株式日記と経済展望

ページを繰り越しましたのでホームページからどうぞ。


鈴木信行氏の当選について、同氏の主張(外国人生活保護の支給反対など)
に対して葛飾区民の賛同を得たことも大きな励みとなります。 桜井誠


2017年11月15日 水曜日

【桜井誠氏】鈴木信行候補 葛飾区議会議員選挙 グランドフィナーレ 京成高砂

桜井誠・自民党の妨害に大激怒!【鈴木信行・激烈応援街宣!日本第一党・葛飾区議選挙立候補予定】

桜井誠★葛飾区で日本第一党の鈴木信行当選の真相を暴露!維新の党 吉村洋文の驚くべき正体! オレンジ☆ラジオ 20171113

葛飾区議選、あの名物候補も初当選 都民ファーストは大失速 11月13日 JCASTニュース

  任期満了に伴う東京都葛飾区議選が2017年11月12日投票、13日開票の日程で行われた。

   初の区議選となった「都民ファーストの会」が苦戦を強いられた一方、あの「名物候補者」たちが当選を果たしたことで、区議選ながら注目が集まっている。13日午前には、区公式サイトのページタイトル「葛飾区議会議員選挙の開票状況」が、ツイッターのトレンドに上がった。

都民ファは1人のみ

   今回の葛飾区議選には、定数40人のところ、59人が出馬した。区公式サイトには、11月13日13時23分の開票最終確定が載っている。都民ファーストからは5人が立候補したが、1人のみの当選にとどまった。

   初当選者には、立花孝志氏(50)もいる。立花氏は元NHK職員で、2013年に「NHKから国民を守る党」を立ち上げて、代表に就任した。15年には船橋市議(千葉県)に当選したが、その後辞職し、16年の都知事選に立候補。政見放送での「NHKをぶっ壊す!」といったフレーズは、インターネット上で話題になった。17年に入ってからは、1月の茨木市議選(大阪府)、7月の都議選(葛飾区選挙区)でそれぞれ落選している。

   無所属で初当選の鈴木信行氏(52)は、国政選挙の経験者だ。かつては「維新政党・新風」の代表で、参院選東京選挙区に3度出馬。いずれも落選していた。なお立花氏は33位、鈴木氏は36位での当選となる。

   葛飾区では同日、区長選の開票も行われ、現職の青木克徳氏が木原敬一氏を下して、3選を果たしている。



日本第一党 推薦候補 葛飾区議選 鈴木信行氏 当選! 11月14日 桜井誠

日本第一党が初めて推薦を出した鈴木信行氏が葛飾区議選に当選しました。鈴木信行氏に続いて一年五か月後に統一地方選挙が待っています。この統一地方選挙で日本第一党公認候補を多数出して、一人でも多くの党員を地方政治の場に出すことが、当面の課題となります。とまれ、まずは鈴木氏の初挑戦そして初当選に祝意を贈りたいと思います。

鈴木氏は葛飾区議選を迎えるにあたり、早くから街頭に立って、多くの人たちに呼びかけてきました。或いはポスティングなど地道な活動を続けて、今回の葛飾区議選に臨んでいています。そんな中で今年の7月に日本第一党では鈴木氏に推薦状を手交し、また、少なからずの党員が葛飾にお手伝いに行かせて頂きました。本人そして本人を支える多くの人たちの尽力で葛飾区議に当選されました。本当におめでとうございます。

鈴木氏の当選について、同氏の主張(外国人生活保護の支給反対など)に対して葛飾区民の賛同を得たことも大きな励みとなります。これから、統一地方選挙を戦う多くの仲間にとっても、自分たちの訴えがこうして受け入れられたことは、必ずプラスに影響するものと思います。是非とも鈴木氏に負けずに、我こそはという党員が一人でも手を挙げ、そして地方選挙を共に戦ってくれることを、日本第一党の党首として心から期待したいと思います。 

平成29年11月14日(火)

日本第一党党首 桜井誠



(私のコメント)

12日に葛飾区議会議員選挙が行われましたが、テレビなどでは報道されずネットで僅かに報道された。都民ファーストから出馬した5人のうち4人が落選して元議員の一人だけが当選した。都民ファーストは小池氏の動きをめぐって勢いが失速しており、小池都知事は一度も葛飾区議会議員選挙には応援には入らなかった。

都議会議員選挙では圧倒的な大勝利を得たのに、その勢いは失ってしまった。小池氏の軽率な国政への進出の野望が都民ファーストの勢いを頓挫させてしまった。小池氏は未だ都政でこれといった実績が上がっていないのに、都知事を投げ出して「希望の党」を立ち上げましたが、これには小池氏を支持した無党派層もしらけてしまう。

小池氏は、テレビカメラの前にいる時とそうでない時の態度がガラリと変わってしまう。そのために側近がおらず独断専行することが多くなってしまう。それは良く出ることもあるが都知事選挙では良く出た。しかし都知事ともなると独断で決めるわけには行かず、多くのスタッフの協力がなければ何もできなくなってしまう。

それが都知事になってからの失速に現れている。だから首相になったところで何も出来ないだろう。都議会公明党の支持も失ってしまって化けの皮が剥がれてしまった。このような計算が小池氏にできなかったのは能力の限界を示すものだ。

私は、先日知り合いの区議会議員の区政報告会に参加してきましたが、挨拶には現職の大臣から元大臣や、衆議院選挙で当選した議員も挨拶に来ていた。共産党や公明党にもしっかりした組織を持っているが、自民党には市町村議会や都道府県議会などの下部組織がピラミッド状に組織されている。

だから衆議院選挙ともなれば、都議会議員や区議会議員が選挙事務所に集まって、自分の支持者たちを使って選挙運動に駆け回る。ところが都民ファーストなどの議員には区議会議員などの下部組織がなく根無し草だ。だから葛飾区議会議員選挙でも大敗してしまった。なぜ小池氏は動かなかったのだろう。

区議会議員選挙では3000票取れば当選できるので、地道な選挙運動をして独自の政策を訴えてそれが支持されれば浮動票を集めて当選することができる。鈴木信行氏は「外国人生活保護の支給反対」を訴えて36位で当選した。区議会議員レベルになると知り合いや業界団体の組織で固められて、浮動票を集めるのに苦労する。

無所属議員もとなれば、よほど強力な政策を訴えないと浮動票が集められないだろう。あるいは強力な看板となる人が応援してくれなければ当選はできない。だから都民ファーストも小池氏が動くべきだったのだ。おときた氏の「自由を守る会」の二人の議員も当選した。

鈴木信行候補にも桜井誠氏が応援演説などをして浮動票を集めることに成功したのだろう。市区町村においては生活保護の窓口になっていますが、在日などへの外国人への生活保護が特権となってしまっており、本来の日本人への生活保護にしわ寄せが行ってしまっている。朝鮮総連や民団に入っていれば生活保護が受けられて、高額所得者も生活保護を受けている。

このような事を、市区町村具会選挙で訴えていけば、当選出来るだけの浮動票を集められるのではないだろうか。そのためには普段からの朝立ち演説などを毎日行なって政策を訴えていく必要がある。当然シールズなどの妨害も考えられますが、妨害があったほうが政策を訴えやすくなる。

選挙では出来るだけ分かり易い政策で訴えないと有権者にはわからない。その点では外国人への生活保護は憲法違反なのに、市区町村での生活保護が厚生省の通達で認められてしまっている。つまり生活保護は法律の対象にはなっていないが、行政措置によって認められているということで、わけがわからない。つまりは憲法違反だが行政措置で認められるということであり、自衛隊は憲法違反だが行政判断で認められているのと同じだということだ。

ヘイトスピーチでもおかしな動きが出ており、日本人によるヘイトスピートは禁止されているのに、外国人による日本人へのヘイトスピーチは合法だとされている。自民党にも西田議員のようなおかしな動きをしている議員もいるし、大阪の維新の会は桜井誠氏によれば極左政党だということです。だから大阪でも共産党と維新の会でヘイトスピーチ条例が成立した。

在特会や田母神氏のような、自民党よりも右の政党を潰すのは、自民党や維新などの政党であり、極右政党は厄介な政党だと見なされている。自民党は親米政党ですが極右政党は自主独立を訴えている。核武装も主張していますが、これが自民党には目障りなのだ。ご本尊のアメリカ様が怒るからだ。

私自身も自主独立派ですが、日本に外国の軍事基地は必要ない。東京周辺には米軍基地が集中していますが、トランプ大統領は横田基地に舞い降りた。横田基地は治外法権であり日本の統治権が及ばない。日本に自主独立の政権ができればアメリカ軍は横田基地に大軍を送り込んでこれを潰すだろう。だから日本の極右政党をアメリカは目の敵にする。




企業は高い給料を払うことで有能な人材を確保すべきなのに、低い給料では
並の人材しか確保できず、有能な人材は独立起業して退職していってしまう。


2017年11月14日 火曜日

内部留保を給与に回さない企業の残念回答 11月10日 ジャーナリスト 溝上 憲文

■なぜ、内部留保を賃金に回そうとしないのか? 

 残された手段は内部留保を賃金に回すことだが、徳田氏は次のように述べる。

 「確かに新たにフローとして内部留保が蓄積しているので、(内部留保率を)下げていく余地はあるでしょう。しかし、ストックで見ると日本企業のエクイティ(株式資産など)比率は欧米企業より低く、欧米並みにエクイティを増やしていくとなると、まだしばらくは内部留保比率を下げにくい。労働分配率が下がりやすい傾向がしばらく続くのではないでしょうか」

 つまり、企業は株主への配当を抑えるつもりはなく、しばらくは内部留保から賃金に回すことは考えてもいないようなのだ。

 ▼「経営サイドから総額人件費管理を徹底しろと言われています」

 実際に企業の担当者は賃上げについてどう考えているのか。大手機械メーカーの人事部長はこう語る。

 「リーマンショック以降、経営サイドから総額人件費管理を徹底するように強く言われています。業績が向上した場合はその分をボーナスで社員に還元するものの、給与は通常の定期昇給以外は増やさない方針をとっています。また、名ばかり管理職のポストを減らし、もらいすぎている中高年世代の人件費を抑える一方で、20代の若手社員の給与は増やすなど調整しています」

 人事部としては、もっと社員の給与を増やしてやりたいという意向はあるが、「経営サイド」はなかなか首を縦に振らないようだ。

 この人事部長は続けてこう話した。

 「個人的には株主配当を増やすのはしかたがないとしても、もう少し内部留保を給与に還元してもよいと思います。でも、経営陣の間にはリーマンショックの時の業績不振やその後にリストラを余儀なくされたことが頭にあり、内部留保をできるだけ残しておかないと不安でしょうがないようです」

 ▼労働組合も雇用を優先し、賃上げに消極的な姿勢

 確かにバブル期以降の不況や2000年初頭のIT不況、そしてリーマンショックと東日本大震災後の不況に見舞われ、賃金を上げること対する経営者の警戒心は相当強いと思われる。

 しかも、企業内唯一の賃上げ勢力である労働組合が雇用を優先し、賃上げに消極的な姿勢を続けてきた経緯もある。

■活況を呈する転職市場で賃金が下降している理由

 そうであれば、ビジネスパーソンとしては人手不足の時代だからこそ転職して自ら賃金を上げるしかない。

 ところが、残念ながらこれもあまりいい状況とは言えない。活況を呈する転職市場でも賃金は上がっていないのだ。会員登録数600万人(累積)のエン・ジャパンの転職サイト「エン転職」の求人企業が提示する年収の増減率は、2017年9月は前年同月比97%と下がっている(中央値)。

 業種別でもほとんどの業種で低下し、流通・小売は84%、運輸・交通、物流・倉庫87%と、皮肉にも、人手不足感が強い業種ほど下がっている。前年同月の年収を上回っているのは好調の不動産、建設、設備のみとなっている。

 その理由のひとつは全体の求人数に占める「未経験者歓迎」案件比率の増加だ。未経験歓迎案件比率は2014年9月が52%だったが、17年9月には75%となっている。職種別では営業系80%、技術系でも電気・電子・機械が66%、建築・土木が57%を占める。

 ▼35歳以上ミドルは前職年収の100万円下がるのが一般的

 「エン転職」の岡田康豊編集長はこう指摘している。

 「未経験者の採用比率が高まっていることに加えて、下限年収を下げるケースが多いのです。35歳以上のミドルでも平均で前職の年収の100万円程度下がるのが一般的です」

 人手不足の影響で2013年以降、大手企業を中心に積極的な採用に動いている。だが、特殊なスキルや経験の持ち主は別として、全体的に企業が採用時の年収を引き上げているわけではない。

 全体の賃金が上がらない状況がしばらく続くとしたら、後は個人の努力で社内評価を高めてキャリアアップするしかない。私たちは今、そんな時代に生きている。


(私のコメント)

会社は儲かっているのになぜ給料が上がらないのだろうか。会社は有能な人材を採用したり辞めないようにするには、給料を上げていくことが一番手っ取り早い方法のはずだ。しかし会社は正社員を減らして派遣などの非正規社員を増やして人件費の節約を図ってきた。

会社員の仕事の多くは代替のきく仕事であり、特別な才能や国家資格を必要とするような仕事は少ない。会社では上司たちは仕事のできる人材を求めてはいるが、外部から特別優れた人材をスカウトすることは少ない。日本の雇用体系は年功序列と終身雇用ですが、簡単には解雇はできないようになっている。

だから景気の波によって、雇用を増やしたり減らしたりが簡単にはできない仕組みになっている。そのために派遣社員があるのでしょうが、中には派遣社員を正社員化するところが出てきた。そうしないと派遣社員も確保できなくなっているからだろう。

