希望の党が50から60、立憲民主党がそれをやや下回り、自民党・公明党の合計獲得議席は290から300議席になり、自公は安定多数を獲得するとみています。

――一時期は希望の党は100議席を超えるとの見方もありましたが、なぜ失速したのでしょうか。

山田 端的に言うと、小池氏の支持率の低下です。小池氏は、都知事選、都議選の両選挙でも女性の支持が強かった。“強い自民党に立ち向かうジャンヌダルク”のように映りました。しかし、潮目が変わったのは、小池氏が「民進党の方々を全員受け入れる気持ちはさらさらない」「排除します」と発言し、そして公認候補者に憲法改正、安全保障法制などの「踏み絵」を踏ませた結果、ジャンヌダルクから傲慢な王妃であるマリーアントワネットになってしまったのです。この傲慢な姿を見て、女性たちからは「なんだ、小池さんは」ということになり、多くの女性の怒りを買ったわけです。

 この結果、これまで仮に女性の3〜4割ほどから支持があったとしたら、今は2割を下回る支持率です。小池代表がもっとも強いといわれる東京25選挙区で、小選挙区で勝ち上がる希望の党候補者は1人か2人、もしかすると全敗もあり得ます。

――-東京25選挙区の小選挙区で勝てる可能性のある候補者と、そこまで敗北する理由を教えてください。

山田 東京10区の若狭勝氏、東京21区の長島昭久氏。東京に限らず希望の党が敗北する理由は、日本労働組合総連合会(連合)の協力が得られないことが大きい。しかも、希望の党が立候補している小選挙区は共産党も立候補するので、票が割れます。ですから、自公勢力が自然に強くなるのです。

 ただし、民進党出身者で元から政治基盤や票田を持っている希望の党候補者であれば、勝ち上がるケースはあります。小池氏の政経塾「希望の塾」出身や票田・基盤を持たない候補者は大惨敗するというのが大方の見方です。

――もし希望の党が敗北すると、小池氏に対して代表辞任を要求する声も出ると思います。

山田 おっしゃる通りです。50から60という数字ですが、勝ち上がる候補者は、ほぼ民進党出身者が多数を占めます。そもそも現在、希望の党の役職は、小池代表と選挙対策事務局長の樽床伸二氏が決まっているだけです。幹事長ほか、党三役が誰になるのか選挙後に決めるという話です。そこで「小池代表は辞めるべき」という意見や、民進党議員を排除に向かわせた若狭氏や細野豪志氏は、小選挙区で勝てば役職に就任するかもしれませんが、比例復活なら無理です。

 希望の党の大勢は民進党出身議員で占められます。そこで人事を間違えれば、党がバラバラになる可能性があります。そうなれば、議員は無所属になるか、それとも不満分子が集まって新党を立ち上げていくかわかりませんが、しぼんでいくでしょう。

――日本未来の党も選挙後に消滅しましたが、そのデジャブを見ているようです。

山田 日本未来の党と同じ道を行く可能性は十分にあり得ます。実は、「ひらがな」の「の」がある政党は短命に終わるというジンクスがあります。みんなの党、結いの党、日本未来の党も短命で、例外は日本維新の会です。

■小池氏の失敗

――小池代表の求心力は選挙後、相当低下するのではないでしょうか。

山田 現在でもすでに低下し、今後はさらに低下していくでしょう。さまざまな見方はありますが、都知事の後継候補を決められないなか、行き場を失い、国政出馬を断念しました。それでは都政に専念するかといえば、都民ファーストの会の足下もゆらぎ、先日も上田令子・音喜多駿両都議が離党しました。さらに都議会公明党との関係も希望の党を立ち上げたため悪化しています。

 そこで今後、都議会自民党は前回の都議選で大幅に議席を失ったので、選挙に強い都民ファーストの議員を誘い込む戦略に出ると考えます。それが、がたがたになった都議会自民党を立て直すもっとも有効な手段です。最初は離党させ、しかるべき後に自民党に入党させて都議会自民党の議員を増やし、小池都知事に対抗する。実際、小池氏はイメージでここまでやってきましたが、都知事としての実績は何もありません。近く都知事としても希望の党代表としてもレームダック(死に体)になり、小池氏の政治生命はこれまでと見てよいでしょう。

――小池氏は、何を間違えたのでしょうか。

山田 あそこまで上り詰めた勝負師としてのカンは素晴らしいし、目を見張るべきところがあります。しかし、小池氏は大臣の経験はありますが、党務の経験値が足りなかった。新党は人気と大臣経験があるだけでつくれるものではありません。小池代表は、民進党の98億円といわれる運営資金とスタッフが、喉から手が出るほどほしかったと思います。

 希望の党はスタッフがいないので、民進党のカネと人が欲しい一方、保守派からの「野合」批判を受けることも恐れたので、「排除します」「全員受け入れるつもりはさらさらない」発言につながったのでしょう。それで一気に支持を失いました。党務を理解しているのは玄葉光一郎氏だけです。先日、公認候補を玄葉氏、若狭氏、細野氏の3人で発表したことがすべて物語っています。

 細野氏と若狭氏が希望の塾出身者を有力選挙区でねじ込もうとし、民進党出身者は比例下位、勝てる見込みのない選挙区で冷遇しようと試みましたが、それを玄葉氏が押し戻した。玄葉氏は個別の選挙区の情勢を詳しく分析する能力に長け、説得したのでしょう。

 細野氏は党務経験が少ないですし、若狭氏は国会議員としてはよちよち歩きですので、党務を行なうというのは無理です。ただ、希望の塾出身者と面接して情もでき、お金も払ってもらうなかで、無意識のうちにしがらみができたのでしょう。小池氏代表は勝負師のカンで花火をぶち上げた策も失敗し、目論見も外れ焦ったからこそ「排除」発言が生まれたのでしょう。

■立憲民主党

――立憲民主党は、どう見ていますか。

山田 もはや時計の針を9月28日の民進党両院議員総会には戻せないことに、民進党の悲劇があります。私は前原誠司代表が同党議員たちを「騙した」「騙された」という以前に、「何があっても罪はすべて自分が贖う」という贖罪の意識で政治活動を行なっていることについて評価はしています。力量不足でありましたが、いずれは通らなければならない道でもありました。

 一方、立憲民主党を立ち上げた枝野幸男代表ですが、両院議員総会で「前原さん、今までありがとうございました。しかし、希望の党と理念や政策が違いますのでわれわれは新党を立ち上げます」と言えば素晴らしかった。結局のところ、希望の党から排除された結果として立憲民主党が誕生したのですが、それは選挙民のほうを見ていない。結果、自公で安定政権を許すことになるでしょう。

――野党がもっとしっかりしていれば、このような結果にならなかった。

山田 一番悩ましいのが、安倍首相に対して「ノー」を突きつける場面がなくなったことでした。四党合意の枠組みをしっかりと維持し、野党を乱立させず一対一の構図で戦えば、こうはなりませんでした。その意味で、前原氏にも枝野氏にも一定の評価はしつつも残念に思います。ただし、安倍政権に対する国民のフラストレーションもたまっているなか、自民党も内部改革をしようという動きが出でこないと困ります。(後略)


(私のコメント)

一週間前の6日にも選挙情勢を書きましたが、「小池氏の若狭氏への扱いも気の毒なほどですが、腹心の友である仲間にもテレビに出るなと言えるドライさがある。まさに小池氏のメディアに対する感覚はプロではあるのですが、今回は「さらさらない」などの失言が目立つ。思い通りに行かないと周囲に当り散らすのだろう。」と書きましたが、私の懸念は当たっていたのだろう。

都知事選挙や都議会議員選挙の時は、腐敗した都政を改革するとしての挑戦者でしたが、都知事となり東京都の最高権力者になって女帝ぶりが目につくようになっていた。小池氏にしても前都知事だった舛添氏にしても石原氏にしても、有能でカリスマ性が有り自民党でも大臣としても有能だった。

しかし三氏に共通するのは、ワンマンであり大衆的な人気があったが優れたチームプレーヤーではないところだ。石原氏は多少は義理と人情が有り側近もいたが、舛添氏や小池氏は優れた側近がおらず、擁護してくれる有力者もいないことだ。攻撃する時は一人でもできるが、権力の座に就いて守りを固めるには多くの優れた側近がいる。

10月7日にも項羽と劉邦という2人の例を挙げて書きましたが、いくら才覚溢れた人物でもスタッフの使い方がまずければ一人の力では限界が出てくる。日本の戦国時代でも、信長、秀吉、家康の三人に共通するのは、本人も有能な人材だが、部下も多くの有能な人材を揃えることができたからだ。いくら本人が有能でも部下を使いこなせずに滅んだ戦国大名はたくさんいる。

小池氏が首相の座を目指すのは、65歳という年齢的なことからも今回が最後のチャンスと見たのかもしれませんが、都知事としての仕事で能力を証明する必要があった。しかし小池氏は勝負には強いが「さらさらない」発言が致命傷となってしまった。民進党議員全てを引き受けるだけの度量に欠けていた。

7日の「株式日記」でも、「あまりにも才能があるがゆえに、他を見下すということは有りがちですが、小池氏のもとに人が集まらないのは他を見下す癖があるからです。音喜多議員は都民ファーストの大勝利に貢献しましたが、小池氏は選挙が終わると音喜多議員を幹事長から外した。そして新人議員を党の代表に据えた。つまり音喜多議員を使いこなせなかったのです。」と書きました。

民主党や民進党がこのような体たらくになってしまったのは、民主党政権の3年間があまりにも悪性であり経済を最悪の状況に落とし込んでしまったからだ。丁度東日本大震災の対応にも様々なミスが重なり、国民の支持を失ってしまったからだ。民主党のマニフェストには注目すべき政策があったにもかかわらず民主党はそれを実行しなかった。

都知事選挙や都議会議員選挙の時は、「株式日記」は小池氏を支持しましたが、内田氏や森氏という明確な悪役がいたからですが、小池氏は都知事になるにつれて小池氏自身がブラックボックス化していった。都知事や首相ともなると絶大な権力を手にするし、分単位のハードスケジュールをこなさなければならない。そのために大事な情報が自身に入らなくなりがちだ。

そのためには権力者には、有能な参謀役が必要であり、間違った判断を下さないためには助言するスタッフがいて、その言うことに耳を貸さなければならない。もし名参謀がいないとするならば、「株式日記」を読んでもらうだけでもその代わりになるのではないかと思う。「株式日記」の提言する政策がいつも正しいからだ。




北朝鮮でミサイルや核実験が続く中、日本に住む人たちの間でも、万一の事態に備えよう
という動きが出ている。核攻撃などから身を守り、避難生活を送れる頑丈な核シェルター


2017年10月12日 木曜日

「日本で核シェルターの需要が急増」“シェルター大国”スイスの公共放送も特集 10月11日 NewSphere

北朝鮮でミサイルや核実験が続く中、日本に住む人たちの間でも、万一の事態に備えようという動きが出ている。核攻撃などから身を守り、避難生活を送れる頑丈な核シェルター(避難所)を自分の家に設置する人たちが増えているのだ。このシェルターはスイス製だという。スイスの公共放送が8月、神戸市の輸入販売業者をニュースで取り上げた。

◆頑丈なスイス製

 スイスでは、他国からの攻撃や自然災害などの緊急時に備え、住居内や公共の場にシェルターが設けられている。多くの場合、地下に作られており、窓がない(ガスを防ぐフィルター付きの換気装置はある)。スイス連邦民間防衛(BABS)のサイトによれば、2017年9月初めの時点で、全国の建物内(私邸、企業、公共施設、病院)に作られたシェルターの数は約36万、公共シェルター施設は1700強にも上る。建物内のものは、人や文化財の保護が目的で、公共シェルター施設は、司令メンバー、消防関係者の訓練や非常時に使用されたり、病人のための場所として確保されている。

 これだけの数があれば、非常時にスイスの全住人がシェルターに避難でき、しばらくの間、生活を送ることができる。北欧やドイツなど、ほかのヨーロッパ諸国にもシェルターはあるが、スイスのように安全で頑丈なシェルターを住人すべてに用意している国はない。

 シェルターは普段、仕事場、音楽用、工作用、子どもたちの遊び用、大人の各種クラブなど、普通の部屋として使われていることが少なくない。貸すことも許されている。最近では、増加する難民を収容する場所が不足しているため、一部の公共シェルター施設が住まいとして使われている。

◆日本ではメンテナンスなし

 そのような「シェルター先進国」のスイスで8月20日、夜7時半のニュース番組『ターゲスシャウ』が、「防御施設の建設が、日本でブームに」と約3分にわたって報じ、スイス製シェルターを設置・販売する織部精機製作所の社長たちのコメントを伝えた。

 テレビカメラは、ある一軒の家の玄関先をとらえ、「訪問者は、この家には何も変わったことはないと思うでしょう」とナレーション。次に、地下へ続く階段を映しながらシェルター内に入り、「でも、物置の入り口は冷戦(1945〜1989年)を思い起こさせます*。約50年前、企業・織部は、スイスのノウハウを使って、この家に最初のシェルターを作りました」と説明した。(*スイスで核シェルターが計画的に作られるようになったのは、冷戦時代の1960年代だったため)