一番わかりやすいのが、24時間経営の飲食店チェーンやコンビニでは人手が確保できなくて24時間経営を止めるところが出てきている。ならば給料を上げれば人手は確保できると思うのですが、一度ブラック企業という評判が立ってしまうと人は集まらないということなのだろう。

人件費が安いことで成り立っていた業種は、廃業したり営業時間を減らすしかなくなり、給料も上げられないから正社員を酷使するしかなくなった。本来ならば仕事をしない中高年社員を減らして若い新入社員に給料を回せばなんとか調整がつくのでしょうが、年功序列社会ではなかなかそれができない。

年功序列賃金を維持するためには、いったん給料を上げると下げることが難しい。能力主義なら働きが悪ければ下げることも簡単にできるし格下げもできる。年功序列制度では格下げは特別な意味を持ってしまうから難しい。もちろん年功序列や能力主義はそれぞれ長所短所が有り、日本に能力主義を取り入れれば日本の会社の良さも無くなるかもしれない。

最近では日本を代表するような大企業の不祥事が相次いでいますが、日本の会社の制度に問題があるからなのだろう。年功序列では能力がなくても社内政治力で出世も可能であり社長になることも希ではない。会社が危機的な状況になっても決断のできない社長が続いて会社をダメにしてしまう。東芝がいい例だ。

日本がバブル崩壊以来なかなか立ち直れないのは、停滞した会社に見切りをつけて独立起業する人が少ないからであり、年功序列制度では会社にしがみついたほうが得だと考える人がほとんどだからだろう。多くの凡庸なサラリーマンならそうした方が確かに得だ。しかし卓越した能力がありながら会社に骨を埋めてしなう人があまりにも多い。

会社は儲かっているのに内部留保に回して給料には回さないのは、労働組合が機能しておらず、最近では会社のストライキがニュースになることは聞いたことがない。労働組合がおとなしすぎるから無能な社長でも務まるのでしょうが、東芝やシャープの労働組合は何をしていたのでしょうか。WHを買収するくらいなら給料を上げろと言うべきだった。

サラリーマン達は、会社の経営になんの口出しもせずに、残業をして残業代を稼ごうとしているのは馬鹿としか言えない。だから私も銀行員時代は5時になったらさっと帰ることにしていましたが、周りからは「そんなに早く帰って何をするの?」と嫌味を言われた。

無能な社員は、上司に叱られると午前2時まで残業をして。一生懸命仕事をしていることをアピールした。そのような人から見れば5時の定時に帰る私は異端者になってしまった。もちりん私は上司に叱られるようなミスはしなかったが、昼間はブラブラして午後5時から仕事を始めるような同僚とはだんだんと隙間が出来ていった。

銀行も儲かっているときは、残業をしていなくても残業代をくれたり手当をくれた時代もあった。本来の給料以外にいろいろな手当で手取りを増やすのは会社員の常套手段ですが、バブル崩壊以降はサービス残業や手当の廃止で手取りが減らされている。ならば会社員も副業で稼ぐか、独立起業を目指すべきなのだろう。




生きてても辛いことしかないだろうし楽しいことなんてあったとしても辛いことの
ほうが多いしやりたいこともないしなんのために生きてるのかわからなくなります。


2017年11月13日 月曜日

生きてればいいことあるなんて嘘。それでも自殺すべきでない理由  2016年4月28日 俺と話をしてくれ!

「死んでしまいたい」という身も蓋もないくらいに率直なメッセージをいただきました。

死んでしまいたいと思う自分と生きたいと思う自分がいます。
生きてても辛いことしかないだろうし楽しいことなんてあったとしても辛いことのほうが多いしやりたいこともないしなんのために生きてるのかわからなくなります。
でも死ぬのも怖いし。
1日1度はあー死にたいと思います。
夜は布団に入ると考えてしまい眠れません。
でも生きてればいいことあるのかなーって思って生きてみようかなって思うときもあります。
なんだか毎日もやもやとした気持ちのままずっと過ごしています。
こんなこと誰にも言えません。
なにかいいアドバイス等あったらお願いします。

こういう悩みや相談が実は一番お返事するのが難しかったりします。っていうのは僕自身が現在進行形で抱えている悩みや問題だから、答えられるくらいなら自分がもうちょっとどうにかなってるだろっていう。

とはいえせっかくメッセージいただいたのに「いやー、僕もそうなんすよ〜!つらいけどお互いがんばっていきまっしょい!」とかお返事してもスパナのようなもので殴り殺される可能性があるので、「いいアドバイス」なんてないなりに(あったら僕も知りたい)、自分なりの考えをきちんとお返事して、その結果としてバールのようなもので殴り殺されたいと思います(どう生きたところで人生は地獄だ…)

生きててもつらいことばかりでいいことなんてない

死んでしまいたいと思う自分と生きたいと思う自分がいます。
生きてても辛いことしかないだろうし楽しいことなんてあったとしても辛いことのほうが多いしやりたいこともないしなんのために生きてるのかわからなくなります。
でも死ぬのも怖いし。
1日1度はあー死にたいと思います。

お気持ち、死ぬほどよくわかる気がします。違うのは僕の場合1日1000回は「あー死にたい」と思ってることくらいです(もっと重症じゃねえか)

身も蓋もない相談をしていただいたので、身も蓋もないお返事をしますが、生きててもいいことなんてないと思います。

いや、もちろん正確にはそんなこと言う人間はみんな嘘つきで、「今まで生きてきていいことなんて一つもなかった!」とか言うのって、ずるくて冒涜的な嘘で、いいことだってそりゃあるには決まってるんですよ。

卵かけご飯がおいしいとか、明太子ご飯がおいしいとか、チョコパイがおいしいとか、好きな人と手をつないだとか。まあほとんど食べ物のことばっかだし最後のにいたっては「好きな人って何?」って迷信か都市伝説くらいに思ってるんですけど(え?都市伝説ですよね!?)

満足できない人間は「いいこと」に高望みしすぎ

それはともかく、とにかく僕や、多分。さんがここで仰ってる「いいこと」っていうのは、そういうことじゃないんだと思います。

「ご飯食べたらおいしいし、仕事の後にビール飲んだらおいしいし、たまに仲間や友達と会って遊べたら楽しいし、恋人といちゃついて過ごしたら楽しいし幸せじゃん!」みたいな、もちろんその楽しみや幸福の価値を貶めたり否定するつもりはないんですけど、仮にそういうことがあったとしても、やっぱり僕はしあわせにはなれないんじゃないかなーって気がします。

多分、僕たちは(勝手に一緒にしてしまってご気分害されたらすみません)ある意味でクソ甘ったれていて、なにか奇跡みたいなことが起こるのを待ち望んでいるんだと思います、というか僕はそうです。そしてそれ(奇跡みたいなこと)を指して「いいこと」と言っている。

誰か、あるいは何か、とにかく自分以外の外的な要素の方から自分に働きかけてきてくれて、自分や自分の人生を根底から、決定的に変えてしまってくれることを夢見ているだけのどうしようもない甘ったれなんだと思います(自分の場合です)。

自分は変わらないくせに人生の流れだけは変わることを期待する甘え

でも、。さんも仰られていましたが、少なくともこれまで生きてきて僕自身もそんなことは起こった試しがありません。

にも関わらず、そういう外に期待しているだけの甘ったれた生き方は変えようとしないままで、「生きてさえいればいつかいいことあるかも…」とか自分をだましだまし無駄に延命したところで、多分その先も自分たちが考えるような「いいこと」なんて永遠にないんじゃないかなー。

きっとどこかで自分が変わらないといけない、あるいは少なくとも今しているような「いつか」を夢見て期待しているだけのぬるい生き方は変えないといけないんだと思います。

でもそれはなんとなくわかっていても、その具体的な方策がまるでわからず、真っ暗闇の中にひとりきりで取り残されたような気持ちで絶望し、途方に暮れている毎日です。

…って、なんか完全に僕の悩み相談になってるんですけど…(死)

「生きてさえいればいつかいいことある」なんて延命のための自己欺瞞

すいません、それくらい。さんから今回いただいたご相談というのは、僕自身の常日頃抱えている悩みとか問題意識と同じなもので、。さんに「いいアドバイス」をするどころの話ではありません。

ただ、。さんに対してというより、僕が自分自身に対して思うことというのは、はっきり言って「このままの自分、このままの生き方で『生きてさえいればいつかいいことあるかもしれないし…』みたいなことを言ってただ生き続けていることは、単にいたずらに結論を先送りしているだけの自己欺瞞でしかなく、そんな延命にすぎない生き方を仮にあと100年続けたところで自分が夢見て期待しているような『いいこと』なんて絶対に起こらない」だろうということです。

要は結論を先送りしてるだけのごまかしです。そしていくら先送りしたところで最期にたどり着くのは「はい、最期まで生きてみたけど、結局自分が考えていたようないいことなんて何もありませんでした〜、ちゃんちゃん♪(ガクッ…無事死亡)」、という結論だけです。

認めたくはありませんが、多分それが真実です。そしてその真実から目を背け続けて、「いや、先のことなんてわからないし。生きてさえいればいつか…」とか寝言をほざいている間は、きっとそんな「いつか」は永遠に訪れないんだと思います。(後略)



(私のコメント)

座間市のアパートで9人が殺された事件は、とてもショッキングなのですが、被害者の9人は15歳から26歳までの若い人たちで、自殺願望のある人たちに犯人の白石は「一緒に死にましょう」とツイッターで呼びかけて自宅に呼んでいたそうです。15歳から26歳の人たちに自殺しなければならないほどの辛い事などあるのだろうか。

これといった理由もなく死にたいと思うのは、本当に大病を患って死にかけている人や、自己破産して全てを失ってしまったような人から見れば「甘ったれている」としか思えないでしょう。確かに十代の後半は非常に多感な時であり、些細なことでも死にたいと思う時があることは誰にでもあるでしょう。

最近の若い人たちは親から甘やかされて育っているから、辛いことに耐える訓練ができていない。そして失敗することを非常に恐るから、失敗することですぐにめげてしまう。SNSで一人で死ねないから仲間を募るというのもよく有り、集団自殺などの事件も時々ありますが、うつ病などになると自殺願望にとりつかれてしまう。

このようになってしまうのは、あまりにも恵まれすぎた環境に育って、辛いことや悲しいことに対する耐性ができていないからでしょう。生きている以上は辛いことや悲しいことは日常的にあることであり、楽しい事はそんなにたくさんはない。生きていても「楽しくないから死にたい」というのでは、命がいくつあっても足りなくなります。

高齢者になると、人生の先がなくなり落ち込んだ気分になることがあります。だから高齢者の自殺も多くありますが、どうしたら人生を楽しく生きれるようになるのでしょうか。高齢になれば体のあちこちに病気を抱えて医者通いが日課となるようになります。それから見ると若い人の体は健康であり自殺願望は甘えから来ているような気がします。

私ぐらいの年になると、若い頃のような感動することもなくなり、退屈な毎日を過ごすようになります。私なども莫大な借金を抱えて体も壊して万事窮すになった時など、体重もげっそりと痩せてしまって生きる屍みたいになってしまった。あの頃は本当に気分も悪くなって医者に薬をもらって耐えているような毎日だった。

しかし首の皮一枚でなんとか生き延びてきましたが、借金のピンチが少なくなるにつれて体調も回復してきました。幸運なことが何度か重なって精神的にも楽になり、死ななくてよかったと思うようになりました。だから今でも辛いことがあってもあの頃に比べればといった気持ちになり、辛いことを耐えてこそ精神的な開き直りができて初めて楽しいこともあるのではないでしょうか。

ネットの普及で、自殺願望の相談もあるようですが、そのような人生相談に応じてくれる人もあまりいないようです。だから白石のような人物に引っかかってしまうのでしょう。白石も「本当に死のうと考えている人はいなかった」と話しているそうですが、若い時の自殺願望は一種の通過儀礼であり、辛い事に耐える力がないと些細な問題が起きてもすぐに自殺を考えるようになる。

学校における「いじめ」による自殺にしても、昔の方がいじめはあったのでしょうが、貧しさとか生存競争が厳しくて「いじめ」などは日常茶飯にあって、病気で死ぬ児童も多くて死は身近にあった。しかし最近の家庭では子供を叱らない親が多くなり、学校の教師も生徒を叱らなくなった。叱れば親がうるさく言ってくるからだ。

ここにも少子化の影響が出てきて、子供が一人しかいないと親子の力関係も逆転して、親は子を叱らなくなった。だからひ弱な子供が多くなり、社会に出て上司に叱られるとショックを受けて会社を辞めてしまう。昔は兄弟も多かったから兄弟喧嘩も日常的にありましたが、今の子供は喧嘩をしなくなった。だから喧嘩の作法も知らない。そして自殺するまで追い込んでしまう。

座間市の事件は多くの若い女性が殺害された事件であり、犯人の白石の異常さが際立ちます。このような男がネットを利用して犯罪を犯すのは許せないことであり、なんとか防ぐ方法はなかったのだろうか。日本は犯罪も少なく深夜に若い女性が一人歩きもできますが、犯罪に巻き込まれないような用心も大切だ。

しかし、表題の文章で気がつくのは、句読点がなくて、平仮名が多くてメリハリのない文章です。自分の事しか考えられず、世の為人の為といった、世の中に役に立ちたいといった高尚な志がないと、自己中心的になって自殺願望に取り付かれてしまいがちだ。戦後の教育自体が、世のために尽くすといった教育が行われなくなり、自分本位の価値観が植えつけられている。そうした不健全な心が自殺願望を招いてしまうのだ。




2016年に新たに海外留学した中国人学生数は何と54万人(うち30%が米国、
21%が英国)に上る
。さらに、これを加えた「留学中」の学生の総数は136万人


2017年11月12日 日曜日

「海外留学」の日中韓トライアングル - 坂場三男 11月10日

近年、日本に来る韓国人留学生は1万5千人くらいで、毎年わずかながら減少傾向にある。米国が彼らのお気に入りの留学先であることは変わらないが、最近、韓国政府が公表した資料によれば、中国留学組が急速に増え、2016年11月時点ではついに米国を追い抜いて留学先第1位になったようである。留学生総数は223,908人で、そのうち中国留学組が66,672人、米国留学組が63,710人というから確かに逆転している。第3位はオーストラリアで16,251人、そして4番目が日本で15,279人となっている。

 これに対し、我が日本の海外留学状況はどうかというと、2015年度に関するJASSO統計(2017年3月発表)によれば、総数が84,456人で、留学先は米国(18,676人)、カナダ(8,189人)、オーストラリア(8,080人)、英国(6,281人)の上位4ヵ国(すべて英語圏)だけで全体のほぼ半数を占めている。中国への留学は5,072人、韓国へは4,657人で、留学先としては5番目、6番目である。ただ、海外留学といっても留学期間が1ヵ月に満たない者が全体の49%を占め、1年を超える本格的な留学はわずか1,913人(1.65%)に過ぎない。全体の男女比を見ると、2:3で女子学生の割合が高い。私が大学で教鞭をとっていた時の経験でも、女子学生の方が海外留学に積極的であるように見受けた。

 ここで、日韓の留学状況を人数で単純比較すると、米国への留学では韓国人学生が日本の3.4倍だが、中国への留学ではこの比が13.1倍になる。これが何を意味するかは明らかであろう。将来に向けた人的パイプの構築という観点から見れば、米国との関係はもとより、特に中国との関係で、韓国は日本よりはるかに強い人間関係の絆を持つ可能性が高いのである。

 最後に、中国の海外留学事情をチェックしてみよう。最近、中国教育部が明らかにした数字によれば、2016年に新たに海外留学した中国人学生数は何と54万人(うち30%が米国、21%が英国)に上る。さらに、これを加えた「留学中」の学生の総数は136万人だというから、日本と比較するとケタが1つも2つも違う。このうち日本に来ている中国人留学生は約10万人だが、全体から見れば7%ほどに過ぎない。海外から受け入れている留学生数でも昨年時点で中国の44万人に対し、日本は24万人(うち30%弱が語学学校生)で、しかも増加ペースは中国の方がはるかに高い。

 私は、一昨年、米国の大学で日本の政治経済事情アジア情勢について講演をしたが、会場には多くの中国人学生、韓国人学生がいて、質問の多くも彼らから浴びせられた。昔の米国の大学は日本、その後インドからの留学生が多かったという印象があるが、2010年に中国人がインド人を抜き、昨年には全留学生の30%を中国人学生が占めるという。かつて10%を超えていた日本人留学生の割合は今や2%以下だというから全く様変わりしてしまったのである。

 勿論、多くの学生が留学すればその国と留学先の国との関係が自動的に強化されるという単純な関係にはないものの、やはり、人間関係のベースで見れば、それだけ人脈(人的パイプ)が太くなることは確かであろう。このことによって、あと20~30年もすれば、アジアの国家関係も大きく変わる可能性がある。日本としても、中長期的視点に立って、海外への、そして海外からの留学生に対する奨学金予算を倍増するとか、個々の日本の大学において海外留学を奨励したり、留学生の受け入れ環境を劇的に改善するなどの開放策を一段と強化する必要があるのではないか。最近、企業が留学先で内外の人材をリクルートする動きが出てきているようだが、有能な人材を確保する目的だけでなく、日本人学生の海外留学に向けた新たな動機付けという副次効果もあり、これは大いに歓迎される。

 私は、大昔、フランスの大学に2年間留学したが、若き日の印象は強烈であり、今でもフランスには特別の思いを持っている。「たかが留学、されど留学」である。



(私のコメント)

中国や韓国の海外への留学生の多さは驚きますが、中国だけでも136万人もの留学生を海外に送り出している。韓国も22万人もの留学生は、日本の8万人に比べても比較にならないほど多い。それとも日本の留学生数が異常に少ないのだろうか。8万人の中には留学期間が1ヶ月に満たないものも含まれている。1年を超える留学生は1913人で、ほとんどいないといってもいいくらいだ。

日本の大学生はなぜ留学しなくなってしまったのだろうか。日本もグローバル社会になって海外留学はプラスになるはずですが、日本においては海外留学が就職に必ずしもプラスになっていないからだろうか。特にアメリカへの留学は半減しており、留学の多くは語学留学で短期の留学だ。アメリカの大学はリーマンショック以降、大学の学費が急騰しており日本の倍以上の費用がかかる。

ハーバード大学では年間の学費が400万円以上にもなり、アメリカではアルバイトすることもままならない。90年代がアメリカへの留学生のピークであり、90年代は構造改革やグローバル化で4万5千人ものアメリカへの留学生がいた。しかしそのブームは過ぎ去り、アメリカ留学が採算に合わなくなって少なくなった。

中国や韓国のアメリカ留学生が桁外れに多いのは、アメリカの大学を卒業してアメリカ企業に就職することがひとつのコースになっているからだろう。日本人留学生ではほとんどが日本に帰ってきて就職するが、中国や韓国の就職事情はよくない。日本では求人難であり、中国では半数近くが大学を出ても就職できない。

アメリカで就職するには、アメリカの大学を出て修士号や博士号などをとることが必要条件になっており、中国や韓国人の留学は一種の移民であり、だから異常な数の大学生が留学を選ぶ。アメリカに留学してMBAをとっても日本ではなんのプラスにもならないが、中国や韓国人留学生がMBAをとってアメリカ企業に就職するのは出世コースなのだ。

それ以外にも中国や韓国人から見れば、アメリカの方がはるかに豊かであり自由で生活もしやすいが、日本人から見ればアメリカは犯罪も多く社会的な問題も多く憧れの国ではなくなった。戦後の貧しい時期はアメリカでの生活はアメリカンドリームだったが、今では毎週のように銃乱射事件が起きてアメリカ留学は地獄になりつつある。

サラリーマン社会でも海外駐在員のなり手が少なく、海外駐在員は姥捨て山のような扱いだ。日本が貧しい頃は海外駐在員は出世コースであり、商社マンがエリートだった。中国や韓国は今このような状態であり、中国や韓国がアメリカよりも自由で豊かな生活ができていれば日本のようになるだろう。

もちろんアメリカは今でも世界一の経済大国であり、アメリカの超大金持ちはますます豊かになっているが、中流階級は没落してトランプ政権を生み出した。アメリカの健康保険政策は最悪であり、白人の平均寿命は逆に短くなっている。自殺や薬物中毒が多いからだ。そんなアメリカでも中国や韓国よりかはましなのだ。

中国や韓国仁留学生から見れば、日本は近くて文化的にも漢字圏であり、アルバイトしながらでも学費がまかなえる。しかし中国政府や韓国政府にしてみれば日本への留学生が増えれば親日派が増えてまずいことになる。日本語が分かる人が増えれば日本からの情報も入ってくるようになる。しかし技術情報などは日本語が分からなければ入ってこないから、ある程度の留学生はいる。

中国からの日本への留学生は米英豪に次ぐ4番目で年に1万5千人ほどですが、韓国も同じくらいだ。それに対して中韓への留学生は5千人ほどで一方通行に近い。日本は24万人の留学生を受け入れているそうですが、大学の定員割れなどで留学生を増やさないと大学が破産する。日本では若年労働者が不足して留学生を増やして賄おうとしている。




イケメンの客にかぎっての勘違いが多く、へたくそで乱暴。風俗は結局は
接客とサービスの仕事です。でも人と人との体温がダイレクトに触れ合う場所


2017年11月11日 土曜日

おまΩこ『リアル風俗嬢日記 彼氏の命令でヘルス始めました』 11月10日 紙屋高雪

 ファッションヘルス(店舗型の個室で性サービスを行う風俗営業。性交=本番は禁止…って建て前はどこでも禁止だけど)に勤めるアラサー女性のコミックエッセイである。

 告発や哀調でもなく、過剰な快楽や欲望の強調でもなく、セックスワークをする労働者としての苦手なこと、「働きがい」、いやなこと、工夫や努力を、ニュートラルな視線で伝える。

 ぼくはkindleで読んだのだが短い3冊を次々買って、何度も読んでしまった。面白いんだもの。

 1巻は入店の経緯を描くのだが、実は「ご主人様」に奉仕するためのお金を貢ぐために、「ご主人様」の命令で風俗に入った(サブタイトルにあるとおり「彼氏の命令でヘルス始めました」のである)。さっき「ニュートラルな視線で」と本作を紹介したけど、このくだりは異様。複数の女性が「ご主人様」に金と体で貢いでいるという構図に、「一体どうしてそんな事態になってんの…」と疑問がわきあがる。わきあげるけど、どうしてこういう関係ができあがったのかはほとんど説明されず、関係の異常さだけが浮かび上がるのである。(この関係は清算される。)

 2巻がこの作品の本領。

 恋人ができたとき、テクを封じてしまう話。

 イケメンの客にかぎっての勘違いが多く、へたくそで乱暴。

 よがっていることを演技だと思われる話。

 AVを見るのは好きだが、男優が女性の股間をいじる描写がものすごく痛そうだと感情移入してしまう話。

 「エッセイ」として、縦横に語っている巻だ。

 セックスワークを描く作品には、多彩な次元がある。

 読み手の純粋にエロや欲望を掻き立てるものから、まったく逆に現場の凄惨な部分を抉出するもの、男性の脳内の風俗像をデフォルメや美化するもの……まさに本作の2巻は「随想」で、自分が性労働をする現場で感じていることを素直に描き、そしてそれが伝わる簡素な線で表現するので、読んでいるぼくは、気持ちが過剰にエロや、反対にシリアスな告発に傾くことがない。自由な、軽めの気持ちを伝えられている気分になるのである。

 3巻のラストで描かれる、

風俗は結局は接客とサービスの仕事です
でも人と人との体温がダイレクトに触れ合う場所

というナレーションとともに、「またね」「すごく幸せだったよ」「ありがとう」という言葉をまとめて

こんな一言が
何より嬉しかったり
やりがいになったりするんです

と書き付けていることを「風俗を美化する欺瞞」だといえるだろうか。

 ぼくは行ったこともないし、知識上もくわしくもないが、それでもこの作品が描き出すエッセイとしての自由さは「本当の気持ち」を伝えて、作者なりに実感しているセックスワークの「やりがい」を表現しているという、本当らしさがある。説得的なのだ。

 「ご主人様」の拘束や命令がなくなった後も、この女性が3年も風俗を続けているという事実は、このやりがいの吐露は少なくともその内面での真実だということはできるかもしれない。



(私のコメント)

昨日は、AIが人の仕事を機械がどんどん奪っていくことを書きましたが、サービス業へ人の仕事はシフトしていくだろう。特に女性の従来の職場は機械に置き換えられやすく、繊維産業やタイピストなどは機械にどんどん置き換えられてしまって、サービス産業にシフトせざるを得ない。

建設業などは好景気で高賃金なのに女性は建設現場はやりたがらない。ダンプの運転手とか重機の操作などは女性でもできると思うのですが、ほとんど見かけることはない。だから必然的に接客業などの方が高賃金なので、そちらにシフトしてくる。事務職もAIに置き換えられて営業に回されるが、女性が営業となると特に嫌がる女性が多い。

私が経営するビルでも、美容室やリラクサロンが入居して女性職員が多くなった。しかしリラクサロンは、完全個室で男性客が多くて「やばいな」と思っていましたが、女性スタッフも辞める人が多くなり売上が落ちて廃業してしまった。アベノミクスで求人倍率が上がってスタッフが転職してしまうらしい。

リラクサロンから事務所に戻すとなると金がかかるので、居抜きで借りてくれるところを探して、今度は美容室サロンがテナントとして入居した。美容室サロンなので客も女性だけであり、風俗産業ではないので安心した。前のサロンではさほど客の入りも良くなく、給料も出来高なので良くなかったようだ。

リラクサロンは、薄暗い証明で男女がふたりっきりになるのだから、ほとんど性風俗サロンと変わりがない。だから女性スタッフも真面目な子もいたが、美人だけれど非常に性悪なスタッフもいて、客とのトラブルもあったようだ。美人でスタイルも抜群で菜々緒によく似た女性だったが、きつい性格て新人スタッフが次々辞めてしまった。

本物の菜々緒もドSな性格でマネージャーが何人も辞めてしまっていますが、経営者に「何とかしたほうがいいのでは」と言っても、美人なので辞めさせられなかったようだ。接客業のスタッフとしては美人であることよりも接客態度の良さが大切であり、客とトラブルを起していたら店に客が来なくなってしまった。だから閉店も当然の成り行きだったのだろう。

リラクサロンだから性風俗店ではないのですが、男性客の中には勘違いする「良からぬ人」もいるのだろう。だからこのような店は美人すぎるのも良くなくて、性格の良い女性の方が客が集まるようになる。経営者にも「多少ブサイクでも性格のいい子のほうがいいのではないか」と言った事もある。

男も同じであり、ブログ記事にもあるように、「イケメンの客にかぎっての勘違いが多く、へたくそで乱暴。」という事ですが、女性を喜ばすのが上手な男ほどブサイクな男が多い。それはAV男優を見てもブサイクな男ばかりなのでよくわかる。それは育った環境がそうさせてしまうのだろう。美女やイケメンだと異性にもてるからサービス精神が欠けてしまう。