 ニュースによると、織部精機製作所では、その時点で昨年の26倍もの注文があったそうだ。「スイスの製品はシンプルで壊れません。メンテナンスや修理はほとんど必要ありません」と織部健二社長はコメントした。

 ちなみに、スイスでは、自治体による定期的なメンテナンスが建物内のシェルターで行われている。チェック項目が100にも上る場合もあるといい、シェルターが常に万全に機能するよう注意が払われている。

◆シェルター購入後、顧客からは連絡が途絶える

 放映では、ディレクタ―(前社長)の織部信子氏もコメントしている。コメントによれば、顧客は資金に余裕のある企業や、医師が多い。特徴的なのは、顧客たちが、核シェルターを持っていることを秘密にしている点だ。シェルターがあると知られてしまったら、非常時に近所から人が詰めかける可能性がある。それは避けたいのだ。信子氏は「設置後、お客様たちは、私どもに連絡を取ることもございません」とも話し、顧客たちが施工者の気配を消し、安全な空間の確保にとても慎重でいる様子がうかがえた。

 同社のサイトにアクセスしてみると、トップページに本ニュースの動画がリンクされている。また、アメリカのメディアから取材を受けた動画も載っている。創業100年以上の同社への注文は、今後ますます増えるだろうか。

Text by Satomi Iwasawa



(私のコメント)

北朝鮮が核保有をしてしまうと、世界中の独裁国家も核保有を目指す国が増えるだろう。日本をはじめとして韓国や台湾も核保有をするようになるかもしれない。核実験をしなくても核爆弾を輸出する国も出てくるかもしれない。核保有をする国が増えればそれだけ核が使われる可能性が高くなる。

日本では東京が核攻撃を受ける一番の候補ですが、東京がやばいとなれば郊外に引っ越して核シェルターを用意する必要が出てくるかもしれない。東京から100キロくらい離れれば一戸建ての家が300万円台で買えます。あるいは土地だけ買って、そこに地下室付きの新築の家を建てることができます。

核シェルターといっても、地下にコンクリートの部屋を作って、水を用意して空気はフィルター付きの給排気装置をつけるだけでいい。そこで2週間くらい避難していれば何とか助かるらしい。中古の一戸建てでも庭があればそこに地下室を作ればいい。核戦争ともなればインフラも壊滅して電気ガス水道などは使えなくなるだろう。

そうなると水や食料などの備蓄が重要になりますが、東京では備蓄がほとんどない。これらは自分で用意してシェルターなどに保管しておく必要があります。これらは核戦争のみならず、大災害が起きた時の避難用にも使えますが、井戸水をフィルターで浄化して使えれば長期の災害でも使える。

一番実現性が高いのは、熊本大震災のような地震であり、木造家屋が壊れても地下のコンクリート製のシェルターは壊れることはないだろう。日本のような自然災害の多い国は、災害対策も考えておくべきなのですが、大都市に住んでいるのなら郊外にセカンドハウスをよういするとか、海沿いの家なら山の高台にもセカンドハウスを用意できればいいと思う。

今は郊外に空家が多くなって、二束三文で売りに出されていますが、資金のある人は買っておいたらいいのではないだろうか。あるいは東京では賃貸マンションで生活して、週末は郊外の庭のある一戸建てで生活して、災害時には避難生活する場所を確保しておく。

できれば太陽光発電装置や、EVなどのバッテリーが災害時の電源として使える。東日本大震災の時は、東京でも乾電池が無くなりコメまで無くなってしまった。ガソリンスタンドは在庫がなくなり車も使えなくなった。日本では万が一の災害時の用意をしている家はほとんどなく、災害に強い家を建てる工夫もない。

核戦争とまでは言わなくても、東京ではいずれ関東大震災がやってくることは確実だ。そうなれば1000万人の避難民が出ることになるだろう。電気ガス水道が止まってしまえば生活ができなくなる。だから郊外に自給自足ができるセカンドハウスを用意しておくべきだろう。




『日の名残り』はイシグロ自身が何度か語っているように、「無駄にした人生」をテーマ
にした作品である。執事としての職業人生と愛や結婚という個人的な人生の両方だ。


2017年10月11日 水曜日

カズオ・イシグロの「信頼できない語り手」とは 10月10日 渡辺由佳里

<社会的、政治的な選択ではなく正統派の作家イシグロがノーベル文学賞を受賞したことには、大きな意味がある>

10月5日、長崎生まれのイギリス人作家カズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞した。本人にとっても意外だったらしく、英ガーディアン紙によると、最初は今はやりの「偽ニュース」ではないかと疑ったくらいだという。

イシグロは、1982年に27歳で作家デビューしてから62歳の現在まで長編小説は7作しか刊行していない。専業の小説家としては寡作なほうだ。

しかし、『遠い山なみの光』(A Pale View of Hills)と『忘れられた巨人』(The Buried Giant)以外の長編小説はすべて著名な文学賞の最終候補になっており、1989年刊の『日の名残り』(The Remains of the Day)は世界的に権威があるブッカー賞を受賞した。

イギリス貴族の主人への忠誠心と義務を優先して生きてきた老執事が、アメリカ人富豪の新しい主人を得て、過去に思いを馳せる『日の名残り』は、アンソニー・ホプキンス主演で映画化もされ、イシグロの名前は一躍世界に知られるようになった。

若い世代にアピールしたのは、第6作の『わたしを離さないで』(Never Let Me Go)だった。これまでの作品とは異なり、SFの要素が強いディストピア的な世界を舞台にしている。映画では悲劇的なラブストーリーが強調されているが、原作では洗練された近代社会におけるヒューマニティの偽善やカフカ的な不条理を感じさせる。

ノーベル文学賞を与えたスウェーデン・アカデミーは、イシグロについて「強い感情的な力を持つ小説を通し、世界と繋がっているという我々の幻想に潜む深淵を暴いた」作家と説明した。

それはどういう意味なのだろうか?

イシグロの作品は「信頼できない語り手(unreliable narrator)」で知られている。つまり、語り手自身が自分の人生や自分を取り囲む世界についてかならずしも真実を語っていないのだ。現実から目を背けている場合もあれば、現実を知らされていない場合もある。

だが、読者が小説を読み解くときには、語り手の視点に頼るしかない。物語が進むにつれ、馴染みある日常世界の下に隠されていた暗い深淵のような真実が顕わになってくる。そこで、読者は、語り手とともに強い感情に揺すぶられる。

『浮世の画家』と『日の名残り』はイシグロ自身が何度か語っているように、設定こそ違うが「無駄にした人生」をテーマにした同様の作品である。前者はアーティストとしての人生、後者は執事としての職業人生と愛や結婚という個人的な人生の両方だ。どちらの語り手も、手遅れになるまで現実から目を背けてきたことに気付かされる。「暗い深淵」をさらに鮮やかに描いたのが『わたしを離さないで』だ。主人公が知る強烈な現実に、読者は足元をすくわれたような目眩いと絶望を感じさせられる。

この「信頼できない語り手」について、イシグロは2015年のガーディアン紙のウェブチャットで読者からの質問にこう答えている

「私が小説を書き始めたとき、『信頼できない語り手』について特に考えたことはありませんでした。実際に、当時はこの表現は今ほど使われていませんでしたし。私は、自分自身が現実的だと感じるかたち、つまり、たいていの人が、自分の体験について語るとき普通にやっているように語り手を描いているだけです。というのは、人生で重要な時期を振り返って説明を求められたとしたら、誰でも『信頼できなく』なりがちです。それが人間の性というものです。人は、自分自身に対しても『信頼できない』ものです。というか、ことに自分に対してそうではないでしょうか。私は(信頼できない語り手)を文芸的なテクニックだとは思っていません」

読者の私たちも「信頼できない語り手」として毎日を生きている。イシグロ作品は、私たちが自分自身や自分の人生について抱いている幻想や、自分についている嘘についても考えさせてくれる。

ところで、ノーベル賞のたびに日本のメディアは村上春樹を話題にする。「村上春樹が受賞するチャンスは?」という質問もよく受ける。だが、意外性を重んじるアカデミーのことを考えると、日本が騒げば騒ぐほど受賞は遠ざかるような気がしてならない。

よく誤解されていることだが、ノーベル文学賞は、文芸賞として権威があるブッカー賞などとは異なり、「最も優れた小説」に与えられるものではない。「文学の分野において理念をもって創作し、最も傑出した作品を創作した人物」が対象であり、「世界で最も優れた作家」でもない。

これまで重視されてきたのは「理念」の部分だ。そこで、社会的あるいは政治的な要素が反映した選択になりがちだ。最高峰の文学者や文芸小説家が集まって「最も優れた小説家」を選ぶのであれば、異なる選択になるだろう。

また、アカデミーの体質なのか、正統派の文芸作家や人気作家よりも意外性を重んじているように感じる。

過去10年間の受賞者の国籍は、フランス、ドイツ、ペルー、スウェーデン、中国、カナダ、フランス、ベラルーシ、アメリカとほとんど重ならない。

アメリカ人の受賞者にしても、社会性と意外性を感じる。1993年のトニ・モリソンは露骨な性表現や人種差別の内容で一時期著作が禁書扱いになった黒人作家であり、昨年はミュージシャンのボブ・ディランだった。(後略)



(私のコメント)

私自身は、「日の名残り」は映画で見ただけで小説は読んでいない。内容としては執事の人生を通してみたイギリスの情景ですが、同時代のテレビドラマとしては「ダウントンアビー」がある。名門中の名門のイギリス貴族の家庭が舞台ですが、当時のイギリスは世界帝国として繁栄の頂点にあった。

世界帝国としてのイギリスの気概を名門貴族は持っていたということですが、今のイギリスは落ちぶれて、現代のイギリスの貴族たちも当時のような気概を持ちようがない。このような事は日本生まれの作家だから書けたのでしょうが、生粋のイギリス人では無理なのかもしれない。イギリスでは第二次大戦では戦勝国と教えられているからだ。

戦争の勝敗は、戦闘で勝つことではなく戦争目的を達成したかで決まりますが、イギリスはナチスドイツとの戦闘では勝ったが植民地の大部分を失ってしまった。なぜならば香港要塞やシンガポール要塞を陥落することによって、大英帝国としての権威が失われてしまったからだ。プリンス・オブ・ウェールズという最新鋭の戦艦が有色人種の日本軍によってあっけなく沈められてしまった。

スティーブンスのご主人のダーリントン卿は、ナチスドイツとの融和派であり、ダーリントンホールでは英国首相とドイツ大使とが密談をするなどしていましたが、チェンバレン首相はドイツ融和派であり、戦後批判されましたが、チャーチルは日本を戦争に引きずり込むことでアメリカを参戦させようとした。このことは戦略的に正しかったのだろうか。

チャーチルこそが大英帝国を没落させた張本人なのですが、イギリスでは名宰相と言われている。確かにドイツとの戦いでは勝利したが、アジアではボロ負けしてインド洋では日本海軍から逃げまくった。これをインド人や東南アジア人が見れば、従来の白人優越主義的なイデオロギーが崩壊してしまった。

これでもチャーチルは名宰相と言えるのだろうか。チェンバレンのように時間稼ぎをしておけばヒトラーはロシアに攻め込んで自滅していたかもしれない。ロシアにはアメリカやイギリスが援助して、何も日本を戦争に巻き込む必要はなかっただろう。そうすれば香港もシンガポールも失う事はなかった。

イギリスが、日本とアメリカとの仲介役をして中国の利権を守ることもできていたはずだ。「日の名残り」のダーリントン卿の判断は正しかったのであり、しかしダーリントン卿は不名誉な噂のうちに亡くなった。ヒトラーはイギリスとは戦争するつもりはなかったが、チャーチルは戦争を選んだ。

このような歴史観は、生粋のイギリス人には認めがたいものであり、日本生まれのカズオ・イシグロだからこそ書けたのだろう。「日の名残り」は歴史書ではなく小説ですが、ダーリントン卿の対独融和論は正しかったのかもしれない。ダーリントン卿はユダヤ人に対する見方はナチと共通していたが、使用人のユダヤ人を首にした。

当時のイギリスにおいても、ヒトラーの人気は大変なものであり、特に中年女性に圧倒的な人気があった。しかしこのような事実を指摘することは現代ではタブーだ。主人公のスティーブンスは愚直なまでに自分の執事としての職務に忠実であり、自分の感情を押し殺してまで勤め上げた。

民主主義国家では、身分差別や人種差別は御法度ですが、戦前では人種差別は当たり前であり、ユダヤ人差別もアメリカにおける日本人差別も存在した。ルーズベルト大統領もチャーチル首相も人種差別主義者だったことは明らかですが、当時はそれが当たり前だった。

カズオ・イシグロは日系イギリス人であり、彼がノーベル文学賞を受賞した。前評判の高い村上春樹はなかなかノーベル文学賞を受賞できませんが、彼のようなアメリカナイズされた小説ではかえって評価されないのかもしれない。純文学としては評価は高いのですが、「日の名残り」のような小説は彼には書けないだろう。