ブログでも、「風俗は結局は接客とサービスの仕事です」と言うように、接客態度とサービス精神が必要だ。美人で若いかどうかは二の次であり、私が風俗店の経営者なら外見は並でも性格が良くてサービス精神のある子を揃える。そのほうが常連客も多くなるからだ。

私が銀行員だった頃も、若い女性の多かった職場だが、目立つような美人は気が強くて性格も悪かった。本人は明るい性格だと思っているのでしょうが、自分勝手でわがままなのだ。男でもイケメンは黙っていても女が寄ってくるからサービス精神が欠けやすい。モーションかけてくる女をウザいと思ってしまう。

美女でもイケメンでも歳をとってしまえば、ただのオジさんやオバさんだが、性格は簡単には変わらないから厄介な事になる。私も若い頃はイケメンだったが、歳をとってただのオジさんになってしまって、女性からも全く相手にされなくなってしまった。そのために金儲けに邁進することができた。

私が若い女性で美人だったら、性格良く振舞って金持ちの男と結婚することを選ぶだろう。しかし金を持っている若い男はなかなかいない。いても美女を選ぶとは限らない。美女と言うだけならラブドールの方がはるかに美女であり歳をとらない。AIの進歩によって掃除や家事もやってくれるロボットもできている。だからロボットにはできない人間味のあるサービス業にシフトせざるを得なくなるだろう。




未来社会は、記憶力秀才型の人材は不要になり、AIの影に隠れがちで地味な存在では
あるものの、RPAはすでに現実世界においてホワイトカラーの仕事を代替しつつある


2017年11月10日 金曜日

「姿なきロボット」がメガバンク行員数万人の仕事を奪う 11月10日 鈴木崇久

人間は人工知能(AI)に仕事を奪われてしまうのではないか――。その問いは、テクノロジーの進化が引き起こした論争におけるメインテーマの一つだ。ただ、AIの影に隠れて目立たないが、実はすでに現実のオフィスで、人間に取って代わる存在が台頭しつつある。それは、ロボット。それも、姿なきソフトウェアロボットだ。私たちはその存在とどう向き合うべきか、真剣に考えなくてはいけない時代が訪れている。(週刊ダイヤモンド編集部 鈴木崇久)

 銀行業界に「大リストラ時代」が再び訪れる――。この1〜2週間、メディアの報道の中でそうした見出しが何度も踊った。

 三菱UFJフィナンシャル・グループ(FG)、三井住友FG、みずほFGの3メガバンクグループは今後、大規模な店舗の統廃合や人員・業務のスリム化に取り組み、コスト構造改革に本腰を入れる。その結果、三菱UFJFGで9500人、三井住友FGで4000人、みずほFGで1万9000人、3社合計で3万2500人もの人員を浮かせる算段だ。

 ただ、3社がこれから取り組もうとしている「大リストラ」には、多くの場合につきものであるはずの早期退職募集などといった人員削減の話が出てこない。せいぜい大量に採用されたバブル入行組の退職と今後の新規採用の抑制によって、人員の自然減を進める程度にすぎない。実は、3社合計で3万2500人分に相当する「業務の削減」は行うものの、それで浮いた人員は営業など別の部門に回すことを想定しているのだ。

 そして、その浮かせた人員が今までやっていた仕事を代わりにこなすのは、ロボットだ。しかし、私たちがイメージしがちな人型ロボットでも、工場で溶接や組み立てなどを行う産業用ロボットでもない。RPA(Robotic Process Automation)と呼ばれる、ホワイトカラー職の業務をソフトウェア内で自動処理する「姿なきロボット」なのだ。

10月19日、そのRPA分野でソフトバンクが新サービスに関する記者会見を開いた。11月から「SynchRoid(シンクロイド)」というRPAサービスの提供を開始すると発表したのだ。傘下に4000以上のソフトウェアロボットの導入実績があるグループ会社を持つ、RPAホールディングスと共同開発した新サービスだという。

 ソフトバンクの今井康之副社長によると、ソフトバンクは社内でRPAを導入したところ業務効率が格段にアップしたため、社外にも展開したいと考え、RPA事業を立ち上げたという。

 ソフトバンクは、RPA導入に必要な開発者を社内で152人育成し、26部門で導入。月間9000時間分もの業務効率化を実現したという。その導入ノウハウをつぎ込んだのが、シンクロイドというわけだ。

 とはいえ、ソフトウェアロボットと言われても、多くの人はどのような業務ができるのかイメージしにくいだろう。シンクロイドの発表記者会見では、RPAの活用事例として交通費の経費申請における経理部門のチェック業務が紹介された。

 多くの経理担当者は、提出された申請書を確認し、そこに記載のある交通費の金額に間違いがないかを照合。社内の経費システムに情報を入力していくという手順を踏む。単純ではあるものの面倒な作業であることは想像に難くないが、RPAを活用すると、前述した一連の作業を1件当たり約1秒で処理することができてしまうという。

いつの時代も繰り返し浮上する
「テクノロジー失業」の脅威

 11年、マサチューセッツ工科大学の研究チームは『Race Against The Machine(邦題:機械との競争)』において、「テクノロジーの進化がもたらす失業」に関する未来予測を発表。世界に衝撃を与えた。そして、ちまたでは現在、「人間はAI(人工知能)に仕事を奪われてしまうのではないか」という論争が続いている。

 しかし、AIの影に隠れがちで地味な存在ではあるものの、前述の通り、RPAはすでに現実世界においてホワイトカラーの仕事を代替しつつある。「人間が仕事を奪われた」というのも一つの見方だろう。一方、「退屈で面倒な単純作業から人間が開放された」という見方もできる。

 ただ、いずれにしても、RPAが代替できる仕事しかできない人材は淘汰されていく運命にあるだろう。ロボットに任せたほうが早い、安い、ミスがないとなれば、抗いようのない流れであることは間違いない。どんな時代にも必ず浮上した議論のはずだが、私たちはテクノロジーに支配されるのではなく、それを活用する側に回らなくては、「機械との競争」に負けてしまうだろう。

 近年ではコンピューターやインターネットが台頭してきたタイミングがそうだったように、私たちはAIよりも先に、RPAというテクノロジーと向き合う必要がありそうだ。

 この新しいテクノロジーをどう活用していくべきか。新しい「人間の仕事」は何なのか。RPAの台頭スピードを踏まえると、考えるために残された時間はそう多くなさそうだ。



(私のコメント)

昨日は、AIの時代が来ているにもかかわらず、大学は相変わらず記憶力秀才を育成しつづけている問題を書きましたが、過去の膨大なダーターを集めて最適解を見つけ出す仕事はAIの方がはるかに早い事は、囲碁や将棋でAIに敵わなくなった事が証明しています。

東大を出た役人が「前例がない」といった理由で新しい政策ができないことは、日本の停滞の原因になっています。逆に前例のあることはAIにやらせたほうが早く正確にできます。だからホワイトカラーの仕事もAIに取って代わられてきて、人間はAIに使われるような時代が来つつあります。

東大を優秀な成績で卒業した霞ヶ関の官僚は、典型的な記憶力秀才であり、過去の慣例に従った事しか出来ません。財政再建もそうであり、財務省の官僚は財政赤字で破綻した経済事例を持ち出して政治家たちをせっついていますが、国家はマネーを印刷して使うことができます。それで赤字を埋めれば何の問題もない。

このような事は、経済の教科書にも書いてありませんが、1000兆円の国債は日銀が全部買ってしまえば償却しておしまいです。1000兆円札を一枚発行して日銀から買ってしまえば国債は償還されたことになる。記憶力秀才型の学者はそんなことができるはずがないと反論していますが、国家は通貨発行ができることを忘れているのだ。

銀行が大規模なリストラを計画していますが、これもAIに仕事を任せることで多くの人員を減らすことができるということです。私が銀行員の時代の時も銀行業務は典型的な定型業務であり、AIにやらせたほうがいいような内容だった。過去のデーターで審査すれば融資業務もAIに任せたほうが正確だろう。

昨日も医者や弁護士や会計士などはAIによって失業すると書きましたが、記憶力秀才型のやってきた仕事がAIに取って代わられる。現場作業においても、タクシーの運転手なども自動運転車に取って代わられるだろう。ロボットが進化してくれば、ロボットの方が安上がりで24時間働いてくれる。

小売商店などもネット通販によってどんどん代わられてきていますが、地方の商店街もシャッター通りとなってしまった。最近では好景気なのに賃金が上がらない現象が現れてきていますが、AIなどの活用によって人手はいらなくなってきており、無人のコンビニも出来つつあります。銀行などもどんどん無人化が進むだろう。

AIやロボット化が進んで、今までの職業がこれらに代わっていけば今までの労働者が余ってしまうことになる。現代の教育は記憶力強化ばかりやっていて創造力を養う教育がされていない。創造力がいくらあっても通信簿には評価する項目がない。AIやロボットは大量のデーターがあればそれを元にプログラムが組めるが、データーのないものにはプログラムの組みようがない。

AIスピーカーが話題になっていますが、人間とロボットが会話をする日も近いことだろう。人間同士の会話をデーター化してプログラムを組めば会話もできるようになるだろう。ますますロボットが人間に近くなりますが、それによって人間の職業はロボットに置き換えられていく。だから自分の分身としてロボットに仕事をさせて、本人は遊んでいることもできるだろう。




まだ社会に出たくないので大学に行くという「モラトリアム」的な進学は、数十年前から
あった。しかし学ぶスキルは備わっていないし、大学で学びたいという意欲がない。


2017年11月9日 木曜日

「教育困難大学」で大暴れする不良学生の実態 学ぶスキルも意欲もないのに入学できる現実 11月8日 朝比奈なを

「教育困難校」の教員にとっては既視感のある場面

10月上旬、高校生が授業中に若い男性教員に暴力を振るう画像がインターネットに流れ、その後に高校生が逮捕されたというニュースがあった。事件の発端は、教師が生徒に対してその授業では使ってはいけないIT機器を使うのを注意したことだそうだ。

今回の映像は一般的には確かに衝撃的だっただろう。しかし、生徒が荒れた中学校に勤務する教員や、「教育困難校」の教員にとっては既視感のある場面だったと思う。似たような場面に日常的に遭遇し、専守防衛に努めている中学・高校教員は全国に大勢存在する。

だが、教員に対してあのような態度を取ってきた生徒たちが大学、特に「教育困難大学」に入学していることを、当事者である大学関係者もあまり気にしていない。彼らは「自身の学びを助けてくれる人」として教員に一目置く、ということはない。逆に力関係として下に見てさえいる。そうした生徒たちが、高等教育の場に入ってくるのである。

いわゆる進学校でない高校からの大学進学者は、推薦入試やAO入試を利用して進学する者が多いことは、これまでにも何度も述べてきた。大学を志望する生徒たちの多くは、少なくとも3年生の1学期頃からは、教師の指導に従って準備を行う。一般的には10月上旬あたりからAO入試が、11月上旬からは推薦入試が始まり、パラパラと合格が決まっていく。

すると、その頃まで自分の進路をまったく気にしていないように見えた生徒たちが、突然、担任や進路指導教員に「せんせー、俺、大学に行こっかな。親も行けっていうし」などと口にするようになる。このような生徒はおおむねこれまで教員をバカにした態度を取り続け、勉強や部活動にも熱心でなく、努力や我慢が苦手なタイプの生徒たちである。

すでに推薦入試などの本番が始まっているので教員は非常に困惑するが、本人と保護者が「大学に進学したい」と思っているのであれば、止めることはできない。もちろん、一般入試に通る学力はないので、推薦入試の日程が残っている大学を探すことになる。

やりたいことがまったく決まっていないので、学部・学科選びも大変だ。結局、いわゆる「潰しが利く」といわれている社会科学系や文系の学部を選ぶことになる。大学側がいろいろと工夫して決めた学部の特色などもこのタイプの生徒たちはまったく意に介さない。ただただ「楽な大学」を選びたいと考えるのみなのだ。

学ぶスキルや意欲がない学生も、不合格にならない

この期に及んでもまじめに取り組もうとせず、「せんせー、俺の代わりに志望動機書っていうの書いてよ。どうせ、ばれやしないし」などと言い出す。教師はこうした生徒を指導しながら、心のどこかで「このいい加減な態度を面接では隠しきれないだろう。書類の内容も中身がないので、さすがに大学側も落とすかもしれない」という思いが頭をよぎる。しかし、意外にも、彼らが不合格になることは皆無といってよいのだ。

まだ社会に出たくないので大学に行くという「モラトリアム」的な進学は、数十年前からあった。しかし、ペーパーテストによる入試の存在が、そうした人も受験勉強へと必然的に向かわせ、その過程で学ぶスキルが結果的に身に付いたことが多かったと思う。

だが、上述のような流れで大学に進学する学生たちに、学ぶスキルは備わっていないし、大学で学びたいという意欲がない。そのうえ、これまでの学校生活の中で、教員の指導は無視してよいもの、自分の気持ちは教師の指導よりも優先するべきもので、それを教員が抑制しようとする場合にはキレてよい、という価値観を持っている。

しかし、彼らは大学生活では授業の場面でキレることはさほど多くはない。高校までのように服装や態度を直接注意されることがほとんどないからだ。大学と高校では、教職員と生徒との関係とは距離感が違う。授業を休んでもそのつど電話や家庭訪問があるわけでもないので、このようなタイプの学生にとっては、大学生活は天国のように思えるに違いない。しかし、そのままではやがて単位が取れず、中退という道が待っていることに彼らは気づかない。

以下のエピソードは、「教育困難大学」に勤務する教員から最近聞いたものである。彼は、日頃から「大学生は社会に出る直前の段階なので、社会常識を身に付けさせるべき」と考え、実践している教員だ。ほかの多くの教員とは異なり、授業中に寝ることや、人の話を聞く態度なども、気になった際にはそのつど学生を注意している。(後略)



(私のコメント)

11月5日にも大学の荒廃した問題を書きましたが、社会問題として大きく扱われないのは何故なのだろうか。18歳から22歳という一番の伸び盛りであり、その人の一生に関わる問題なのに、誰も真剣に考えようとはしていない。大学に進学して勉強したいといった学生なら進学する意味もあるのでしょうが、就職用の学歴だけを求めて大学に行くのは本末転倒だ。

会社側もこのような大学によって選別するのではなくて、高校の学歴で選別するようになった。有名な進学高校を出ていれば学力は本物だろうし、同じ大学を出ていても進学高校でない学歴の場合はランクを下げるといった方法だ。今の大学は希望すれば誰もが大学に進学できて、トコロテン式に卒業できてしまう。

今の大学は、レジャーランドであり4年間を遊んで過ごしてしまう。18歳から22歳の頃は体力もあり、まだ子供の意識もあるから会社に就職して叱られてもすぐに慣れるが、22歳で会社に就職して上司にしごかれると精神的にまいってしまうのではないだろうか。それくらい本人の意識も違ってくる。

昔のような大卒者が1割か2割程度なら、大学を卒業すればホワイトカラーの仕事に就けたが、5割をこすような現在の場合では大卒者にふさわしい職場は難しくなった。そして学歴は高学歴なのに仕事ができない若者が増えてしまっている。18歳なら会社で仕込みようもあるが、22歳では遅すぎるということもあるだろう。

社会が進歩すれば高学歴化は時代の流れという見方もできますが、大卒にふさわしい学力を持った人は一定の割合しかいないようだ。私自身も30歳過ぎてから電気工学科に入学して勉強しましたが、錆び付いた頭ではなかなか工学的なことは頭に入らなかった。やはり職業教育も高校時代から始めるべきであり、大学の4年間を無駄に過ごしてしまうと取り返しのつかないことになるのではないだろうか。

最近ではコンピュータプログラマーの需要が高まってきていますが、同じ理系の大学を出ても物理や電子工学では全く分野が異なる。電気工学科でコンピュータープログラムの教育も受けたが、初歩的なプログラミングの事すらなかなか理解できず、戸惑った記憶があります。だから同じエンジニアでも分野が異なれば転換が効かない。

中学生のプロ棋士の藤井聡太四段は、早くから将棋を学んで強くなりましたが、大学を卒業してから将棋を学んでも強くはなれなかっただろう。物事には適齢期が有り、早くそれに気がついて学ぶべきであり、漫然と高校や大学に進学するのは時間の無駄使いだ。さらにAIの登場によってプロ棋士もAIの将棋には敵わなくなった。

超一流大学を出ても能力でAIに敵わなくなれば、医者も弁護士も会計士もみんな失業するようになる。記憶力容量や計算能力においてAIは無限大であり、人間の能力には限界がある。このような時代では中卒とか大卒とか言った学歴は無用の長物であり、AIを使いこなした人間に誰も敵わなくなる。

これからの高学歴者に要求される能力は、記憶力や計算力ではなく、想像力であり企画力であり決断力だろう。AIは今までの教育体制を根本から変える必要に迫られているにもかかわらず、必要とされる想像力などの教育がなされていない。記憶力だけが優れた秀才など何の役にも立たない時代になった。

「株式日記」をこのように毎日書く仕事も、想像力や創造力を要求する仕事でありAIにはできないことだ。何を主題にすべきかはAIには決められないことであり、クリエイティブな仕事はAIには絶対にできない。グーグルの検索も一種のAIですが、検索項目を打ち込むのは人間にしかできない。しかしAIをどのように活用するかなどの未知の事は誰にもわからない。「株式日記」はその最先端の問題に取り組んでいることになる。




韓国が中国に表明した「3NO」とは、 @米国とMDは構築しない 
ATHAAD追加配備は容認しない B日米韓3国同盟は結成しない


2017年11月8日 水曜日

中国に「降伏文書」を差し出した韓国 THAAD追加配備も拒否する「3NO」 11月7日 鈴置高史

「我が国は中国の属国に戻った」と韓国の保守はうなだれる。

白旗を掲げた韓国

韓国が中国と関係改善で合意しました。

鈴置:10月31日に中韓両国が双方の外交部のサイトに「合意文」を掲載し、そう唱えました。「関係改善」と言いますが要は、韓国が中国に「言う通りにします」と白旗を掲げたのです。

 中国は在韓米軍へのTHAAD(地上配備型ミサイル迎撃システム)配備にインネンを付けて様々の嫌がらせをした結果、ついに韓国を従わせました。「合意文」は降伏文書です。

 韓国外交部のサイト「韓中関係改善に関連した両国の協議の結果」(韓国語版)の要点を訳した「中韓合意のポイント」をご覧下さい。中国外交部のサイト(中国語版)の「合意文」はこちらです。

●中韓合意(2017年10月31日)のポイント

※注:韓国外交部のサイト「韓中関係改善に関連した両国の協議の結果」から作成

 まず、韓国は「THAADは中国を狙ったものではなく、中国の安全保障上の利益を損なわない」と約束させられました。

 これにより、北朝鮮の核問題が何らかの形で解決したと中国が判断すれば、中国は韓国に「THAADはもう不要だろう。米軍に撤去させよ」と命じることができるようになりました。

 仮に北朝鮮の核ミサイルの脅威がなくなったとしても、中国の核の脅威は残ります。米国がTHAADという防御兵器なしに、在韓米軍を置き続けるかは疑問です。

 中韓合意は米軍の撤収、さらには米韓同盟の破棄を呼ぶものなのです(「米国はいつ『韓国放棄カード』を切るのか」参照)。

中国の代わりに質問した与党議員

中国は先を見て布石を打ったのですね。

鈴置:それだけではありません。今すぐにも米韓同盟の亀裂を深める文言も入れさせました。

 韓国は米国とのMD(ミサイル防衛)構築、THAADの追加配備の容認、日米韓3国軍事同盟など中国包囲網への参加――の3点には応じないと約束させられました。いずれも中国が前々から飲むよう、韓国に迫っていた案件です。

 合意文の「中国側はMD構築、THAAD追加配備、韓米日軍事協力などと関連し、中国政府の立場と憂慮を明らかにした。韓国側はすでに韓国政府が公開的に明らかにした関連する立場を改めて説明した」という部分がポイント中のポイントです。

 この2つの文章がどうつながるのか、合意文を読んだだけでは分かりません。が、発表前日の10月30日の動きを合わせて見ると意味が分かります。韓国政府は中国の「立場と憂慮」つまり3点の要求について、韓国も「同じ立場」であると表明していたのです。

 10月30日、韓国国会で与党議員が康京和(カン・ギョンファ)外交部長官に「中国との関係改善の障害となっている3点をどうするのか」と質問しました。康京和長官は以下のように答えました。

 これが「3NO」と呼ばれることになる答弁です。康京和長官は「韓国の立場は中国の要求を満たしている」と指摘し事実上、要求の受け入れを約束したのです。

●韓国が中国に表明した「3NO」

  • 米国とMDは構築しない
  • THAAD追加配備は容認しない
  • 日米韓3国同盟は結成しない

 与党議員の質問はもちろんヤラセです。朝鮮日報も「中国が聴きたい言葉を与党議員が聞き、康長官が答弁した」(10月31日、韓国語版)でそう書いています。

中韓の掛け合い漫才

 早速と言うべきか同日午後、中国外交部の会見で、康京和長官の「3NO」――中国政府は「3不」と表現していますが――に関し質問が出ました。

 人民網・日本語版「外交部、THAAD問題で韓国側に約束実行を望む」(10月31日)によると、華春瑩報道官はこう答えました。

 中国は時を置かず「約束は守れよ」と念を押したのです。なお韓国紙によると、中国の会見でこの質問をしたのは中国メディアの記者でした。中国政府の意向に沿ったものでしょう。

 中韓は、それぞれの外交部を舞台にしたヤラセ問答により「3NO」合意を確認しました。そしてこの「掛け合い漫才」を担保に翌日、両国は合意文を発表したのです。

なぜ、合意文に「3NO」を書き込まず、そんな回りくどい芝居を打ったのですか。

鈴置「3NO」は米国との前々からの合意を踏みにじるものだからです。中国は米韓同盟を揺さぶるため「3NO」を合意文に入れさせようとした。しかし韓国が抵抗したので「答弁方式」を採ったのでしょう。(後略)



(私のコメント)

朝鮮半島をめぐってアメリカと中国とが鍔迫り合いをしていますが、問題の焦点は北朝鮮よりも韓国にあります。アメリカは韓国の生みの親であり、経済援助や軍事援助をし続けてきました。朝鮮戦争では4万人のアメリカ人将兵の命が失われています。中国の義勇兵は11万人が亡くなっている。

朝鮮戦争はそれほど昔の戦争ではないにもかかわらず、どれほどの死者が出たのかもはっきりしない戦争であり、説によれば500万人が死んだと言われています。多くが民間人であり、敵国の兵士を殺すよりも同じ国内の民間人を殺害する凄惨な戦争であり、最終的にはアメリカ軍と中国軍との戦争になってしまった。

金日成にしても李承晩にしても、同じ朝鮮人としての自覚がなく、アメリカとソ連との代理人として戦争を始めてしまった。金日成としては電撃戦で簡単に韓国を併合できると見ていたようですが、アメリカ軍の反撃によって逆に中国国境まで追い詰められてしまった。今度は中国軍の反撃で押し返されて、中国とアメリカとの戦争になってしまった。

この事からも、朝鮮半島は国ではなく地域に過ぎないのであり、歴史的に見れば千数百年に及ぶ中国王朝の一部だった。朝鮮半島は中国王朝の首都の至近距離にもかかわらず領土に組み入れられなかったのは、日本との緩衝地帯として属国として置かれてきたようだ。古代も日本と中国とのせめぎあいの場であったし、秀吉の時代でも明との戦争があった。

近代から現代でも、朝鮮半島は日本やアメリカと中国との勢力争いの場であり、国家として独立した外交は取れなかった。朝鮮は一度として中国との戦争に勝ったことはなく、朝鮮学校では高句麗が勝ったとか新羅が唐を破ったとか教えているようですが、高句麗は南満州族の国であり、新羅が唐を破ったといっても百済にあった唐の城を落としただけであり、唐に攻め込んで勝利したわけではない。

中国が、朝鮮半島を直接支配しなかったのは地政学的なものであり、朝鮮半島を支配しても北部を遮断されてしまうと中国は補給ができず孤立してしまう。だから現代の北朝鮮は地政学的に重要だ。朝鮮戦争でも仁川逆上陸で北朝鮮軍は孤立してしまった。だから属国として朝鮮半島は間接支配下に置いた。

中国から見れば、日本という国がなければ朝鮮半島支配は楽だったのでしょうが、中国王朝も昔から武勇に優れた満州族や蒙古族の南下に苦しみ続けて来た。だから朝鮮半島を支配しても満州族が南下して北朝鮮あたりを支配されると半島南部は孤立してしまう。

韓国が存在し続けるためには、アメリカや日本の支援が必要不可欠であり、それがなければ韓国は再び中国の支配下に置かれるようになるだろう。韓国は自らを小中華と言っているように、中華民族の一族と捉えており、日本人はそれを理解していない。だから日本を見下した態度をとるのはそのためだ。

アメリカにとっては朝鮮半島は特に重要とは言えないのですが、アチソンラインの外側として重要視しなかった。そのために朝鮮戦争が起きましたが、冷戦時代の象徴のような戦争となり、韓国は西側のショーウインドウとして高度経済成長した。そのためにアメリカは韓国に対して多くの援助を行い日本に対しても韓国に援助しろと強制してきた。

しかし小中華の韓国がアメリカに感謝するという意識はなく、むしろ反米感情を高めている。日本に対しても同じ感情を抱いている。千数百年に及ぶ中国王朝の半島支配の歴史は朝鮮人のDNAに深く刻まれてしまっており、独立国家の自覚を持つには数百年の時間がかかるだろう。

テレビでも韓国の「三つのNO」は簡単に触れられていましたが、アメリカの意向を完全に無視したものだ。それに対するトランプ大統領の反応が良く見えない。あるいは見ないふりをしているのだろうか。韓国は米中との股裂き状態となり、双方の言うがままの態度をとっている。これでは双方の不信を買うだけで韓国の悲劇が続くことになる。日本は見ているしかない。




エリザベス女王の個人資産から約1000万ポンド(約15億円)がオフショアのタックスヘイブン
のファンドに投資されていたことが判明した。違法性はないようだが、イギリスでは大騒ぎ


2017年11月7日 火曜日

エリザベス女王と鳩山由紀夫が租税回避で窮地 11月6日 八幡和郎

バミューダ諸島などに拠点を置く法律事務所「アップルビー(Appleby)」から流出したものなど1340万の文書からなるパラダイス文書は、南ドイツ新聞が入手し、2015年の「パナマ文書」公開でも活躍した国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)と提携するメディア各社が分析にあたっていたが、エリザベス女王の個人資産から約1000万ポンド(約15億円)がオフショアのタックスヘイブンのファンドに投資されていたことが判明した。

違法性はないようだが、イギリスでは大騒ぎで、
“君主制をゆるがす問題に発展するかもしれない”

とされるが、再投資先には貧困層を搾取しているとして物議を醸した英企業も含まれていた。

女王の個人資産は、日本の中世の荘園群と同じように、いくつかの領地ごとに管理されていて、そのひとつがランカスター公領だ。その管理人が、ケイマン諸島やバミューダ諸島の複数のファンドに投資されていたという。