日本は少子高齢だから、人口減少だから投資の価値がないからみたいな
ことを強調されるけど、色んな国の人達が似たようなことを考えている


2017年10月10日 火曜日

日本だけじゃなく世界的に終わっているし、終わっているのは個人の未来だ  10月10日 こうして僕らは腐る

ロンドンで留学して良かったことの一つに、色んな国の人たちと話せることがある。

はてブで時折、日本終了エントリが見れるけど、はっきりと言えるのは世界的に終わってる感が半端ないということだ。

日本は少子高齢だから、人口減少だから投資の価値がないからみたいなことを強調されるけど、色んな国の人達が似たようなことを考えてて、それで自分だけでも助かろうと英語を勉強しにロンドンくんだりまで来ているわけだ。

仲良くなった台湾の女の子は日本の現在の経済力についてすごく評価していた。

それに比べて台湾はダメみたいなことを自虐的に言うのだ。

彼女は特に今の総統は頭が悪いという評価をしている。僕はシャープの買収なんかを見て台湾は上り調子、一人当たりのGDPもアゲアゲだと思っていた。

なので鴻海みたいな会社があるじゃないか、と言うと

鴻海はすごいしリスペクトするけど、工場は全部大陸にあるから、とやや悲しそうにいうではないか。彼女からすれば日本は経済が強力で超リスペクト対象になっている。

しかも過去の日本ではなく、まさに今の日本に対して憧憬があるのだ。

もっと悲惨なのはベネズエラから来ている生徒だろう。

彼は内紛から逃げるようにロンドンにやってきて働きながら勉強している。いつまでロンドンにいるかはわからないけど、今のところ戻らないらしい。

そろそろ終わりどころか、国家の形としては終わったと言ってもいいような状態になっているのがベネズエラだ。彼は自分の国が好きだけど、今はどうにもならないと言っている。

他にもトルコから来た中年男性は、大統領がイディオットすぎて今のトルコでずっと働きたいと思わないからロンドンで仕事を探しているという。

ロンドンでもホームレスだらけで、テリーザメイは学校の先生からも非難されている。コービン旋風が巻き起こっていて、少しばかり政治家に希望があるだけマシかもしれないが、Uberに対する風当たりなんかから資本家憎悪はまだまだ続きそうだ。

ロンドンのブルーカラー達はかなりしんどい思いをしているだろう。

ホームレスもやたら多いし。

フランスの女性も、ロンドンで仕事を探すけれどBrexitでどうなるか不安だと言う。フランスだとマーケティングの仕事は飽和状態でイギリスで働きたいとも。

移民たちが子供をバンバン産んで、たくさんのお金を税金からもらっていることにも批判的だった。(彼女は独身だ)

明らかに楽観的なのはドバイやサウジから来た連中だ。悲観のひの字も出てこない。彼らはロンドンライフを楽しんでいる。

タイやスリランカから来ている金持ち生徒達はそういった政治的な話はしない。週末になったらヨーロッパ旅行に出ていって楽しんでいる。

僕が思うに、国家が終わっていると思うのは個人の環境によるのだろう。

テロまみれと思われがちな中東でも産油国の連中は随分と満足しているっぽいし、少子化とは無縁のフランス人も移民問題に苛立っている感がある。

スペイン人やイタリア人は明るい連中が多い。ステレオタイプ通りで安心した。ロンドンに来るラテン系は大学生が多いからまだ希望に満ちている。だが彼らが国の政治体制を褒めることはない。

僕と仲良かったイタリアの女の子は国に戻って就職したが、残業だらけで給料も安いと言っていた。

そういうふうに見ると国が終わるのでなく、給料水準の低い人たちの未来が終わっているのだ。冷静になればそれも当然で、金持ちや勝ち組はいつの時代でもいる。

今の日本は中産階級がドンドン落ちぶれて、閉塞感がたまっているのだろう。そして冒頭の記事にもあるような粘り強い人たちも没落候補になっていて、その前に日本を出ていっている。

冒頭の記事の方は日本の形について語るが、おそらく相対的ポジションは今後も変わらないように思う。日本の科学技術が失われていくからといって、どの国が日本をはるかに追い越すとも言えないのだ。

あえて上げるならアメリカ、中国、ドイツだけだろう。

そして世界中の国々の人たちが自国の競争力を失っていると感じている。

逆に言えば米独中の3つの国に行くぐらいしか各国の有能な人達が満足するような環境は手に入らないだろうし、日本だけが特別絶望的とも言いきれない。 

日本にいるとあまりに主観的になるが、祖国が終わっている、未来がないと感じているのはほとんどすべての国が同じではないだろうか。

日本終了の根本問題はもっと大きくて根深くて解決不可能だと僕は思う。



(私のコメント)

海外留学すると色々な国からの留学生と話し合う機会が生まれますが、以前にも台湾の大学への留学生の話を書いたことがあります。マスコミの特派員が送ってくるような話とは異なる話が面白い。日本は少子化で日本終了の雰囲気があふれていますが、留学生の話を聞くとどこも同じような状況のようだ。

ラテン系の人は楽観的でそのようなことは感じていないようですが、国に帰れば残業だらけで給料も安いと音を上げている。マスコミの記事だけを見れば日本だけが上手く行っていないような記事が目立ちますが、中国ですらバブル崩壊で大学生の就職先がない。アメリカでトランプが選ばれたのも国内経済は必ずしも良いとは言えないからだ。

イギリスのブレクジットやトランプ大統領の当選は、米英ですら壁に突き当たっているからだ。米英の大学ですら経営難で世界から留学生を集めなければならないほどですが、日本の大学も海外からの留学生を集めないとやっていけなくなるでしょう。しかし日本の大学はインターナショナルではないから英語で授業が出来る状況ではない。

海外から見れば日本経済はまだ力強く見えるらしい。高校生や大学生の就職内定率の高さはバブル期以上となりましたが、賃金の上昇には繋がっていない。これは外国から安い労働力が入ってきているせいもあるのだろう。今までの安い賃金でないとやっていけないところは閉店して淘汰されていけば、賃金も上げられるようになる。

台湾にしても韓国にしても一流企業の賃金は日本を上回るようになりましたが、これはごく一部でありグローバル企業に限られる。中東や南米ともなれば国家がガタガタになり、国内では勉強ができないから留学して勉強するしかない国もある。EUの失業率の高さは移民のせいもあるのでしょうが、ホームレスも多いようだ。

フランスの出生率の高さは、やはりイスラム移民が子供をバンバン生むからであり、子供を産めば国が生活を補助してくれるから高いのだろう。どの国も貧富の格差の拡大で低賃金層の不満が高まっている。中産階級が没落して富裕層と低賃金層に分かれてきている。

記事を書いている留学生自身も、「日本にいるとあまりに主観的になるが、祖国が終わっている、未来がないと感じているのはほとんどすべての国が同じではないだろうか。」というように、若い人には希望がなくなってきている。AI革命で高所得の職業も少なくなっていくのだろう。

日本企業は、減税や人件費カットでなどで得た利益を内部留保として貯め込んでいますが、「希望の党」などは内部留保に税金をかけろと主張している。金持ちたちも金を溜め込むばかりで使おうとはしませんが、タックスヘイブンのファンドで運用すれば金が金を産んでいく。金持ちたちは税金を払わずに資産を増やし続けていますが、国家はこれには手を出さない。

党首討論を見てもタックスヘイブンの脱税を指摘する人がいない。シンガポールや香港などはタックスヘイブンですが、金のキャッチボールするだけで手数料を稼いで高層ビルが林立するようになった。だから富裕層と貧困層の格差が広がるばかりなのだ。




私たちは短い人生を授かっているわけではない。人生の多くを浪費しているだけだ。
人生は十分に長く、正しく時間を投資すれば高みを極めるのに十分なだけの長さがある。


2017年10月9日 月曜日

人生は短いのではない。自分で短くしているのだ 10月8日 Patrick Allan

米Lifehackerが人生の役に立つ言葉を紹介するシリーズ「Mid-Week Meditations」へようこそ。ストイックな知恵を探求し、それを使って自らを省みて、人生を好転させましょう。

【画像】人生は短いのではない。自分で短くしているのだ

今回は、古代ローマの哲学者セネカの知恵を。現在ではInternet Archiveでも読むことができる、2000年前に彼が説いた「On the Shortness of Life(人生の時間の過ごし方)」は現代でも真実をついています。

私たちは短い人生を授かっているわけではない。人生の多くを浪費しているだけだ。人生は十分に長く、正しく時間を投資すれば高みを極めるのに十分なだけの長さがある。しかし、無分別な贅沢や良からぬ行ないにふけると、死の床について初めて、いつの間にか人生が過ぎてしまったことにやっと気づかされることになる。すなわち、私たちに与えられた人生は短いわけではなく、自分で短くしているだけなのだ。足りないのではなくて、浪費しているだけだ。人生は、その正しい使い道を知ると長いものになる。

― Seneca, On the Shortness of Life

この言葉が意味するもの

この言葉が意味するもの

この言葉がいわんとしていることは、単純明快です。セネカいわく、人生には目標を達成するに十分なだけの時間があるにも関わらず、私たちは意味のないこと(マルクス・アウレリウスはこれを「外的なこと」あるいは「気晴らし」と呼んでいます)に時間を浪費しています。

そして、死の床について初めて、どれほど多くの時間を浪費したか気づくことになります。そのときになってやっと、人生は短いのではなく、短く感じるように自分がしてしまったことに気づくのです。

そこから得られるもの

誰もが、充実した人生を望んでいます。何でもやってみたい、何でも見たい、自分が生きた証を世の中に残したいと思っています。しかし、それには、「無分別な贅沢」や「良からぬ行ない」は慎まなければならないとセネカは言います。集中力を発揮して、油断なく、規律ある生活をすれば、人生はもっと長く充実したものに感じられるとセネカは説いています。

だからと言って、楽しいことは一切ダメというわけではありません。生産的な仕事ばかりしていると、必ず燃え尽きてしまい頭がおかしくなります。そういうことではなくて、人生の残された時間の見方を変える必要があるという意味です。

時間を限りある資源としてとらえ、どうやっても増やすことはできないのだと気づくべきです。ですから、注意深く自分の行動を選択しましょう。時間は「浪費」するのでなく、「使う」のです。時には、楽しいことに時間を使ってもいいですが、決して時間を無駄にしてはいけません。時間を賢く使って、やるべきことは全てできたと言える人生にしましょう。


(私のコメント)

今年もあと3ヶ月となりましたが、年月の経つのが早く感じます。私もあと何年生きられるのかも気になりますが、これから何かを始めるには残された年月も考えなければなりません。今まで私がしてきたことでは、ビルを建てて借金を返してきたことですが、これから借金をしてビルを建てることは無意味だ。

不動産事業を拡大するにしても、私には家族もいないから継承してくれる人もいない。私が若ければ結婚して子供にあとを継がせることもできたのでしょうが、この歳では難しいでしょう。誰か若い女性で事業を継ぎたい人がいれば譲ってもいいのですが、後妻業の女に騙される危険性もあります。

歌の文句に「暇があるときゃ金がなく、金があるときゃ暇がない」と言いますが、若い人には金がなく、年寄りががっちり金を貯め込んでいる。しかし金ができても残された時間が少なくなり、若い人にもっと金が回るようにしないと社会が回っていかないでしょう。

だから私なども、若い愛人などを何人も囲って金をばら撒いたほうがいいのでしょうか。昔はそんな人も多かったのですが、時代も変わってそんな生き方は批判されるようになりました。私の若い時は高度成長期で就職も楽だったし、給料も良くて2000万円くらいは直ぐに貯まった。だから車を誰もが持っていた。

今では車を持つ若者が少なくなり、都内の駐車場はガラガラだ。若い女性の職場も銀行や証券会社はAI化で大量採用しなくなり、現代は必ずしもいい時代ではないようだ。若者の非婚化が進み少子化も社会問題になっている。豊かな老人たちと貧しい若者が混在した時代であり、若者は夢を持てなくなっている。

私が死の床に就くのはいつになるか分かりませんが、後悔のない人生を過ごしたいものだ。私自身も銀行に就職したのが失敗の始まりであり、十数年間を灰色の人生を過ごしてしまった。さっさと退職して不動産業に独立起業すべきだったと後悔していますが、私の若い頃は楽しい事はあまりなかった。

多くの若い人のように遊びごとは殆どしなかったし、大恋愛も結婚もしなかった。全力を独立起業に賭けていたからですが、独立起業しても大借金の返済で死ぬほどの苦しい思いもした。バブルの崩壊で破産したり倒産したり人が多いことを考えれば、私の人生は幸運だったのだろう。

欲を言えばキリがありませんが、経済的に豊かで女にモテまくればこれほど幸せなことはないのでしょうが、金がなければ女にもててもトラブルになるだけだ。セネカは次のように言っています。「私たちは短い人生を授かっているわけではない。人生の多くを浪費しているだけだ。人生は十分に長く、正しく時間を投資すれば高みを極めるのに十分なだけの長さがある。」つまり終わりよければ全て良しと考えるべきなのだろう。

人生の目標とはなんなのだろうか。楽しく一生を過ごせればいいのでしょうが、何が楽しいことなのか人によってまちまちだ。お金がたくさんあって女にモテまくれば楽しいでしょうが、いずれにしても死の床に就かなければならない。そうなれば楽しければ楽しかったほど死を迎えるにあたって悲しい思いをすることになる。