ファンドが再投資していた先には、評判の悪いブラック企業もあるようだ。女王は課税特権をもつなどしており、王室への信頼に深い傷をつけること間違いない。

一方、日本ではなんと鳩山由紀夫元首相が政界を引退した次の年である2013年にバミューダに登記があって香港が拠点の石油・ガス会社「ホイフーエナジー」の名誉会長に就任し、報酬を受け取っていたことが判明した。

鳩山氏は、名前だけでも連ねてほしいと言われたが実質は何の意味もなく、鳩山の名前で信頼を得たいと思っただけだとかわけのわからん説明。副会長にジョージ・W・ブッシュ元大統領の弟ニール・ブッシュ氏がいるそうだが、香港だから中国がらみのきな臭さ一杯。

大富豪のくせにこんなせこい錬金術を駆使して、中国に遠隔操作されて南京虐殺だ慰安婦だと騒いでいたのかとか言うことなら、なるほどということだが、そんなことはないと信じたい。

しかし、大富豪の貴公子にして首相までつとめてなんたる倫理観。エリザベス女王は自分では知らなかったから監督不行届だけだが、鳩山氏は自分ひとりで動いて「おいしい話」にありついていたのだから罪は重い。

ドイツではロシアのガスプロムの関連会社に雇われてプーチンのエージェント化し、韓国人の愛人のためにナチスと日本軍を一緒にするシュレーダーというどうしようもない元首相がいるが、あっちは正々堂々と隠していなかっただけベターかもしれない。



(私のコメント)

タックスヘイブンの問題は根の深い問題であり、ばらされるだけでイギリスの首相の首が飛んだ。今度はエリザベス女王にもタックスヘイブンに関わっていたことで成り行きが注目される。タックスヘイブンは超大金持ちには正しく「天国」であり、税金を少なくして金が金を呼んで増えていく。

何もない小さな島国では金融でしか産業を育てられないから、低い税金を売りにして投資ファンド会社を設立させる。それでも国家だから外国は文句を言えないということですが、国際的な節税手段であり透明性が確保できていない。一度タックスヘイブンに資金が行ってしまうと、あとはどこに行ったのかもわからなくなる。

タックスヘイブンにはペーパーカンパニーが作られていて、そこで資金運用させて資産を増やしていく。最近ではアメリカ国内にもタックスヘイブンを売りにした州があるようですが、日本国内にもタックスヘイブン特区を作ってみたらどうだろうか。沖縄県とか北海道などをタックスヘイブン特区にすれば、日本中から金が集まってファンド会社ができるだろう。

貧乏人は買い物をするたびに国内で消費税を支払わせられますが、超大金持ちはいくら儲けても僅かな税金しか支払わずにいる。これでは国の税収は落ち込む一方であり、企業や大金持ちからは税金を徴収することができない。タックスヘイブンに子会社を作って利益をそこに溜め込めば日本の税務署は手も足も出せない。

タックスヘブンの問題は、G20でも話し合われていますが、財政赤字に悩む各国はいずれはタックスヘイブン問題に手を出さざるを得ないだろう。しかしなかなか情報公開されないのはアングラマネー絡みであり、正体を暴こうとする記者が殺されたりしている。

鳩山元首相もタックスヘイブンの会社の名義を貸していたそうですが、元首相らしい振る舞いをして欲しいものだ。エリザベス女王にしても何らかの責任問題となり、退位の問題となるかもしれない。これはドイツによるイギリスのブレグジットへの嫌がらせなのかもしれませんが、“君主制をゆるがす問題に発展するかもしれない”ということです。

タックスヘイブンに限らず、外国には相続税のない国が有り、日本の資産家なども外国に移住して相続税対策をしているそうです。国によって税法が違っていれば金は税の安い方に流れていく。大企業なども本社を外国に移して節税をするところも多くなるだろう。だから法人税はどんどん安くなっていく。

我々貧乏人は、外国に移住することもできず、汗水流して税金を収めさせられる。シンガポールなどのタックスヘイブンには世界中から超大金持ちが集まってきている。最終的な解決手段としては、トービン税などの資金の流れに課税する方式が取られるようになるだろう。いわば世界的な消費税だ。




結婚があらゆる人たちの人生の必然だった時代は社会的に終わりつつあります。結婚して、
子を産み育て、家族となって暮らす、誰しもがそんな統一レールの上に乗るとは限りません


2017年11月6日 月曜日

2035年「人口の5割が独身」時代がやってくる 親や配偶者に「依存しすぎ」ていませんか? 1月20日 荒川和久

世帯別に見ても、いまや「単身世帯」が最も多く、かつて標準世帯と呼ばれた「夫婦と子」からなる世帯は、2010年時点ですでに「単身世帯」に抜かれています。2035年には「単身世帯」が4割弱を占め、「夫婦と子世帯」は23%程度にまで縮小すると推計されています。

その一方で、「夫婦のみ世帯」もなだらかに増加しています。これは、ひとつに子を持たない選択をする夫婦の増加があります。もうひとつは、子が独立した後、高齢夫婦だけで暮らす世帯の増加の影響があります。そして、その高齢夫婦世帯がやがて高齢単身世帯へとつながっていくわけです。

20年後には一人暮らし世帯が全体の4割に?

つまり、日本の20年後とは、独身者が人口の半分を占め、一人暮らしが4割となる社会なのです。そう考えると、同じ屋根の下に、親子が「群」となって暮らす家族の姿は、もはや風前の灯となりつつあると言っても過言ではありません。こうした個人化の流れは、日本だけの話ではなく、先進諸国に共通して見られる傾向です。個人化に伴う「家族」など従来の共同体の崩壊については、多くの社会学者が論説を展開しています。

ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックは、「昔、家族は、資本主義社会での心のよりどころだった。だが、個人化によって家族はリスクの場に変わりつつある」と分析しました。ベックによれば、従来の伝統的集合体の概念である家族とは、「ゾンビカテゴリー(死に体カテゴリー)の好例である」と表現し、人間にとって家族とはもはや必然的共同体ではなく、その親密性は選択的であるとまで言っています。

ベックと並び称される社会学者ジグムント・バウマンも同様に、個人化について言及しています。バウマンは、かつて個人は、地域や会社や家族といった中間的共同体の中でまとまっていたソリッド(固体)社会にあったが、現代は、個人が流動的に動き回るリキッド(液状)社会となったと表現しました。安心・安全・安定のそれら固体的共同体が失われたことで、人々は自由に動き回れる反面、つねに選択や判断をし続けなければいけない自己責任を負うことになるのです。

ベックもバウマンも、この個人化の流れは宿命的・運命的なものであり、逃れられないとまで言い切っています。

「家族」だけではなく「職場」というコミュニティでも同様の変化が起こっています。かつては一生同じ会社にとどまるという働き方が普通でしたが、いまや自由に転職し、キャリアアップするという考え方が出てきています。副業を認める流れもあります。働く場所をオフィスに限らないノマド的な働き方もそのひとつです。こうした動きによって、労働者が個人としての活躍の場と自由度を拡大したといえるでしょう。

消費の世界においても、個人化は顕著です。大衆という「群」がモノを所有することに価値を見いだした時代はとうに過ぎ去り、人々は個人としての体験に価値を見いだし、それを仲のよい友人やSNSのグループなどの「身近で小さなコミュニティの中」で共有し、価値を再確認するようになりました。ソロ社会化によって、今後も消費動向は劇的に変化すると予想されます。

この個人化の流れから発生するソロ社会化についても真剣に考えるべきなのです。結婚があらゆる人たちの人生の必然だった時代は社会的に終わりつつあります。結婚して、子を産み育て、家族となって暮らす、誰しもがそんな統一レールの上に乗るとは限りません。一度結婚をしても、離別や死別などによって、いつでもソロに戻るリスクがあります。すなわち、結婚したらすべてがハッピーエンドになるわけではないのです。

昭和的価値観の既婚男性は「ソロ社会」を生き抜けるか

実は、そうしたソロ社会において、最も危機意識のないのは「昭和的な価値観」を引きずる既婚男性の方です。特に、リタイヤ後の高齢既婚男性の配偶者に対する依存度は深刻です。

自殺を例に挙げてみましょう。もともと自殺率は圧倒的に男性のほうが多いのですが、これを配偶関係別で見ると、最も高いのは離別者です。続いて死別者。要するに、配偶関係にあった男性が、妻と離別か死別した場合の自殺率がいちばん高いということになります。

既婚男性の皆さん、想像してみてください。もし、自分より先に妻に先立たれてしまったら??もし、長年連れ添った妻のほうからいきなり離婚を突き付けられてしまったとしたら??あなたはその先、一人で生きていける自信がありますか??突然一人になったとしたら、はたして生きていけますか?

第一生命経済研究所の有配偶高齢者60〜79歳の男女を対象とした調査レポート(2015年)でも、病気や寝たきりになったときに夫の6割が妻を「頼りになる」と回答しているのに対し、妻はたったの2割。逆に「頼りにならない」としている率が42%に達します。また、「生まれ変わっても現在の配偶者とまた結婚したいか」という問いに対しても、夫の6割は「イエス」と答えているのに対し、妻は3割にも満たない。ここにも、配偶者に一方通行で依存する夫の傾向が見てとれます。なんとも切ない話ではありませんか。

行きすぎた家族依存はかえって危険!

未婚化、晩婚化、少子化、高齢化、離婚やシングルマザー増加などは、それぞれ密接に関連した問題です。未婚者だけではなく、結婚したって誰もが「ソロに戻る可能性」があり、たとえ家族がいても安心はできません。家族の絆を信奉するあまり、家族だけが最後のセーフティネットという考え方に縛られると、やがて家族同士の共依存性を高め、結局は共倒れになる危険性があります。

拙著『超ソロ社会―「独身大国・日本」の衝撃―』にも書きましたが、ソロ社会とは決して孤立社会になるということではありません。ソロで生きるとは、山ごもりの仙人になることではないし、個々人が勝手に生き、他者とのかかわりを遮断する社会でもありません。

逆説的ですが、ソロで生きる力とは、むしろ、誰かとつながる力です。人は誰かとかかわり合いながら生きるものです。自立心とは、誰の力もいっさい頼らないことではなく、頼れる依存先を複数用意できることで生まれるもので、依存先がひとつしかないという状況の方こそ憂うべきです。

それは今後の働き方にもいえることです。30年以上もひとつの職場で勤めあげることは悪いことではありません。が、その先も人生は長く続きます。これから必要になるのは、退職後を考えたサードコミュニティと言うべき多様な関係性を構築する力でしょう。職場だけではない、家族だけではない、新たに人とのつながりを構築し続けること。ソロ社会における自立とは、そうした個人単位でのネットワークの拡充が求められます。

特に、家族のために仕事だけをひたすら頑張ってきた昭和なお父さんたちは、いまこそ意識を変える必要があるかもしれません。



(私のコメント)

世の中の生活様式の変化によって、個人や家族の生活にも変化が生じてきます。昔は生活するのが大変であり、お湯を沸かすにも薪割りから始めなければなりませんでした。それが今ではボタン一つでお湯が出ます。さらに家電製品の普及によって洗濯も簡単になり、掃除もロボットがやってくれます。

そうなると個人の生活も不便なものではなくなり、結婚しないと生活が出来ないということがなくなった。だから結婚しても妻も家事から解放されて夫婦共稼ぎが多くなってきている。家事といっても洗濯機や電子レンジのボタンを押すだけだからだ。最近では食器洗い機も普及している。

だから単身世帯が増えるのも生活様式の変化によるものであり、女性にしても結婚するなら所得が1000万円以上の男性でないと嫌といった人も増えてくる。昔は男も結婚しないと周りから変な目で見られましたが、最近では生涯独身が4人に一人では珍しくもなくなりました。

さらに平均寿命が延びたことで、有配偶者率も低下して過半数を割る時代が来るということです。生涯未婚者ばかりでなく結婚して配偶者が亡くなる可能性も多くなり、一人で暮らす高齢者世帯も増えることになります。基本的に一人で暮らすことが生活のスタンダードになる時代が来ているのです。

このように見れば結婚して子供と暮らす家庭は少数派になり、単身者世帯が多数派になる。そうなれば少子化も必然的になりますが、一夫一婦制による結婚という制度も時代に合わなくなってきているのでしょうか。結婚するにしても三組に一組が離婚するようになってきて、多くの男女が結婚と離婚を繰り返すようにもなるでしょう。

職業にしても終身雇用から転職が当たり前になったように、結婚にしてもバツイチやバツニは珍しくもなくなるのでしょう。昔は結婚は生活共同体であり、専業主婦がいないと炊事や洗濯も一日がかりで大変な作業だった。現代では結婚は一緒に生活をして子供を育てることが主な目的になっている。それでも離婚する夫婦は子供がいても離婚する。

多くの男女は生涯独身か、結婚離婚を繰り返すようになり、そうなると子連れの再婚も多くなるだろう。家族の形態も多様化しますが、結婚して籍に入れたりするのも面倒になり事実婚も多くなってくるだろう。女性も職業を持ち自立すれば結婚しなくても生活には困らなくなるだろう。

夫婦と子供世帯は3割を切るようになり、母子家庭や父子家庭が増えてきている。夫婦のみで子供のいない家庭も増えるだろう。「人間にとって家族とはもはや必然的共同体ではなく、その親密性は選択的であるとまで言っています。」もはやサザエさんのような家庭は漫画の世界にしか見られなくなるのでしょう。