世の中には自殺する人も多く、死ぬ事しか楽になれないという悲運の人も多くいる。私自身も大借金苦で欝状態になり、辛い思いも10年近く続いた。90年代は日本全体が欝状態になり、なんとかならないものかと「株式日記」を書き始めた。様々な金融政策を提言し続けてきましたが、金融緩和でようやく底は脱したようだ。

「株式日記」を書く事が、私に神が与えた使命となり書いてきましたが、「株式日記」が与えた日本への影響はかなりのものになるだろう。古代ローマの哲学者セネカの言葉は2000年後の今日にも伝えられていますが、文字にして書き残してきたからこそ残ったのだ。「株式日記」も私が亡くなっても2000年後も残るのだろうか。




webは名もなき個人の意見が、時に何百万人に届く。これは驚くべきことで、
まさに「個が力を持つ」時代だ。「こんなにwebには力があるのか」と圧倒された。


2017年10月8日 日曜日

「書ける人」と「書けない人」は、一体何が違うのか。 9月29日 安達裕哉

たまには本業の話も書いてみる。

私の本業は、「メディア運営」「記事広告」「コンテンツ制作」、そして、それらの「拡散」の4つである。

10年以上もやっていたコンサルティングを本業とせず、なぜメディアをやっているかというと、webの素晴らしさに感銘を受けたからだ。

「こんなにwebには力があるのか」

と圧倒された。

何と言っても、webは名もなき個人の意見が、時に何百万人に届く。これは驚くべきことで、まさに「個が力を持つ」時代だ。

特に「拡散」という現象が、私にとっては非常に興味深い研究の対象だった。

そんなわけで、5年ほど前と比べて、様々なメディアに寄稿したり、集客したりと、手伝いをすることがとても多くなり、今に至る。

さて、PRはそれぐらいにして、そんな中で考えざるをえないのが、

「書く」というスキルについてだ。

「書く」は、ここ10年ほどでかなり重要なスキルとなった。

なぜか。

まず、web上では検索エンジンとSNSにもとづいて人が動くため「文字」をベースとしたコミュニケーションが中心となっている。

音声ベースのコミュニケーション手段として多用されていた電話も、今やメール、チャットやメッセージサービスなどの「文字ベース」の手段に取って代わられた。

さらに、複雑かつ厳密な、科学的思考はどうしても文字を中心として記述される。

webは科学的思考ができる人々にとって非常に有利に発信ができる世界だ。だから「知識の結合」「情報発信」の主戦場がweb上に移行している。

「本を読まない人が増えている」のは事実かもしれないが、「文字を読む人」は爆発的に増えている。

世界では毎日、大量のテキストデータが生み出され、webにアップされている。

*****

しかし「書く」という技術の重要度が上がったことに比べ、「書ける人」はそれほど増えていない。

「良いエンジニアの不足」と同様に、「良い書き手の不足」という状況も、当分解消される見込みはない。

「そんなことを言っても、安く買い叩かれているライターがたくさんいるではないか」という反論もあろう。

確かに、そう言った問題もある。

例えば、「一文字1円」とか、「一文字0.5円」など、粗製乱造を誘発するような報酬の設定をした案件を、クラウドソーシング上で見かけることがある。

ただ、最近ではそう言った案件に人は集まりにくいし、徐々にライティング料も上がっている。

もっと率直に言うと、力があるのに安い案件に甘んじているライターは、単純に言えば営業努力が不足している可能性が高い。

良い案件は、スキルを高めて実績を積み上げ、自分で情報発信し、営業努力を積み上げて取りに行くものである。

営業努力と差別化なしに、「単価が安い」と言うのは、ちょっと違うな、と思う。

話がそれた。

そういうことで、ライターが高コスト化しているので、

企業内では最近、「どうにか自分たちでコンテンツを生み出したい」「ライターを育成したい」という動きが出始めている。

ただ、これが言うほど簡単ではない。

例えば、ある教育業での話だ。

この会社では従来、販促手段として広告にお金をかけてきたが、最近では費用対効果が合わない、と経営陣が判断した。

さらに、最近では競合がwebのコンテンツを活用して大きく成果をあげていることから、経営陣からマーケティング部門へ「コンテンツの発信を強化しろ」との指示が出た。

ただし、多分にもれず、それほど予算は付いていない。

要するに経営陣は「内製でやれ」と現場に命じた。つまり記事を持ち回りでで社員に書かせた。

ところが、これがうまくいかない。

「社員に書かせる」までは良いものの、提出されてくるコンテンツの質が低い。

ビュー数も伸びない。

半年ほど運用し、全く成果らしきものを残せないまま、このブロジェクトは立ち消えになってしまった。

この会社には「書ける人」が存在しなかった。

こう言った事例を数多く見てくると、「文章で人を動かす」はそれほど簡単ではないことに気づく。

村上春樹は「才能が必要」というが、プログラミングと同様、センスにある程度依存しているのかもしれない。

*****

では、「書ける人」と「書けない人」は、一体何が違うのだろうか?

それにはまず「書ける人」の定義が必要だ。

私が思う「書ける人」とは、「人から言われたテーマを綺麗に書ける」人のことではない。

検索に引っかかる記事は書けるが、その文章のファンは生まれない。

そうではなく、ここに掲載されているような純粋に「ファンを生み出すような記事」を書ける人は、他の人と何が違うのだろうか。

個人的には、以下の点に集約されると感じる。

現実の切り取りかたの妙

マスメディアにはできないけれど、個人メディア、企業メディアにできることは何か。

それは「主観の発信」である。記事は言ってしまえば、主観が強いほど面白い。「主観」が取り除かれてしまっている記事は、去勢された記事である。

ただ一方で、独りよがりの記事は時として読者を不快にさせる。

そこで、「主観」に説得力を持たせるために書き手は色々と工夫をする。

その工夫が「書ける人」の力量そのものである。(後略)



(私のコメント)

私の使っているパソコンを、WIN7からWIN10に移行させようとしてるのですが、なんとも厄介な作業であり、パソコンはますます面倒くさくなり、パソコンからスマホに切り替える人が多くなる一方だろう。ウェブにしてもホームページビルダーを使っているのですが、OSが変わるたびに買い換えてきた。

使用上は何の不自由もないのですが、次々とOSがバージョンアップされるので慣れるまでが大変だ。今まで使っていた周辺機器も使えなくなり、今まで使っていたXPパソコンも捨てられない。文章を書くだけならXPパソコンで十分なのですが、一太郎もバージョンアップで使えなくなってしまった。

今では、ほとんどがブログになり、ホーンページをアップするのは金がかかるようになってしまった。しかしブログではプロヴァイダーがいつ無くなるかわからないから、ホームページ版も無くせない。ホームページなら自由にいつでも引っ越せる。

選挙が近くなると、ネットの世界でも騒がしくなりますが、まさに情報戦争であり、テレビなどのマスコミの力は以前よりかは影響力が落ちてきている。安倍政権もネットの力でできた政権であり、ネット世論が安倍政権を支えていれば、今回の選挙でも過半数の支持は集めるだろう。90年代までの時のようなマスコミが世論を作る時代は終わった。

左翼が力を失ってしまったのはネットの力によるものが多く、左翼の嘘がネットによってバラされてしまった。民主党政権も公約をほとんど反故にしてしてしまった。高速道路無料化も児童手当の23000円もどこかに消えてしまった。公務員給与カットも真っ先に反故にされた。やると言って「株式日記」も支持したのに騙された。

だから民進党や希望の党がいくら看板を掛け替えたところで国民は騙されない。安倍総理が街頭演説すると「安倍辞めろ」と妨害が入るようになりましたが、モリカケ問題で野党支持者が騒いでいるだけだ。しかしモリカケ問題では国民一般は飽き飽きしている。マスコミが煽っているからそれに煽られて騒いでいるだけだ。

「株式日記」では97年以来20年間も、ホームページを書き続けてきましたが、ネットの力を感じる時もあれば、無力感を感じることもあります。安達氏は「こんなにwebには力があるのか」と圧倒されたそうですが、アメリカのトランプ大統領も選挙参謀となったのはブロガーのスティーブ・バノン氏であり、反グローバル主義で選挙運動を展開した。

このようにブログを武器に、政治活動をする政治家も増えてきて、音喜多都議会議員もその一人ですが、これからがブログを書き続けることが政治活動として重要な役割となるだろう。トランプ大統領もツイッターを書いて政治活動をしている。しかし文章を書くということは一つの才能であり、簡単なようで難しい。

安達氏は、『しかし「書く」という技術の重要度が上がったことに比べ、「書ける人」はそれほど増えていない。』という事ですが、学校教育でも作文などはあまり多くの時間を割いては教えられていない。テストなども記述式の問題は少なく、大学ですら論文を書かせる教育はほとんど行われていない。

最近ではネットを広告手段として活用することが増えてきましたが、その為には毎日多くの記事を書く必要がありますがそれができる社員はすくない。記事を書くためには多くの本を読み、読みやすい文章を書くことが大切ですが、その教育ができていない。




劉邦は、なるべく戦わぬことを心掛け、戦わざるを得なくなったときもなるべく敵に降伏を促し、
降伏した者には所領を安堵し、功を成した者には、得た領地を惜しみなく与え続けました


2017年10月7日 土曜日

“組織のトップに「才能」はいらない” 優秀なリーダーほどハマる落とし穴とは? 2016年2月12日 神野正史

組織のトップに必要な能力は何だと思いますか?「才覚あれど、天下を掴めなかった男」と「凡人でありながら、天下を掴んだ男」の対比から、読み解けるものがあります。世界史5000年の歴史から生まれた「15の成功法則」を記した『最強の成功哲学書?世界史』から見ていきましょう。

歴史に学ぶ「トップの才覚」。
才能あふれる項羽、だらしない劉邦。天下を獲ったのは?

?紀元前3世紀、始皇帝が打ち立てた秦は、彼の死とともに崩壊していきましたが、その中から、項羽と劉邦という2人の人物が頭角を現しました。この両雄を比較してみると、

? 項羽 … 楚の将軍の家柄。優れた体躯に恵まれ、ひと通り兵学を学び、勇猛で万夫不当の猛将。部下にも慈悲深く、惚れた女に一途。

? 劉邦 … 本名すらよくわからない農民の出。武勇拙く、兵法にも政略にも政治にも疎い。強い者にはへりくだり、弱い者には傲慢で、女にだらしない。

?このように「才覚」という観点から見れば、どう見ても天下を獲るのは項羽のほうが妥当に見えます。しかしながら、現実に天下を獲ったのは劉邦です。なぜこうなってしまったのでしょうか。

?その答えは、大元帥の韓信が劉邦に述べた言葉の中にありました。彼は、項羽では天下を獲れない理由を2つ挙げました。それが「匹夫の勇」と「婦人の仁」です。韓信曰く。

「項王(項羽)は、彼自身が万夫不当の猛将(将才)なれど、それゆえに優れた将軍を信じてこれに任せる(君才)ということができません。これはただの匹夫の勇にすぎませぬ」

?つまり、項羽には「将才はあれど、君才がないため天下の器に非ず」というわけです。

トップに必要なのは、
将才ではなく、君才

?この「将才と君才」については、また別の話があります。あるとき、劉邦が「自分はどれほどの将の器であるか」と韓信に問うたところ、韓信は「そうですな。陛下ならざっと10万といったところでしょう」と答えました。では汝は如何にと劉邦は続けて問いました。

「私なら100万の兵であろうが自在に操れます」
「なんじゃと!?余が10万で、そちは100万か。ならばなぜそちは余の臣下に甘んじておる?」

「私は兵を操るのに長けた“兵の将”にすぎません。しかし陛下は、将を使うのに長けた“将の将”です。兵の将では、将の将に及ぶべくもありません」

?つまり、「兵に将たる才(将才)」と「将に将たる才(君才)」はまったく別物であって、組織の頂点に立つ者は、部下を信頼して使い、また部下から慕われていれば(君才)、他の才(将才)などなくてもかまわないということです。というより、なまじ将才があると、かえって君才の邪魔になるくらいです。

?項羽は、范増・陳平・韓信という錚々たる人材を擁していたにもかかわらず、誰ひとり使いこなすことができず、ひとり、またひとりと項羽の下を去っていきました。これでは、彼が天下を獲れなかったのも自然の理なのです。

なぜ項羽から、人が去っていったのか?

?とはいえ、確かに項羽は、敵に対しては冷酷・残忍・無情で、鬼神の如く怖れられていたものの、そうでない者に対しては礼儀を以て臨み、慈悲深く、ときにやさしい言葉もかけ、思いやりも見せました。

?つまり、家臣たちから慕われる要素は充分持ち合わせていたわけです。にもかかわらず、項羽の下を次々と家臣が去っていったのは、「君才に乏しい」だけでは理由として弱いものがあります。そこにどんな差があったのでしょうか。項羽には、致命的な欠点がもうひとつあったのです。

それが、韓信が指摘した第二の欠点「婦人の仁」です。韓信曰く。
「彼は、部下にはやさしい言葉をかけ、女性のような思いやりを見せることもありますが、いざ褒賞を与える段になると、途端に女々しくこれを渋ります。これは“婦人の仁”にすぎませぬ。これは致命的といってよい項羽の欠点です。大王(劉邦)が天下を望まれるならば、彼の逆を為せばよろしい」

?項羽の逆、すなわち「家臣を信頼して仕事を任せ、功に対しては惜しみなく恩賞を与える」ことです。

得たものはなくなり、
与えたものは増える

?人は、自分が苦労して手に入れたものを頑として手放したがらないものです。どんな才人であろうとも、人ひとりの努力の成果などたかが知れていますから、「あれほど努力したのに、この程度の見返りしかないのか……」という思いに駆られ、より一層「これを手放してなるものか!」となってしまうのも無理からぬところはあります。

?しかし、自分の努力で手に入れたものは、どれほど手放すまいとしがみついてみても、春先の雪の如く、減ることはあっても増えることはありません。それどころか、そんなことをすれば必ず、周りの協力者がひとりまたひとりと去っていき、気がついたときには孤立化し、そんな犠牲まで払って後生大事にしていたものすら、いつの間にか手の中からなくなっています。項羽はこの愚を犯して、その身を亡ぼしました。

与えよ、
さらば与えられん

?項羽の二の舞にならない解決策はひとつ。自分の懐に入れておいてもどうせ消えゆくのですから、消えてしまう前にどんどん周りの人に感謝を込めて与えてしまうのです。得たものは、100%自分の力のみで手に入ったものではないはずです。必ず周りの人の助力、援助、支援があっての成果のはずです。ならば、報酬は入った先から、お世話になった人に惜しみなく与える。

?項羽と劉邦の例で言えば、項羽は、戦いにおいていつも敵を殲滅し、得た領土をほとんど我が物とし、功臣にこれを分け与えることを渋りました。それにより、始めは項羽に従っていた者たちも、ひとり、またひとりと、項羽から離れ、劉邦の下へ走っていくことになったのです

?これに対して劉邦は、なるべく戦わぬことを心掛け、戦わざるを得なくなったときもなるべく敵に降伏を促し、降伏した者には所領を安堵し、功を成した者には、得た領地を惜しみなく与え続けました。そのため、全国から優れた人材が集まり、各地の諸侯が忠誠を誓うようになり、与えた財が何倍何十倍にもなって劉邦の下に還ってきたのです。

?確かに劉邦は項羽に比べ、才には恵まれていなかったかもしれません。しかし、項羽は奪えば奪うほど失っていき、劉邦は与えれば与えるほど集まり、ついに天下は劉邦の下に転がりこむことになったのです。

「得たものは与える」。これを理解できない者は、一時的に成功したように見えることはあっても、必ず足をすくわれることになります。

自利は利他を言う。

?組織のトップに立つ者は、特別な才能などなくても構いませんが、部下を信頼して使う度量と、他人の利益(利他)のために尽くすことが、結局自分の利益(自利)になることを心得、功に基づいて惜しみなく与えることが大切だということを、両雄の人生から学ぶことができます。



(私のコメント)

昨日は小池氏がなぜ総理になれないかを書きましたが、項羽と劉邦の例で見ればわかりやすいと思う。小池氏は才能もあり有能な人なのですが、義理と人情に欠けた面が有り、政界渡り鳥というように変わり身が早く、これでは周囲の信頼が得られない。どんなに功績のあった部下でも簡単に切り捨ててしまう。

「項羽は、戦いにおいていつも敵を殲滅し、得た領土をほとんど我が物とし、功臣にこれを分け与えることを渋りました。」という事ですが、これでは将軍にはなれても君子にはなれません。「組織の頂点に立つ者は、部下を信頼して使い、また部下から慕われていれば(君才)、他の才(将才)などなくてもかまわないということです」

あまりにも才能があるがゆえに、他を見下すということは有りがちですが、小池氏のもとに人が集まらないのは他を見下す癖があるからです。音喜多議員は都民ファーストの大勝利に貢献しましたが、小池氏は選挙が終わると音喜多議員を幹事長から外した。そして新人議員を党の代表に据えた。つまり音喜多議員を使いこなせなかったのです。

小池氏が都知事に当選しても議会には「かがやけ東京」の3人の議員しか与党議員がおらず、都知事が初登庁しても出迎えた議員はこの3人しかいなかった。だから都民ファーストが選挙で勝って都議会の与党になれば、この3人が党の幹部になってもおかしくはなかった。

神野氏の記事にも、「自分の努力で手に入れたものは、どれほど手放すまいとしがみついてみても、春先の雪の如く、減ることはあっても増えることはありません。それどころか、そんなことをすれば必ず、周りの協力者がひとりまたひとりと去っていき、気がついたときには孤立化し、そんな犠牲まで払って後生大事にしていたものすら、いつの間にか手の中からなくなっています。項羽はこの愚を犯して、その身を亡ぼしました。」とあるように、功労者を切り捨てて都民ファーストを自分のものにしてしまった。

「希望の党」が「失望の党」に変わってしまったのは、公認候補を選別する権限を独り占めすることで希望が失望に変わってしまった。選別する役割は前原民進党代表に任せればいいものを、小池氏は人を信用できないのだろう。前原氏自身も民進党の左翼議員を切りたがっていた。

選挙で「希望の党」が大勝する見込みがあれば、立候補するつもりだったのでしょうが、都議会における小池都知事の采配は都政を混乱させただけだった。都民ファースト自体がブラックボックス化してしまって、党人事も小池氏の独断で決まるといった不透明なものになった。その癖が「希望の党」にも出てしまった。

前原氏は、人が良すぎて簡単に偽メールにも引っかかり、言うだけ番長で投げ出してしまって劉邦的な人物ですが、「武勇拙く、兵法にも政略にも政治にも疎い。強い者にはへりくだり、弱い者には傲慢で、女にだらしない。」と言うところはよく似ている。北朝鮮の美女にもハニトラされた。小池氏にも利用されて裏切られるかもしれない。




今のところ、安倍さんの、安倍さんのための解散という奇襲戦法は
効を奏しつつあり、権力をめぐる戦の凄まじさを感じさせてくれています。


2017年10月6日 金曜日

酷い選挙になってきた 10月5日 大西宏

マスコミだけでなく、ネットでも凄まじい希望の党潰しの情報戦が繰り広げられています。長谷川さんや上杉さんというなにかと問題を抱えた方たちが希望の党から出馬するなど、悪意に満ちた怪しげな情報も流れていました。実際は長谷川さんは松井代表浪花節で維新の会公認になったそうです。

維新の公認で出馬、長谷川豊氏「維新はムダ、愚かな行動を…」 透析患者殺せブログは…(1/2ページ) - 産経WEST :

今のところ、安倍さんの、安倍さんのための解散という奇襲戦法は効を奏しつつあり、権力をめぐる戦の凄まじさを感じさせてくれています。

希望の党については、完全に準備不足を突かれ、小池さんの優柔不断さも手伝って、前原さんの思い切った左派切りも、かえって判官びいきの同情を枝野さんが獲得するなど、非常に厳しくなってきました。小池さんの状況を読みながら、結論をだそうとする傾向もかえって裏目にでてきています。

細川元首相が、毎日新聞のインタビューで「応仁の乱みたいにぐちゃぐちゃになってきた」とおっしゃったようですが、急激に希望の党の人気が剥落して、安倍政権安泰の様相になってきました。

「小池百合子=日野富子」説 細川元首相「応仁の乱みたい」で連想強まる? : J-CASTニュース : 

もしかすると、小池さんの選挙観には小沢さんのDNAが流れていて、数の論理で政権が取れるという錯覚、あるいは政権取りに向かわなければ勝てないという錯覚があって、その錯覚上でさまざまな弱みが露呈し、逆風を巻き起こしてしまったのかもしれません。なにか戦法が古いような気がします。今回の選挙は政権取りではなく、安倍内閣を退陣させることが目標だというのは政治の世界では通用しないのでしょうか。

マーケティングには、戦い方の知恵がつまっていますが、すくなくとも今のところ希望の党は、どう共感を広げるかではなく、どう権力を取るかに焦点が置かれていて、まったくマーケティング的発想ではありません。

実際、組織もつくれず、まともに組織として機能していない小池さんの私党の域を越えていない党が政権を担おうというのは無理です。

おそらく数から言っても、選挙後は旧民進党が主導権を取るので、党としての姿カタチが醸成されてくるのは選挙後で、政権を狙うとしても、前原さんが合流してからの次の総選挙でしょうか。

それにして、これほど酷い選挙はないという様相になってきましたが、しがらみが染み付いた日本が変わっていくには、まだまだ時間がかかるのでしょう。残念ながら、今のところ、
日本の姿カタチがこう変わるというビジョンや希望を小池さんが発信できていないところも小池さんの限界かもしれません。


(私のコメント)

選挙がいよいよ始まりますが、自公は奇襲戦法が功を奏して、野党は四分五裂状態で政権選択選挙どころではなくなりました。「希望の党」が小池氏不出馬では大将のいない烏合の衆であり、組織選挙に蹴散らされそうです。小池氏のマスコミの使い方は上手いのですが、都政ではうまくいっても国政では広すぎて浮動票は動かせない。

民進党の不振は、都議会議員選挙でも議席数を減らして、みんな都民ファーストに票が入ってしまった。民進党は既に国民の支持を失っており、単なる野党としての存在価値しかなく、政権復帰は実績からして望めなかった。新しく代表に選ばれた前原代表は、左翼を切らなければ政権復帰は望めないと考えた。

そこで、水面下で小池氏の都民ファーストとの連携で起死回生の建て直しを図ったのだろう。しかし小池氏の周りには人材がおらず、独断専行型であり、国政に進出を図るにしても組織らしい組織ができていなかった。そこで民進党の組織と選挙資金とで国政へ進出を計画していたのだろう。

小池氏の都知事への出馬は、日本初めての女性総理への道が閉ざされての出馬でしたが、予想外の大勝で国政への復帰と総理への野心がもたげて来た。ちょうど稲田防衛大臣は女性総理一番乗りを目指していましたが見事にこけてしまった。安倍政権では小池氏は石破氏支持がたたって、干された状態になっていた。

小池氏は都知事程度なら務まる人材なのでしょうが、総理大臣となると自分の分身となって働いてくれる人材がいなければ務まらない。ところが小池氏にはそのような人材がいないから無理だろう。都知事選挙でも都議会議員の音喜多議員などが都民ファースト大勝の立役者になったにもかかわらず、音喜多氏や上田氏を切り捨ててしまった。

安倍総理も、小池氏を防衛大臣にまで取り立ててもらったにもかかわらず、安倍氏を裏切って石破氏支持に回ってしまった。政界では如何に有能であっても義理と人情がなければ人材が集まらず孤立してしまう。しかし義理と人情に厚くても無能では仕事はできない。

小池氏は非常に有能であり勝負度胸もあるが、人を見下す癖がある。それがためにテレビカメラの前では如才なく振舞っても、それ以外の時は本性が出てしまう。だからスタンドプレーは出来ても組織的プレーがなかなかできない。都知事選挙では一人で戦うことができたが、総理への戦いは組織戦だからボロが出てしまう。

安倍総理は、一度政権から降りているが、再び政権を取ることができたのは、不遇な時でもついてきてくれた仲間がおり、再び引き立ててくれた議員がいたからですが、有能だが義理人情に欠けた政治家では日本では特に総理になることは難しい。なったとしても短期で降ろされてしまう。

小池氏の若狭氏への扱いも気の毒なほどですが、腹心の友である仲間にもテレビに出るなと言えるドライさがある。まさに小池氏のメディアに対する感覚はプロではあるのですが、今回は「さらさらない」などの失言が目立つ。思い通りに行かないと周囲に当り散らすのだろう。




私も年功序列制がいいと考えております。アメリカ型の成果主義は、アメリカ人と話して
いても一部の人だけがいいと考えています。年功序列制は、世界に誇る人材育成法


2017年10月5日 木曜日

バリの兄貴「日本は年功序列を取り戻すんや!」 バリの兄貴こと丸尾孝俊氏を迎えて(1) 10月4日 大城太

ずっと海外にいる兄貴から見て、今の日本をどのように感じていますか? 特に働く環境をどのように感じていますか?