私自身も、一昨年から一人暮らしの身となりましたが、これが普通の生活であり、男でも炊事や洗濯などもひとりでやるのが普通の時代になりました。結婚しなければセックスはどうするのかといえば、女性も個人売春が多くなり、需要があるところには供給が有り、個人売春も職業として法律的に認められるようになるだろう。

問題は高齢者の一人暮らしが多くなれば、「終活」はどうするかの問題が起きますが、公的な介護制度を充実する必要があるだろう。結婚しても離別や死別で一人で「終活」しなければならない。昔は兄弟や親族がいて葬儀をしてくれたが、子供がいなければ自分で「終活」をしてかなければならない。家族に頼る時代は終わりを告げつつある。




格付けのせいで、いじけて、怯えて、自己評価を下げて、自分には何もたいしたこと
なんかできやしないと思っている若者たちを今の日本社会は大量に生み出しています


2017年11月5日 日曜日

大学教育は生き延びられるのか? 11月3日 内田樹

前に申し上げた通りです。だから、精密な格付けを求めれば求めるほど、若い人たちは同じ領域にひしめくようになる。「誰でもできること」を「きわだってうまくできる」ことの方が「できる人があまりいないこと」を「そこそこできる」ことよりも高く評価される。格付けに基づいて資源分配する競争的な社会は必然的に均質的な社会になる。そうやって日本中の大学は規格化、均質化し、定型化していった。

若い人たちは今でも地方を出て東京に行きたがります。そして、ミュージシャンだったり俳優だったり、カメラマンだったり、デザイナーだったり、とにかく才能のある人が集まっているところに行きたがる。それは精密な査定を求めてそうしているのです。故郷の街にいて、どれほどまわりから「町で一番才能がある」と言われても、それでは納得できないのです。

もっと広いところで、たくさん競争相手がいるところに出てゆきたい。正確な格付けを求めてそうするのです。競争相手がたくさんいる領域に突っ込んでいって、低い格付けをされても、それは自分のようなことをしている人間が自分ひとりしかいない環境で、格付けされないでいるよりはまだましなんです。

狭いところで「あなたは余人を以ては代え難い」と言われることよりも、広いところで「あなたの替えはいくらでもいる」と言われる方を求める。それは自分の唯一無二性よりも自分のカテゴリー内順位の方が自分のアイデンティティを基礎づけると彼らが信じているからです。「そんなことをしているのは自分しかいない」という状態が不安で仕方がないのです。

「みんなやっていることを自分もやっている」方がいいのです。たとえどれほど低くても、精度の高い格付けを受けている方が安心できるのです。これは現代日本人が罹患している病です。そして、日本の大学もまたそれと同じ病に罹っている。

大学に格付けを要求するのは社会全体からの要請です。あなたの大学がどういう大学であるのかは、「他の大学を以ては代え難い」ところの唯一無二の個性によってではなく、日本のすべての大学を含む単一のランキングにおいて何位であるかによって決定される、そういう考え方に日本中が同意しているのです。そのせいで、大学の多様性が失われた。

本当にユニークな研究教育活動は比較考量ができませんから、格付けすると「評価不能」としてゼロ査定される。研究教育活動がユニークであればあるほど評価が下がるという仕組みがもう出来上がっているのです。そのせいで日本の大学の学術的発信力は致死的なレベルにまで低下している。しかし、文科省はその学術的発信力の低下を「グローバル化が不十分だから。実学への資源投資が不十分だから」という理由で説明して、さらに全国の大学を均質化し、規格化し、競争を激化させ、格付けを精密にしようとしている。その結果、ますますユニークな研究教育のための場所は失われている。

そんなことをしているんですから、日本の大学に未来がないのは当然なんです。多様なできごとが無秩序に生起している場所でのみ、それらのうちで最も「生き延びる」確率の高いものが際立ってくる。「ランダムさのないところに新たなものは生じない」(Without the random, there can be no new thing)。これは『精神と自然』の中のグレゴリー・ベイトソンの言葉です。日本の大学教育はまさにその逆の方向に向かって進んでいる。でも、すべてが規格化され、単一の「ものさし」で比較考量され、格付けされるところからは、いかなる新しいものも生まれません。

教育の目的というのは、一言にして尽くせば、どうやって若い同胞たちの成熟を支援するか、それだけです。格付けとは何の関係もない。精密な格付けをすれば、若い人たちがどんどん知性的・感性的に成熟するというエビデンスがあるというのなら、大学からイノベーティヴな発見が次々世界に向けて発信されているというエビデンスがあるというのなら、格付けしたって結構です。でも、そんなエビデンスはどこにもありません。あるのは、大学が評価や査定や格付けにかまけてきた間に日本の大学の学術的発信力は先進国最低レベルに低下したという冷厳な事実だけです。

今、子どもたちの貧困が大きな社会問題になっていますけれど、貧困層の再生産には残念ながら子どもたち自身も消極的には加担してるんです。それは貧困層の人たちに対しては学校でも地域社会でも、「貧乏人らしくふるまえ」という強いプレッシャーがあるからです。貧しい人間は身を縮めて生きるべきだ、イノベーションを担ったり、リーダーシップをとったりすることは許されない。そういう考え方を持つ人が多数派です。そして、貧困層自身も、そういう社会観を自身のうちに内面化してしまっている。自分は貧しいのだから、楽しそうに生きてはいけない。明るくふるまってはいけない。新しいアイディアを提出してはいけない。リーダーシップをとってはいけない、そういう外部からの禁圧をそのまま内面化してしまっている。

以前、ある子育て中の母親がそう訴えていました。その人はシングルマザーで、確かに生活は苦しい。本当なら、親が貧しいことと子どもたちがのびのびと暮らすことの間には関係ないはずなのだけれど、貧しいというだけで、子どもたち自身が委縮してる。貧しい人間はにこにこしてはいけないと思っている。貧しくて不幸だという顔をしなくてはいけない。周囲がそういうふるまいを期待しているので、子どもたちはそれに応えてしまっているんじゃないか、と。

これは例えば生活保護を受けてる人がパチンコやったら許さないとか、芝居や映画見に行ったら怒るとかいうのと同じですね。主婦が子どもを保育園に預けて演劇見に行ったら、「ふざけるな」と怒鳴る人がいる。意地悪なんです。それが社会的なフェアネスだと本気で思って、意地悪をする。異常ですよ、皆さん。でも、日本はもうそういう異常な人が自分のことを「異常」だと思わないくらいに異常な社会になっているんです。

同じことが大学生自身にも起きている。低いランク付けをされると、自動的に自己評価も下方修正してしまう。あなた方はランクが低いんだから、もっとおどおどしなさい、もっといじけなさいって言われると、大学生の方も納得してしまって、おどおどして、いじけるようになる。

格付けのせいで、いじけて、怯えて、自己評価を下げて、自分には何もたいしたことなんかできやしないと思っている若者たちを今の日本社会は大量に生み出しています。そんな人たちがどうして未来の日本を支えてゆくことができるでしょう。

冒頭に結論を申し上げましたけど、とにかく日本の大学は、今行われているような仕組みを是認されるのであれば、先はないです。日本の大学は滅びます、遠からず。どこかで抵抗するしかありません。「もういい加減にしてくれ」って、声を上げるべきです。

文科省だってそんなにバカばかりじゃない。官僚の中には過去25年間の教育行政がことごとく失敗だったということを素直に認める人だってきっといると思います。でも、役人はその性として「間違えました」「すみません」とは言いません。

だから、大学側で声を合わせて言うしかないんです。国立大学の先生は立場上なかなか声を出しにくいかも知れませんけれど、でも声を出して欲しい。どうしたら教職員がイノベーティブになれるか。どうしたらキャンパスの中がもっと明るくなるか。教職員も学生も笑顔でいて、知的な刺激に満ちている環境をどうやって作るか。それについて考える事が最優先の課題だと僕は思います。

このまま手をつかねていたら、日本の大学は滅びます。

皆さんが生活を犠牲にして、命を削って、大学のフロントラインを死守していることを僕はよく存じていますし、それに対して敬意も持ってます。でも、生身の人間ですから、無理は効きません。どこかで燃え尽きてしまう。だから、燃え尽きる前に、声を上げて欲しいと思います。「もういい加減にしろ」って。ちゃぶ台をひっくり返して頂きたい。日本中の学校で先生たちが一斉にちゃぶ台返しをしてくれたら、日本の未来も大学教育も救われるんじゃないかと思ってます。どうぞ頑張っていただきたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。


(私のコメント)

大学が粗造乱造されて社会問題になっています、文部科学省は自分たちの天下り先確保のためなのでしょうが、それはモリカケ問題でも文科省からの天下りがいます。少子化で学生数が減るのに大学の数は増えていく。特に地方における大学が増えるのは、地域振興などの一環もあるのでしょう。

しかし地方の大学を作っても地元では就職先がないから東京などの大都市に行ってしまいます。大学などは大都市になくても成り立ちますが、大学ができれば大学生が住むアパートなどの需要も増えます。しかしそうして出来た大学が本当に大学らしい教育ができているのでしょうか。

今では学生を確保できない大学が激増してきて、大学が廃校になるところが増えてくるでしょう。なかには中国やアジアなどからの留学生を集めて成り立っている大学もあるようですが、留学生というよりもアルバイト目的の出稼ぎ留学生が多いのでしょう。日本では若年労働者が不足してきて留学生がその穴を埋めている。

内田氏の講演は長いのですが、「今はもう中国やシンガポール、韓国にも台湾にも抜かれようとしている。急激に大学のレベルが下がっているのです。そして、急激に大学のレベルが国際的に低下していることについて、当の大学人たちにも教育行政の当局にもその自覚がない。これが危機の本質だと思います。」という指摘から始まっている。

なぜ日本の大学にレベルが下がってきているのでしょうか。やはり文科省が大学を粗造乱造してしまったからでしょうか。大学が出来るかどうかは文科省の官僚が握ってしまっています。それはモリカケ問題でも明らかになったことです。それを特区という形で大学を作ろうとしたから前川次官は反対したのです。

これでは使い物にならない大学生が大量生産されて社会に送り出されてきます。分数の計算も出来なければ英語も話せない大学生が大量生産されている。それを文科省の官僚たちは現場のせいにしている。さらに大学をランクづけしてプレッシャーをかけて来る。管理でガチガチに縛り付けて教員たちは報告書の作成に追われることになる。

内田氏も、「大学を守るためには現場に残って、僕も仲間たちと激務を分担しなければいけないということは理屈ではわかっていたのですが、会議と書類書きで自分の時間をこれ以上費やすことに耐えられなかったのです。」という事ですが、これでは教員が自分の研究ができるわけがない。だから論文の数も減ってくるのでしょうか。

『次から次への大学への課題を課して、研究教育のための時間を奪っておいて、その上で「どうして研究教育がうまくゆかないのか」について会議を開き、山のような報告書を書くことを義務づけている。』という事ですが、文科省はデータばかり集めて現状を見ようとはしない。

大学も銀行と同じように護送船団方式で守られてきましたが、少子化で学生数が減ることが分かっているのに逆に大学を増やしてしまった。そこで文科省は護送船団方式をやめて自由競争に任せることにした。自由競争に任せれば、『大学が生き残りをかけてそれぞれに創意工夫を凝らすことは「当たり前」のことであり、その淘汰プロセスで大学教育研究の質は向上するに違いないと、僕も信じておりました。』ということですが結果は逆だった。

大学をランクづけするには大学を均質化・同質化して競争の公平性を保つ必要があります。それでは大学の多様性を奪うことになり結果的に質を下げることにつながる。研究分野も均質性が求められて、「研究者たちができるだけ同じ研究領域に集中して、同じ研究方法で、同じ研究課題に取り組んでいてもらう方がひとりひとりの出来不出来を比較しやすい。当然です。その結果、若い研究者たちを競争的環境に投じたら、研究者ができるだけたくさんいる領域を選んで専攻するようになった。」となれば研究の多様性が失われる。

頭の悪い文部官僚たちは、小中学校と同じように大学を管理しようとした。そのためには公平性を保つために研究分野すら同じにしてしまった。これではまともな研究ができるわけがない。アメリカの大学制度は特殊であり、学位工場と呼ばれるとんでもない大学が有り、「アメリカの場合、ビルの一室、私書箱一つでも大学が開校できる。」ということです。」

学校に市場原理主義が導入されれば、金さえ出せば修士号や博士号が買える大学ができる。一種の詐欺のようなことが公然と行われている。『最も安価で商品を提供できるのがよい企業だという図式をそのまま学校教育に適用すれば、学習努力がゼロで学位が取れる学校が一番いい学校だということになる。』というのでは、大学に質は落ちる一方だ。

このような詐欺的な大学がうまくいくはずがなく、今度は「グローバル教育」という名の格付けが登場してきた。『受け入れ留学生数、派遣留学生数、海外提携校数、英語で行っている授業のコマ数、外国人教員数、TOEICのスコア・・・』等の格付けが行われるということですが、市場原理主義からグローバル化が格付け手段になった。

しかしそんなことをしても粗造乱造された大学生が大量生産されていることには変わりがなく、社会に出ても使い物にならない大学生が増えるだけだ。なぜそれほど大学の格付けにこだわるかといえば文科省から出る助成金に差をつけるためだ。金で言う事を聞かそうというのでしょうが、大学の質は落ちるだけだ。

その結果が論文数の質や量の低下となって現れている。論文の質をどのように評価するかは微妙な問題であり、さらに雑務に追われて論文すら書けない状況が生じている。さらに最近では英語で授業をやれと言い出しているようですが、正気の沙汰ではない。日本語で授業してもチンプンカンプンなのに英語でやればどうなるかわかりきっている。

今や大学はバカの製造所となって大量生産されている。文科省がそのような大学に作り変えてしまったからですが、「大学が評価や査定や格付けにかまけてきた間に日本の大学の学術的発信力は先進国最低レベルに低下したという冷厳な事実だけです。」ということです。すべての問題の根源は大学の塑像乱造に有り、少子化で潰れる大学がたくさん生まれるということであり、そのための格付を文科省は行おうとしている。




転職は高収入とかなり強い相関関係がある。なぜならば、自分にとっての
天職と巡り合うためには、様々な職種を経験するしかないからだ。


2017年11月4日 土曜日

成功するのは、成功する環境に自分を置いた人。 11月1日 高須賀

あなたの人生を思い返してみた時、あなたが一番自由に自分のパフォーマンスを最大限に発揮できた時はどんなときだっただろうか?