兄貴僕がずーっと思っていること。やっぱり、日本はね、勢いよく年功序列を取り戻す必要があると思ってます。いろんな職業の中で、昔は当たり前やった、年功序列制度、これを取り戻してかからんと、助からんやろなと思っています。

 これはね、職人さんに限らず、いろんなオフィスや営業の仕事においても、やっぱり経験を積んだ人が、常に上司にある状態。どっちかいうたら、立派な大学出たから出世街道でキャリアという考え方よりも、いかに実際実務をこなしてきた方かというのが肝心。よりよいサービスや、人が唸るモノづくりだったりとかが、欠かせないと思ってます。

大城私も年功序列制がいいと考えております。アメリカ型の成果主義は、アメリカ人と話していても一部の人だけがいいと考えています。

 旧来の日本型の年功序列制は、世界に誇る人材育成法だと思います。年功序列制だからと言って、若い人にチャンスがないわけではありませんので。

兄貴:この年功序列型の社会をね、じゃーどういうふうに作っていくんですかと。今後の日本は、どういうふうに助かるんだろうな、どういうふうに上向きになるんだろうなと、真剣に考えると、もう一度、高卒であるとか中卒であるとか、こういった若者の就職枠を積極的に設ければ良いと真剣に思ってるんです。

 例えば、中卒であったら、高校で3年間、大学で4年間だとしたら、7年間実業実務の修行ができるわけや。7年もあれば、そこそこの板前、コックさんになっていたり、そこそこの経理や人情備わった人事ができたりと社会に通用する実戦向きな成長ができる。実際実務にあたれば、本当の職人さん、本当のビジネスマンを育成、そして誕生可能と考えています。

 だから中学や高校を卒業しても、就職先が見当たらん、ましてや大学出ても就職せず将来の検討がつかんような人生だったら、日本は救われないと感じます。企業や社会風潮も大卒でないと採用せん、そもそも残念な傾向やわ。一刻も早く社会で活躍してもらおうと思えば、より若いうちから社会に出さないかん。

 それは、丁稚奉公! 住み込み見習い! より若いうちが柔軟や。

大城適性や本人の希望は大切ですね。就職のためには大学へ、だと本末転倒になっていますね。

それは、大手企業に限らず、どこでも年功序列を見直さなくてはならないということでしょうか。

恥ずかしさを感じる前にたたき込め

兄貴:結果、何が違うか言うたら、貢献率が圧倒的に違う。実際に経験を永年積んできた先輩。それは係長だったり課長だったり部長だったりするかもやが、これら先輩が別に役職なくても20年間培ってきた事があったとしよう。そういった人たちの仕事を的確に、そして上手に次の世代に担わせるためには、一刻も早い入社、より若い時代に入社させること。それこそが業績アップの近道だと思っています。

 大学卒業を待って入社させるのではなく、中学、高校、専門学校卒業とともに入社させて、恥ずかしいという感情が薄いうちに、できる人材を育成、形成する。というか、収入がキチンと確立出来るだけの状態を、何とか30代までには構築して、結婚を急いでもらうわけです。子だくさんの日本を目指したい。

 現状、高度成長期に人口増加によって構成構築された日本のインフラを維持、カバーする事は、働き手が3分の1になると言われている現状、容易なことではないんや。このままでは大変なことになる。だから一刻も早く、若いうちから就職出来る仕組みを、各企業がこぞって構築する。そういう修行枠を設けるんでもええかも知れんが、そこから社会第一線の先輩方に鍛え上げられた若者と、立派な大学、学校を出て就職したばかりの者と、お互いどれぐらい頑張れるかな? 勝敗は歴然なはずや!

大城:今、兄貴がおっしゃられた恥ずかしさを感じる前というのが、結構ポイントのように思います。

兄貴立派なカンバンを背負った人、例えば立派な大学を卒業した人、これがぶしつけに仕事ができないといって怒られる。確かに学校は出たけど年期なく1年そこらで出来るわけないのにや。これは本人にとって屈辱的で心理的にも恥ずかしいと感じてしまうねん。

 ところが、中卒だったり高卒だったりすると、自分はまだまだ未熟であり先輩に従う事が前提になるわけや。自分も中卒やからようわかる。だからいろんなことを真摯に受け止めやすい。ということは、社会が年功序列を一気に取り戻そうとしたら、見よう見まねで仕事見せてやる事、見せて育てる事。つまりたたき上げや。仕事教えてくれる人、教わった人が身近にあるという状態を継続化するべき、そんなように思います。

今の日本は年功序列が崩れていると思われますか

兄貴:ずいぶん崩れてきたように思います。これは、企業の都合もあるんだろうし、情熱を持ち続けて人を育て続けて常に先頭を走り続けてくれる先輩ばかりとは限らんし、永年続けた仕事が飽きたかのように仕事せん先輩管理職に高い給料を払い続けるわけにもいかん。いろんな問題あるんやと思うんだけど、名刺に役職と別に勤続年数印刷するとか、何とか情熱取り戻し伝統も取り戻さんと残念な事になる。(後略)



(私のコメント)

10月に入っていよいよ秋も深まってきました。今朝は空気もひんやりとして11月の陽気だといいます。私も夏の陽気のボケ気味だったのが、気持ちもシャンとなって気持ちも引き締めていかなければなりません。しかし今年の夏は雨ばかりで夏らしいカンカン照りの日がほとんど無かったような気がします。

政治の世界も、全くわけのわからない事態になっていますが、北朝鮮のミサイルが日本のEEZ内に打ち込まれる事態となり、日本上空をICBMミサイルが横切るとなれば、日本の国民世論も変わってきます。民進党が解党してしまったのも北朝鮮の金正恩のおかげでしょう。

安倍総理はこれを絶好の機会として、衆議院を解散に打って出ましたが、憲法改正も視野に入ってきました。今までの自公体制では憲法改正は無理な状況でしたが、希望の党がどれだけ議席を獲得するかにかかってきました。小池氏の日本人離れした強烈な個性はエジプト仕込みなのでしょうか。

最近では、誰も彼もが大学に進学しますが、高校から大学は一番自我の育成に大切な時で有り、本来ならば社会に出て職業訓練を受けるのにふさわしい時なのですが、高校大学と無駄な時を過ごしてしまうと、社会に適応ができない人材を大量生産しているような気がします。

それくらい15歳から25歳頃は非常に大切な時期であり、この時期を漠然と過ごしてしまうと一生涯その影響を受けてしまうだろう。高校を出て就職するのと、大学を出て就職するのとでは、会社に対する順応性に大きな違いがあるような気がします。

高校出て18歳くらいの時なら、体力も順応性もあり上司に叱られても未成年だから、仕事ができなくても恥ずかしいと思う気持ちも薄い。しかし大学を出た人が就職して、いきなり仕事をさせてもなにもできるわけがなく、上司に叱られればショックを受けて引き籠もりになってしまう。

私自身も、大学を出て会社に就職して一番こたえたのは、大学時代のルーズな生活から、いきなり生存競争の厳しい社会生活となり、会社の雰囲気に馴染めず会社を辞めたいと思ったくらいだ。高校生活から会社なら比較的順応はしやすいが、大学から会社に入ると、非常に体力的にきつかったように感じた。

手に職を付けるにしても適齢期があり、スポーツの世界でも15歳から25歳くらいがピークになるスポーツが多い。プロ野球にしてもプロサッカー選手にしても一番技を身につけられるのはこの世代だ。だから高校大学と遊んでしまうと手に職が身に付かず、家で引き籠もりになりやすい。高学歴化と引き籠もりは関係がある。

最近では大学進学率が高まり、過半数が大学に進学しますが、これは大学が就職予備校のようになってしまって、卒業証書が就職の条件のようになってしまっている。しかしFラン大学が増えてきて、能力の伴わない大学卒業者が増えて、社会不適応者を大量生産している。

しかし社会も、高度技術者を大量に必要としているから高度専門教育を否定しているわけではない。しかし文化系の大学を出て、会社からいきなりコンピュータプログラムを書けと言われても無理だが、現実にはそのような状況が生じている。医者や弁護士や会計士など高度な学力を必要とする職業も増えてきましたが、若いうちから仕込まないと身に付かない職業も増えている。

現在の教育制度は、高学歴者を大量に生み出しているが、社会とのミスマッチが大きくなってきている。私が銀行員時代に感じたことですが、大学を出たはずなのに、それにふさわしい学力が身についていない大卒者が多かったように感じた。要するに本もろくに読んでいないような大卒者が多いのだ。

だから会社で高度な事を教えようとしても基礎学力がなければ身に付かない。もっと分かりやすく言えば、大学を出ても英語も読めない話せない大学生がほとんどだ。理工系でも数学がわからない大学生では技術者として使えない。鉄は赤いうちに打てと言いますが、大学を卒業してから打っても鉄は硬くなってしまっている。




大都市圏や地方都市を除いた大部分の日本の不動産は日に日にその
価値を落としている。人口減少が進む中、この流れが弱まることはあり得ない


2017年10月4日 水曜日

不動産は今こそ売り時 「グズグズしている余裕なし」の理由 10月1日 NEWS ポストセブン

アベノミクスによる地価上昇や人件費・資材費の高騰などで、大都市圏を中心にバブル化している不動産価格だが、すでに高止まりの現象も起きている。近著に『2025年 東京不動産大暴落』がある住宅ジャーナリストの榊淳司氏は、「不動産は今こそ売り時」と指摘する。その根拠とは?

 * * *
 ザラザラとした、嫌な予感が都心の不動産市場に広がってきている。

 まず、リーマンショック前に日本を席巻した「不動産ミニバブル」の頃から、都心の不動産価格は金利と負の相関関係を深めてきた。つまり、金利が下がれば不動産価格は上がり、金利が上がれば安くなる。

 その理由は、東京都心の不動産が実際に住んだり使ったりという実需の他に、金融商品としての投機・投資の対象という面を強めたことにある。金融商品というのは株や債券の類である。

 その典型的な例がJリートである。Jリートは賃貸で収益を生み出すオフィスビルやホテル、住宅などに投資し、それを小口化して一般の投資家などに投資信託として販売している。賃貸収益はほぼ100%無税でJリートを購入した投資家に配当される。まさに、不動産を金融商品化したものだ。

 その登場は2001年。今では銘柄数も60に迫り時価総額は12兆円弱。不動産市場の中では高いプレゼンスを占めるに至っている。ありていに言うと、都心のオフィスビルや高級賃貸マンションを「買いまくっている」のがJリートなのだ。

 現状、Jリート各銘柄の配当利回りは3%台から7%のものまであるが、主要銘柄は4%前後が目安になってきた。そして、彼らが最近購入している物件の収益利回りを見ていると3%台のものが珍しくなくなった。

 Jリートは融資金利0.2%程度で銀行から資金を調達できる。それで購入できるギリギリのラインが収益利回り3%台の後半の物件。それ以下の収益利回りだと健全な配当を出せない。

 一方、個人投資家の間では依然として不動産投資がブームだ。だが、ここに来て「収益モノ」とよばれる1棟売りのアパートやマンションの市場では、「どんづまり」のような現象が起きている。

 カンタンにいうと「美味しい物件がない」という状態。不動産投資の世界で「美味しい物件」というのは、賃料収入が安定していて10%以上の高利回りが見込める不動産。俗に「グロテン」と呼ばれたりする。意味は「グロス(表面)利回りが10%以上」。例えば物件価格が3億円で月額家賃収入280万円だったら12か月で3360万円となり表面利回りは11%、立派なグロテンだ。

 最近、都心や近郊エリアでは物件価格が上昇して表面利回りが10%を超える案件がきれいになくなった。そういう物件があるすれば「ワケあり」か、郊外の人の住みたがらない立地。つまりは投資家から見ると「美味しくない」物件だ。

 そして、投資向け不動産市場に出ている物件の利回りを見ると、見事に5%前後に収斂している。なぜ5%前後かというと、個人投資家向けの銀行融資金利は2%弱が目安。例えば1.8%で融資を受けて不動産投資を行う場合、利回りが5%以上ないと賃料収入から返済を引いた「手残り」と呼ばれるキャッシュフローが極端に悪くなる。投資をしているのに果実を得られないわけで、それでは銀行融資というリスクを背負う意味がない。

 1棟ではなく住戸単位で運用する投資向け物件は、業界内で「区分」と呼ばれる。区分所有の略だ。ワンルームマンションも区分の1種。区分の場合、投資金額が低い分、投資家の属性も広がっている。サラリーマンや勤務医が給与所得との損益通算狙いで新築ワンルームマンションを買っているケースも多いが、それは手残りがほとんどない不健全な投資だ。

 中古あるいは新築の区分を購入する投資家もいる。そういう方は収益狙いというよりも、値上がり期待のように見える。現状、都心エリアの新築マンションを購入して賃貸運用すると、実質利回りが3%台。中古で4%台が相場観だ。

 ワンルーム以外の区分は実需で購入する方もいる。彼らは家賃との比較で購入の可否を決める場合が多い。この場合、購入した場合は管理費や固定資産税、借りた場合は更新料などがかかるので単純な比較は難しいのだが、現在の都心の相場観は概ね家賃の30年分弱といったところだ。そのあたりが「買った方が安く上がりそう」と思えるギリギリなのだろう。

 整理してみよう。

1、Jリートの購入対象であるオフィスビル等の運用利回りは4%弱に収斂
2、一般投資家の購入対象である収益モノの運用利回りは5%前後に収斂
3、区分所有単位のマンションの価格も収益利回り4%か家賃30年弱に収斂

 この現象をどう見ればよいのか? 確実に言えることは、すべて金利に連動しているということだ。それも負の相関関係で。

 Jリートなどは金利と負の相関で直結している、といっていい。彼らの資金調達金利が上がれば、それに合わせて購入不動産の利回りを上げなければいけない。つまり、運用利回りの高い(物件価格は安い)不動産を求めるようになる。市場へは下落圧力だ。

 一般投資家が対象の収益モノ市場も同じ。融資金利が上がれば運用利回りの高いものしか買えなくなる。これも下落圧力。

 区分所有も同様。住宅ローン金利が上がれば家賃との兼ね合いで購入できる予算が下がってしまう。これも新築や中古マンション市場への下落圧力。

 では、日本の金利は今後上昇する可能性があるのか? 答えを言ってしまえば、今のところない。長期金利は0%に誘導されている。

 ただ、ひとつ言えることは0%より低く下がることはない。つまり理論的には今以下には下がらないのだ。そして、いつかは上がる。それがいつかは今のところ見えていない。

 不動産の全カテゴリーの価格が金利に連動して上がるところまで上がり切った状態が今。これを逆に見れば、これ以上は上がらないと捉えられる。少なくとも今以上に上がったら、一気に需要が萎むはずだ。

 現在の超低金利をもたらした異次元金融緩和は、2013年3月に黒田東彦氏が日銀総裁に就任してから始まった。彼の任期は2018年の4月まで。

 アメリカではFRBの議長にイエレン氏が就任してから金利が少しずつ上がってきた。金融緩和の縮小も始まっている。欧州でも金融緩和から引き締めに転じた。いずれ日本も世界の潮流に倣って金融引締めが始まるだろう。その時、今のように見事に「上がるところまで上がり切った」不動産価格は一気に崩れ始めるかもしれない。

 もし、あなたが使っていない不動産をどこかに持っているのなら、売るときは今だ。今ならまだ値がつくかもしれない。しかし、金利上昇による不動産市場の崩落が始まったら、よほど立地の良い物件でもない限り、買い手さえ現れない可能性が高くなる。

 現に今、大都市圏の都心部や元気のいい福岡や仙台、京都といった地方都市を除いた大部分の日本の不動産は日に日にその価値を落としている。人口減少が進む中、この流れが弱まることはあり得ない。グズグズしている余裕はない。売るべきものは今すぐ売却に取り掛かるべきである。



(私のコメント)

最近はネット上での不動産物件をよく見ているのですが、通勤圏外の中古の一戸建て住宅をよく見ています。週末別荘用にどうだろうかと考えていますが、ビルで生活していると土の庭がどうしても恋しくなります。しかしあまり遠くでは時間もかかるし交通費もかかる。

週末別荘となれば、毎週通うようになるから、2時間以内程度で1000円程度の電車賃で行けるところが望ましい。駅からバスで何分というような物件だとかなり安く買えます。築30年程度でリフォーム済みの一戸建てが300万円台で買える。土地も50坪以上有り駐車場もついている。物件によっては広い庭もついている。

千葉にもアパートがありますが、海の近くなので電車賃もかかるし時間もかかる。だからセカンドハウス的な一戸建てを探しているのですが、バブル最盛期に建てられたものが多く、車で近くに駅まで通勤するスタイルだったのでしょうが、都心までには2時間近くかかるだろう。それで今頃になって売りに出される物件が多いようだ。

80年代から90年初頭ころまでは、モータリゼーション真っ盛りの頃であり、私も駐車場を探すのが大変な時でしたが、最近では車に乗る人も少なくなり、ガソリンスタンドも次々閉鎖されている。そうなると郊外の住宅は陸の孤島となり、自然は豊かだが生活には不便になり都心回帰が始まっている。

確かに郊外の一戸建て住宅は、子育てにはいい環境ですが、子供が大きくなり就職するようになると、通勤に不便な親の家を離れて都会のマンションで生活するようになる。親の世代も高齢になって通勤が苦痛になり、家を手放す人が多くなったようだ。

チバリーヒルズと言われた高級住宅街も空家だらけになり、価格も暴落してしまった。ニュータウンの管理費用だけでも十数万円もかかるようでは住める人も限られる。私自身は団塊の世代が定年退職すれば、郊外の週末別荘のようなところで優雅の老後を過ごすライフスタイルになるだろうと想像していましたが、実際には都会のマンションで老後を過ごす人が多いようだ。

若い夫婦世帯も、夫婦共稼ぎが多くなり、都会のマンションでないと夫婦共稼ぎができない。郊外の一戸建て住宅は専業主婦が家を守ることが前提だった。Jリートなどの投資もミニバブルで利回りが低下しているということですが、4、5年前までの不動産投げ売りの時代は終わったのだろう。

確かに最近では投資物件としての高利回りの物件がなくなってしまった。銀行も不動産向けの融資を絞り始めたようだ。バブルの兆しがあるからですが、節税目的のアパート建設が社会問題化している。都会の駅近物件ならともかく、郊外の駅から遠いアパートやマンションは借り手がいない。

私が郊外の一戸建てを探しているのは、投資が目的ではなく週末別荘としての実需だ。できれば家庭菜園ができるくらいの畑もあれば理想的だ。しかし都会の便利な生活も捨てられない。これからは郊外の空家問題はますます大きくなっていくだろうから、掘り出し物も出てくるはずだ。




歴史から学べない左翼であるという意味で、米国とロシアは二卵性双生児なのです。
米国もロシアも言わば左翼同士の内ゲバ、もしくは内紛を繰り広げてきただけの話。


2017年10月3日 火曜日

安倍首相は「真の保守」ではない!西部邁氏が迷走政治を一刀両断 10月3日 西部邁

どちらも歴史から学べない左翼であるという意味で、米国とロシアは二卵性双生児なのです。そのような両国が対立したのは、米国が個人主義的な方向で変化を起こそうとしたのに対し、ソ連は共産党の集団主義的な指導のもとでそれを推進しようとしたからです。

 要するに、「どちらが中核で革マルなのか」といった程度の違いにすぎず、米国もロシアも言わば左翼同士の内ゲバ、もしくは内紛を繰り広げてきただけの話。こうした背景を知らないまま、ジャップは長く保守と革新の意味を捉え違えてきました。

 繰り返しになるけれど、今の安倍政権なんて、保守とはまったく何の関係もない。それなのに安倍首相は日米が100%の軍事同盟関係にあると悦に入る始末で、戦後の日本人の愚かさ加減がにじみ出ていると言えるでしょう。

世間はポピュリズムと
ポピュラリズムを混同している

――米国べったりと言えば、日米軍事同盟やわが国の安全保障の在り方については、北朝鮮情勢の緊迫化などを機に、改めてスポットが当てられていますね。

 そもそも、治外法権となっている外国の軍隊の基地が国内にあり、憲法さえ他国からあてがわれた日本が、独立国であるはずがない。カーター政権下で安全保障問題を担当したブレジンスキー大統領補佐官(当時)が断言したように、日本は米国の保護領であるのが実態。自治領で大統領選挙の投票権は持たないプエルトリコと変わらない立場にすぎないでしょう。

 集団的自衛権にしても、本当に日本を米国に守らせたいなら、相応の対処が求められます。米国は自国に実害が及びそうなら守ってくれるけれど、そうでなければ動いてはくれません。

 まずは、日本が個別的自衛でもって、ギリギリのところまでは自力で頑張るという姿勢を示す必要がある。すなわち、「日本も核武装を行うべきかどうか」が議論になっても当然にもかかわらず、ずっとタブー視され続けてきました。

 日米安保には双務性があると言われるが、相手側にそれを果たしてもらうためには、自分自身にも実力がなければならない。それは自衛力のみならず、外交力や政治力も含めてです。(中略)

戦後の日本には
革新派しか存在してこなかった

 しかしながら、僕は人間が素晴らしいとはこれっぽっちも思っていない。人間なんてロクなものではないと自覚する力を備えていることがせめてもの救いであって、性善であるのはせいぜいその分だけです。

 ましてや、ペルフェクティビリティ(完成可能性)なんておこがましい話です。完成してしまうと、人間は神と化すわけだから。ニーチェは「神は死んだ。人間が神を殺したのだ」と記しているけれども……。ともかく、己の顔を鏡に映せば、とても完成可能性があるとは思えないはず。保守派の見解のほうが正しいのです。

 ところが、戦後の日本には革新派しか存在してこなかったのが現実だった。左翼のみならず、自民党さえも革新という言葉を口にしてきたのです。おそらく日本では、変化によって一新させることがよきものだと思い込まれてきたのでしょう。

 みなさんがたは、「リボルーション」(Revolution)の真意をご存じですか? 「革命」と訳されているが、「再び(Re)」と「巡り来る(volute)」が組み合わさった言葉で、「古くよき知恵を再び巡らせて現代に有効活用する」というのが本来の意味です。愚かなことに現代人は、いまだかつてない新しいことをやるのがリボルーションだと解釈してしまった。

 維新という言葉にしても、孔子がまとめた「詩経」の一節「周雖旧邦 其命維新(周は古い国だが、その命〈治世〉は再び新たに生かせる)」を引用したもの。改革(Reform)も然りで、本来の形式を取り戻すというのが真意なのです。(後略)



(私のコメント)

自民党は中道政党であり、決して保守政党ではありません。だから国会内には保守政党の議席がない。安倍総理は中道右派の政治家であり、保守政治家ではありません。保守というのは歴史と伝統を守れという政党であり、アメリカは戦後において戦前の歴史を遮断してしまった。

その証拠にGHQは、7000冊に及ぶ書籍を焚書処分にしましたが、アメリカは日本の歴史を書き換えてしまった。大学からは歴史学の教授が追放されて、マルクス歴史学者が大学教授となりそれが今まで続いている。アメリカとロシアは双子の兄弟国家であり、どちらも歴史と言えるような歴史がなく、当然守るべき歴史と伝統すら存在しない。

保守派の歴史観は、アメリカによって封殺されてしまいましたが、日本とアメリカとの戦いはペリー来航から始まったのであり、日本はアジアの開放と人種差別撤廃を戦前から訴え続けてきた。しかしそのような歴史観はアメリカにとっては好ましいものではなく、日本は戦争犯罪犯した犯罪国家でなければならないのだ。

日本から見ればロシアもアメリカも左翼国家であり、「米国側につくのが保守でソ連側につくのが革新だ」という政治の構図は間違いだ。米国側も左翼ならロシア側も左翼であり、日本に保守政党がないのは、そのような存在が許されてこなかったからだ。あれば保守派=ナチだとマスコミに書き立てられてきた。

ナチスも名前が示すように左翼であり、それに対する日本の軍国主義は右翼であり同じ政治思想ではない。西部氏が言うように「米国とロシアは二卵性双生児なのです」同じ左翼だから、アメリカやロシアには国王も皇帝も存在しない。つまり保守派はいないのです。

だからアメリカは日本の左翼やリベラル派には寛容ですが、保守派にはかなり警戒している。田母神氏が論文を発表しましたが、それが元で田母神氏は航空幕僚長を罷免された。このことは自民党ですら保守派とは一線を画しており、日本には保守派の政治家は自民党から離党させられて数える程しかいない。

親米派と保守派とは本来は対立する存在であり、親米保守は論理矛盾する。だから安倍総理にしても決して保守派ではなく、単なる親米派と見るべきだろう。日本の真の独立は外国の軍事基地はあってはならず、駐留なき安保が本来あるべき姿だ。アメリカにとっては左翼の反米は怖くないが、保守派の反米には警戒する。

自民党が結党以来、憲法改正をほったらかしにしてきたのも、自民党は保守政党ではない証拠ですが、アメリカから押し付けられた憲法を守ってきた。西部氏は「いつの間にか世間では、「ポピュリズム=大衆迎合主義」などいった解釈がなされるようになっています。そこで、僕は何十年も前から、「大衆迎合主義のことをポピュリズムと呼ぶな! 要は人気主義なのだから、ポピュラリズムと呼べ!」と訴え続けてきたわけです。」という事ですが、小池氏はポピュラリズムなのだろう。

日本の政治家は「改革」という言葉が大好きですが、「改革」も「革命」も「維新」も「本来の形式を取り戻すというのが真意なのです。」ということであり、一新させるという意味とは違うのだ。安倍氏も小池氏も「ポピュラリズム」であり、保守主義でもなければ、「維新」でもない。




軍事革命をもたらす人工知能兵器 米軍の実験では、人工知能は空軍ベテランパイロット
とフライトシミュレータ上での対抗試合をして、すべてのケースで勝利を収めた。


2017年10月2日 月曜日

防衛投資が防衛力強化と技術水準向上に役立つ  10月1日 伊勢雅臣

■軍事革命をもたらす人工知能兵器
(古是三春「世界はすでにai戦争の時代」、「正論」H28.10)

・人工知能搭載の安価で小型の無人戦闘機は、かつての日本の特攻機の無人化版。大編隊で敵艦隊を襲えば、従来の防空システムを一挙に陳腐化する。米軍の実験では、人工知能は空軍ベテランパイロットとフライトシミュレータ上での対抗試合をして、すべてのケースで勝利を収めた。

・広い領海を持ちながら、それをカバーする人員と艦船が不足気味のわが国にとって、人工知能搭載の無人艦船が画期的な装備となる。軍事要員の数を減らし、養成・維持コストを低減でき、人員の危険も極少化できる。少子高齢化の進む先進国向き。中国に対して人口が少ない、賃金が高いと言う日本のハンディをカバーし、かつ量産技術に優れた日本の長所を最大限に発揮できる。

■自前の技術開発が重要
(石原慎太郎、織田邦男「国防の礎に目を向けぬ者たちへ」、「正論」H28.7)

・(石原)アメリカの航空機産業は日本の技術による最先端部品なくしてはなりたくない。炭素繊維も米軍のF22戦闘機のレーダーに映らない外面の特殊塗装も日本の技術によるもの。高度な軍用機や旅客機のコックピット内はほとんど日本製だといっていい。その強みを材料にした交渉をこの国の政治家も役人もしようとはしない。

・(織田)国産開発や共同開発はライセンス生産などと違って、自由に改良できるメリットがある。F2は最初はちんけだなと思ったが、アメリカの許可なく自前で改修し、どんどん性能アップできた。ロールアウトして25年以上たって、いまやたいした高性能機に仕上がった。

・(織田)三菱重工業が製造した「心身」と言うステルス実験機が初飛行に成功。約400億円を投じ、平成22年から試作を始め、国内の200社以上の協力を得て9割超の部品が国産。航空機の開発は伊勢神宮の式年遷宮と同じで、技術継承のためにも必要。

・(石原)三菱重工の社長、会長を務めた飯田庸太郎氏(故人)は、「防衛産業で日本のお役に立てなければ、三菱が存在する意味がない。儲かるからやる、儲からないからやらないではなく、持って生まれた宿命と思っている」と語ったと伝えられている。まさに戦後は三菱やIHI、川崎重工、富士重工などの民間企業が防衛産業を維持してきた。

■軍事産業に資金を投入し、防衛確保と技術レベルの引き上げを
(本村久夫、用田和仁、矢野一樹「中国に尖閣を奪われない方法・・・南西諸島はこう守れ」、「正論」H28.10)

・(用田)中国の軍人ははっきり「第一列島線(日本−台湾−フィリピン)は中国にとって障壁だ」と言っている。中国は沿岸部が繁栄しており、経済的にも軍事的にも核心的な地域だが、第一列島線が敵の手にあると、沿岸地域は安全ではない。だから彼らはどうしても第一列島線を手に入れたい。

・(矢野)第一列島線を通らないようにするためには潜水艦による通峡阻止と機雷の敷設。

・(用田)南西諸島に対艦・防空ミサイルを置き、さらに日本はアスロックという対潜水艦ミサイルも持っている。潜水艦や機雷と合わせてがっちりとした壁を作る。米国もこのアイデアに賛成し、台湾やフィリピンに対しても同じような態勢を作ったら、という提言をし始めている。

・(用田)米国は大量に飛んでくるミサイルを払いのけるためにレーザー、マイクロウェーブ、レールガンに切り替えようとしている。日本はこれらに関して相当な技術を持っている。

・(矢野)日本がかつて高度経済成長をなし得たのは、先の大戦中に培った軍事技術が米国の大量生産方式と組み合わされて一気に花開いたから。軍事産業に資金を投入するのは決して「死に金」ではなく、一刻の技術レベルを控えることのできる、実に有効な投資。


(私のコメント)

今回の衆院選挙では、北朝鮮問題が争点なのですが、安倍総理もこの事はあまり言わないのはどうしてなのだろうか。北朝鮮をあまり刺激したくないということなのでしょうが、刺激しているのは北朝鮮の方であり、日本上空をミサイルが飛んだり水爆実験をしたり、空襲警報が鳴り響いたりと戦時下のようだ。

このような状況で、中国や北朝鮮の代理人のような共産党や民進党は国民の支持を失い、いろいろと看板を架け替えているようですが、過去に言った事は取り消すわけにもいかないから、リベラル勢力は全滅の危機に直面している。それで民進党は「希望の党」に潜り込んで生き残りを図ろうとしていますが、無駄な努力だ。

日本の戦後のリベラル勢力は、中国やロシアはもとより、アメリカのリベラル勢力の支援を受けてきた。だからマスコミもほとんどがリベラル勢力であり、90年代では歴史問題に触れただけで大臣や長官の首が飛んだ。アメリカの日本叩きで保守派は米中の挟撃に遭った。

軍事予算もGDPの1%を守らされて防衛予算は20年間凍結されたままだ。アメリカは表向きには防衛努力を迫ってきていますが、国産のジェット戦闘機まで作らせてはもらえない。さらには日本の首相が靖国神社参拝にまでアメリカ大使館や国務省は口出しをしてくる。このような状況では防衛予算も増やせず憲法改正もままならなかった。

その状況が変わってきたのは、トランプ大統領の登場であり、アメリカ第一主義を掲げて内向きに変わってきた。オバマ大統領までは中国との宥和政策をとってきましたが、トランプ大統領は対中政策を変えてくる可能性を示し始めている。オバマ大統領は中国や北朝鮮が何をしようが放置主義であり、それが今日の北朝鮮問題をこじらせた原因だ。

現代では、核ミサイルの時代であり、核ミサイルには防御手段がなく、全面戦争は起きていない。起きているのは地域紛争でありゲリラが出没する戦争であり、このような戦争はアメリカは弱い。朝鮮戦争でもベトナム戦争でもアメリカは勝てなかった。中東での戦争も長期化して泥沼化している。

アメリカは核を持たない国には戦争で介入してくるが、中国やロシアなどのような核大国との戦争は避けてきた。ならばと北朝鮮は核とミサイルを開発してアメリカを挑発している。北朝鮮は1年以内にアメリカまで届くICBMを開発するだろう。水爆実験も行っているから、アメリカに水爆が落とされる時が来るかもしれない。

中国やロシアは影では北朝鮮を支援しているのですが、表向きにはアメリカに同調して経済制裁に加わっている。アメリカはいまだに中東で泥沼に浸かっており、戦争を止める事ができないでいる。このような状況で北朝鮮から核ミサイル攻撃の挑発を受けているのですが、アメリカは動くに動けない状態だろう。

日本は未だにアメリカに軍事占領された状態であり、先日も「朝生」で田原総一朗は「日本はアメリカの植民地」だと言っていた。そうだとすれば、北朝鮮の金正恩には頑張ってもらって、水爆の一発や二発、アメリカに落として欲しいものですが、日本を軍事占領しながら北朝鮮には手も足も出せないアメリカという国はなんだろうか。

日本の真の独立には、中国や北朝鮮に頑張ってもらって、東アジアからアメリカを追い出して欲しいものですが、北朝鮮に手も足も出せないとなればアメリカの権威は失墜してしまうだろう。在韓米軍も在日米軍も存在意義はなくなり本土に戻らざるを得なくなるだろう。抜けた軍事空白には中国やロシアが出てくる。

アメリカはシリアでも無力であることが証明されて、ロシアがシリアに出てきた。ロシア軍がクリミア半島を軍事占領してもアメリカは軍事的に何もできなかった。このように見ればアメリカの衰退は明らかであり、原子力空母も原子力潜水艦も朝鮮半島の周りをウロウロするだけで、北朝鮮を押さえ込めない。

本当に北朝鮮からミサイルが飛んできたら、現在のMDでは防ぎきれないからだ。北朝鮮に対抗するには日本の核武装を認めるしか北朝鮮を押さえ込む手段はない。そうなれば在日米軍は必要がなくなり、本土に引き揚げることができるようになる。北朝鮮や中国やロシアの脅威にさらされることになるが、MDを独自に開発する必要があるだろう。

これからの戦争は、無人兵器によるAI戦争であり、ロボット兵器同士の戦争になる。ミサイルも無人兵器の先駆けですが、ミサイルを打ち落とすMDの完成は近い将来あるだろう。「レーザー、マイクロウェーブ、レールガンに切り替えようとしている。日本はこれらに関して相当な技術を持っている。」という事ですが、北朝鮮の脅威に対抗するにはこれしかない。




彼女の月収は約100万円である。彼女にはネイリスト・アイリストとしての仕事の
他に、メーンの収入源となる仕事がある。その仕事場が宇都宮なのである。


2017年10月1日 日曜日

36歳ネイリスト月収100万円、彼女の「ヒミツの副業」とお金の行方 2016年10月26日 鈴木涼美

元・日本経済新聞記者にして元・AV女優という、異色の経歴を持つ気鋭の文筆家・鈴木涼美さんの新連載が始まります! テーマは「オンナのオカネの稼ぎ方と使い方」。

今回登場するのは、ネイリスト兼アイリスト、なのに月収100万円の女性。彼女のオカネの稼ぎ方と使い方は一体?

高収入オンナの内実

涼美さんのお知り合いである、とある36歳女性の話。

彼女のお家は品川区のビル街にある20階建のマンションで、間取りは1LDK、家選びの条件はペット可のオートロック、駅からは10分以内であった。パピヨンとチワワの2匹の犬を飼っており、ベッドはダブル、備え付けのクロゼットの他に組み立て式の洋服ダンスを2セット購入した。

身長157センチ、細身でショートボブヘアの彼女の職業は「ネイリスト兼アイリスト」である。ネイルサロンでマニキュアを塗ったりジェルで爪を加工したりするほか、近年「つけまつげ」の代わりに大流行しているまつげエクステの施術をする。

もともと20代の頃はネイルのみを専門としており、渋谷にあるネイルサロンなどで月収約18万円で勤務していたが、まつげ施術のスクールにも通い、現在は知人が個人経営する五反田のネイル&まつげエクステサロンで不定期に施術に入っている。

彼女の月収は約100万円である。

実は品川区の自宅の他に、宇都宮駅近くにワンルームマンションを借りており、双方を合わせた家賃は約23万円。1ヵ月のうち1週間強を品川区で、残りを宇都宮で過ごす。そういう生活になってすでに2年近い。

彼女にはネイリスト・アイリストとしての仕事の他に、メーンの収入源となる仕事がある。その仕事場が宇都宮なのである。

彼女の「副業」はソープランド嬢である。以前は東京・吉原などに勤務経験もあるが、30代後半という年齢や、コンドームを必ず着用したいという希望など、納得行く条件を探して、またネイルサロンの顧客などと偶然同じ職場などにならないようにする意味もこめて、地方のソープランドを転々としている。

時には、1?2週間単位で西日本や東北のホテルに宿泊し、近くのソープランドに務める、近年では珍しくない都心→地方の出稼ぎソープ嬢もこなす。

彼女にはとりたてて返すべき借金や、特段オカネのかかる病気をもった家族もおらず、100万円を超える稼ぎのほとんどは、家賃・美容・被服にかける。私は一度彼女と新宿伊勢丹の2階で冬物の買い物に行ったことがあるが、持ちきれないほどコートやブーツを買い込んだ彼女は、結局配送を頼んでいた。

ボトックス注射でエラを縮小したり、皮膚の下に糸を入れてほうれい線を目立たなくする簡易な整形手術も繰り返しており、月によっては40万円程度の施術代がかかるという。(後略)



(私のコメント)

最近の政治の動きは、評論するのが嫌になるほどバカバカしく思えてくる。彼らにとっては国会議員という職業で生活の糧を稼いでいるのであり、選挙で落選してしまえば真っ当な仕事に戻れる人はわずかだ。中には地方の大学の教授になれる人もいるが、大学の理事にコネのある人だ。

日本では女性の国会議員が少ないのは、男性だと簡単に高収入が得られる職業が国会議員や地方議会議員であり、選挙で一発勝負で当選すれば年に1億円程度の収入が得られる。当選してしまえば歳費を使って好き勝手に海外旅行や国内視察旅行し放題ができる。しかし女性はそんな一発勝負しなくても楽に月収100万円が稼げる。

女性国会議員と風俗嬢との違いは、年齢くらいであり体もタフな人が多く、肉食女が国会議員や風俗嬢で稼いでいける。だから女性議員が不倫騒動を起こしましたが、週に4日も不倫相手とのデートに明け暮れる。彼女たちには恥という概念がなく、女性の姿をした男たちであり、小池百合子はどの男性にも負けない勝負度胸がある。

鈴木涼美氏の書いている女性も、非常にたくましく、普段はネイリストやアイリストとして仕事をしながら、サイドビジネスで稼いで月に100万円の収入があるそうです。東京のマンション暮しをしながら宇都宮でもマンションを借りての二重生活ですが、「1ヵ月のうち1週間強を品川区で、残りを宇都宮で過ごす」そうです。

三十代後半で月100万円を稼ぐのは大変でしょうが、男で20代30代で月100万円も稼げる仕事はあるだろうか。ところが女性なら、その気になればそれくらい稼げるわけであり、現代では女性の方が元気があるのはそのためだ。以前に愛人稼業で2億円貯めた女優さんがいましたが、男ではそんな稼ぎは望めない。

年に1000万円以上稼いで、そんな生活を10年以上も続ければ1億円貯めるのも不可能ではないのでしょう。なぜ東京と地方の二重生活をするのかといえば、地方都市ではソープ嬢として働いているので、友人知人などとばったり出くわす事がないようにするためだといいます。「近年では珍しくない都心→地方の出稼ぎソープ嬢」だという事です。

私の近所のビルなどでは、美容室やマツエクサロンやネイルサロンなどが軒を並べていますが、いずれも若い女性を相手にした商売だ。美しさを保つためにはそれだけの金を使うわけですが、美容室だけでも5千円から1万円もかかる。私などは1000円カットに3ヶ月に1度行く程度だ。さらにネイルやマツエクとなるとさらに金がかかる。

現代の消費を支えているのは若い女性たちであり、日本には30万人のフーゾク嬢がいるそうですが、ほとんどが大都会で生活している。フーゾク嬢がそれだけ稼げるのは、それだけ金を使う男性がいるからですが、若くて美人女性なら生活に困らないだけでなく稼げる。

最近の若い男性は、まるで元気がなくて年収も200万円台では家も買えないし結婚もできない。それに比べればフーゾク嬢は年に1000万円以上も稼ぐことができる。まさに日本の消費生活は若い女性が支えているとも言える。美容室やマツエクサロンなどでは求人難であり、美容師やアイリストが引っ張りだこだ。大学など出るよりも美容師の資格を取れば一生食いっぱぐれない。



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