たぶんあなたが生き生きとできる、魚にとっての水みたいな環境が今までの人生の中で一度ぐらいあったんじゃないだろうか。

そこにたぶんあなたの好きが隠れている。

小中学校時代のような、あなたがまだ天真爛漫だった時期、あなたはどんな事に心をときめかせる事ができただろうか。

それがわかれば、あなたにとっての真に自由でいられる場所を見つけるのはそう難しいことではない。

若い頃にいろいろやってみるのも人生の肥やしになる

ひょっとしたら一度も生き生きとした経験をしたことがないという人もいるかもしれない。そういう人に向けて、もう1つ為になりそうな話をしよう。

経済学者のヘンリー・シュウ氏によると「若い時期に転職を繰り返す人は、キャリアの最盛期に高収入を得やすい傾向にある」のだという。

転職は高収入とかなり強い相関関係がある。なぜならば、自分にとっての天職と巡り合うためには、様々な職種を経験するしかないからだ。 

今の仕事がつまらないからといって、自分に仕事が合わないわけではない。

単に、今やってるゲームがあなたに向いていないのだ。

石の上にも3年というけれど、自分の中である程度の見切りがつけられたら思い切ってパッと別の業界に飛び込んで見るのも大切な事だ。

実は転職はそのほかにも凄く為になるものをあなたにもたらす。

若い頃に転職などを経験して様々な役職につく経験をする事で、世の中には様々な種類の仕事があり、それぞれに業界独自のルールがある事を知ることができる。

ある業界では当たり前のように行われている事が、他の業界では革新的な事だったりすることはよくある。

例えばマネーボールという本では、実在のGM、ビリー・ビーンがデータ分析の技能をプロ野球に導入することで、貧乏球団のアスレチックスを一気に強豪チームへと成長させる事に成功する事例があげられている。

データ分析なんてコンサルや普通の実業にいる人からすれば当たり前過ぎるアイディアだけど、従来の野球業界出身者ではそうそう思いつきもしないアイディアであったようだ。

実はこの話からも明らかな通り、世の中の多くのゲームは不自由ではあるものの、実は思ってもない部分に自由があったりもするのである。

あなたが今の業界で活躍できないのは、実は活躍できる場所を知らないからなのかもしれない。

それならば、一旦他の職種を経験することで、思ってもみない部分に活躍できる場所を発見する事ができるようになるかもしれない。

この事は実はデータにも現れている。

スタンフォード大学ビジネススクール教授であるエドワード・ラジアーが卒業生500人を対象にアンケートを取ったところ、経験した役職が2つ以下だった人がCEOなどの経営幹部となれた確率は2%だったのに対して、経験した役職が5つ以上だった人間が経営幹部になれた確率は18%にも及んだという。 

たぶん、成功した人達はゲームに新たなルールを導入する事に成功したのだろう。

あなたも同じように、どこかの業界では当たり前のように行われている慣習を、他の業界に導入する事で大成功を収める事ができるかもしれない。

若いうちから様々なものに興味を示し、色々なものを経験する事は後々の肥やしとなるのである。

無駄なものなどどこにもない。興味の赴くままに、色々なものを楽しもう。成功のキッカケは、意外なところに落っこちてたりするものなのだ。



(私のコメント)

私自身転職を二度ほどしたが、銀行員は私に最も合っていない職業だった。それでも給料が良かったので独立資金を貯めることにして14年ほど勤めた。銀行員での仕事は金を集めたり勘定をする仕事であり、一種の工場労働者のような仕事だった。今ではATMがほとんどの仕事をしている。

私自身はファンドマネージャーのような仕事をしたかったが、やらせてもらえる可能性は全くなかった。私個人で株式投資を初めて最初は上手く行っていた。次に不動産投資を初めて、この方が私に向いている事がわかった。不動産投資は実物資産であり、投資見通しも株よりかはたつので失敗の可能性は少ない。

アパート経営だけでは時間もあるので、ビル管理会社に就職して9年ほど仕事をしたが、それが現在の仕事に役立っている。ビル管理の仕事といってもビルの雑役係であり、ビル設備の運転管理ばかりでなく電気工事をしたり大工仕事や清掃作業までなんでもやっていた。

たまたまビルを建てる機会があって、銀行も金を貸してくれたのでビル経営に乗り出した。ビル経営には銀行勤めの時の経験や、ビル管理会社の時の経験が役に立った。だから様々な職業を経験していくうちに自分に適した職業を見つけていくことが大切だろう。

ビルやアパート経営は自分ひとりでもできる仕事で有り、会社員勤めの時のような息苦しさもなく、ビル管理の仕事は自分に向いてはいたが、後輩たちへの指示や教育もすることは骨が折れた。さらに清掃の仕事もしなければならず、ホコリなどを吸い込んで気管支を悪くして息が苦しくなって仕事を辞めた。

その頃からホームページを書き始めたが、ビル経営が一番苦しい時期であったが、健康を害していたので再就職は諦めた。テナントの出入りも激しくて空室を出さないために自らも営業で仲介不動産屋にお願いに回ったりした。仲介不動産屋にもいろいろあって、いい不動産屋にめぐり合うことができて経営も安定するようになった。

だから今やっている職業が合わないなと思ったら、やりたい方面の職業に転職していったほうがいいのだろう。私も銀行員を続けていたら灰色の人生を過ごすことになっていただろう。銀行もバブル崩壊で整理統合が進んで私の勤めていた銀行は無くなってしまった。

まだ若ければ、転職も比較的楽にできるし、自分に向いた職業もだんだん絞れてくる。一番いけないのが無目的に転職を繰り返すことであり、給料の高い職業は給料が高くなければ人が集まらない職業でブラック企業が多い。むしろ人目につかない中小企業の方が面白い職業があるように見える。

一流大学を出て一流大企業に就職すれば一生が安泰というのは、もはや終わったのであり、アメリカなどでは大企業の中堅管理職になるよりも、ベンチャーの社長になることがステイタスになっている。社長ならリストラでビクビクすることもなく、好きなだけ働くこともできるし、会社をまるごと売り払って引退することも自由だ。




ではなぜ枝野氏は自らが排除されたと振る舞ったのか。実は、驚くべきことに、一部
メディアの報じた「偽排除リスト」を根拠に、排除されると信じ込んだにすぎないのだ。


2017年11月3日 金曜日

小池百合子「排除発言」は私が進言した 11月1日 上杉隆

「希望の党」の結党直前、ほとんど政権交代を手中に収めるかにみえた小池百合子代表には大きな不安があった。それは「リベラル」の偽看板を掲げた民進党の護憲左派が、大挙して新党に押し寄せるという悪夢だった。

 「憲法改正や安全保障政策だけは絶対に譲れない」

 自民党で防衛大臣まで務めた小池代表がそう公言するのは当然のことであった。新党にまさか民進党左派や護憲派がやってくるとは思わなかったが、政治の世界はなにがあるかわからないし、特に選挙直前はなおさらだ。

 実際、21年前の「排除の論理」の際の政治家たちの阿鼻(あび)叫喚を、鳩山邦夫秘書として目撃していた筆者は、小池氏の不安を十分理解できた。

 「最終的には『排除の論理』を行使すればいいじゃないですか」

 それほど深い意味はなかった。政策や方針を旗印に政党がまとまるのは当然のことだ。日本だけではない、世界中の政党が不断に「排除の論理」を行使して政治を行っている

 21年前、鳩山氏が「呪文」を唱えたからこそ、その後の民主党は世紀をまたいで成長し、ついには政権を獲得できたのではないか――。筆者は、その率直な気持ちを小池氏の前で吐露し、旧知の細野豪志氏の前でも語った。

 実は、昨年の都知事選で小池氏と戦った後も、小池氏とは都政についての意見交換を続けたり、筆者の運営している報道番組『ニューズオプエド』等に出演してもらう中で交流を続けていた。そうした人間関係の中で、まさか自分の会話から、21年ぶりに「呪文」をよみがえらせることになろうとはいったい誰が想像しえたか。

 「排除の論理」自体の論理に瑕疵(かし)は無いと思う。表現方法だけの問題だろう。

 ちなみに筆者の政治信条は排除の論理とは別だ。安倍政権を終わらせ、政権交代可能な健全な保守二大政党制のためには「右手に学会、左手に連合、非自民、非共産の新進党型の政党を作るしかない」と言い続けてきた。実際に小池氏や前原氏や小沢氏にもそう伝えている。

 「排除の論理」は確かにキツい言葉だ。だが、しがらみを断ち切る健全な政党を創るためには不可欠な論理だと小池氏も細野氏も確信したからこそ、発言に至ったのだろう。

 彼らの姿勢に同意したのは何も希望の党の「創業者」たちだけではない。立憲民主党の枝野氏も、菅氏も、海江田氏も、21年前から「排除の論理」を行使してきたではないか。

 そもそも「政策的にきちんと分けないと国民は混乱する、だから右から左までごった煮の民進党(民主党)は支持が伸びないのだ」と延々と多様な政党のあり方への批判を繰り返して来たのは誰か? 今回、「排除の論理」で反射的に希望の党を批判しているメディアは過去の自らの言葉を直視できるか?

 いまだに多くのメディアが「排除の論理」を行使したとして希望の党の小池氏と前原氏を批判している。その一方で、選挙目当ての「野合」で議席を伸ばした立憲民主党を礼賛している。

 日本人は忘れっぽすぎまいか。メディアは国民をバカにしすぎていないか?

 思い出してみよう。この10年余、共産党も社民党もすべてひっくるめて、選挙に勝ち、自民党政権を終わらせるためならば、いかなる枠組みでも構わないとした小沢一郎氏の存在と言葉を批判していたのはいったいどこの誰か?

 2014年、共産党や社民党との連携を目指す小沢氏を民主党から排除して、「いまの民主党こそ保守本流」(枝野憲法総合調査会会長/当時)だと宣言、純化路線を採ったのはいったい誰だったか?

 9月27日朝、前原代表が先の代表選で戦ったばかりの代表代行に「解党」の説明をした際、すぐに賛成したのはいったい誰か?

 前原代表は、枝野代表代行との話を受けて、常任幹事会を開催、両院議員総会で全会一致を経て、解党に向けて作業を始めている。代表選挙で勝ったばかりにも関わらず、代表として丁寧なデュー・プロセスをたどった前原誠司氏が一方的に責められ、勝手に政党を立ち上げ、選挙で対立候補を立てるという反党行為を続けた枝野幸男氏がヒーローになる。どこかおかしくはないだろうか。

 実際に、民進党から希望の党側に出された最初の仮リストには民進党候補者全員の氏名が記載されていた。新人候補も含めて全員だ。

 前原氏は約束を守ったのだ。だが、結果は数名の排除が行われた。それも数名だ。この数名の排除の責任を前原氏ひとりに帰するのは無理がありすぎる。

 なぜなら、前原氏から最初に相談を受けて賛同した当時の党幹部の枝野代表代行も連帯責任を負うからだ。

 結局、希望の党が正式に排除した議員は滋賀1区の嘉田由紀子氏だ(鹿児島一区の川内博史氏などのように別の選挙区を提示されて断った者を排除に入れなければ)。しかも、彼女は民進党議員ではない。

 実は、「いの一番」に解党に賛成した枝野氏に至っては希望の党への公認申請すらしていない。申請の無い者を排除することができないのは自明の理であろう。しかも、そもそも枝野氏は排除対象ではなかった。申請すれば公認され、実際希望の党ではその準備もしていた。

 ではなぜ枝野氏は自らが排除されたと振る舞ったのか。実は、驚くべきことに、一部メディアの報じた「偽排除リスト」を根拠に、排除されると信じ込んだにすぎないのだ。

 選挙に強くない枝野氏が無所属立候補を恐れたことは想像に難くない。ゆえに、前原誠司氏、玄葉光一郎氏、安住淳氏、岡田克也氏、野田佳彦氏、小沢一郎氏(全員無所属で立候補)などのように選挙に強い政治家と違って、自らの立場を守るため右往左往していたことは筆者のもとにも情報として伝わっていた。

 「排除の論理」について、感情的な議論が幅を利かせている。いつものことだが、日本の言論空間に真実が広がるのはずっと後のことだろうし、場合によっては虚偽の政治史が作られ、続いていくのかもしれない。

 しかし、歴史の検証に耐えられるのは事実に対して誠実であった者のみだ。その点で、批判の矛先に立たされている前原氏こそが有資格者だ。

 「排除の論理」を政治の師匠、鳩山邦夫氏から伝承した筆者の責任はこれを断言することだと信じる。



(私のコメント)

立憲民主党はマスコミのフェイクニュースから誕生したようなものであり、マスコミのフェイクニュースには、排除されるリストが公表されて枝野氏もそこに入っていた。しかし上杉氏の記事によれば枝野氏は希望の党へ公認を申請すれば公認されたということです。

これは小池氏に責任が有り、排除リストをなかなか公表しなかったことで、マスコにはフェイクニュースを流して排除リストを流した。小池氏が安倍おろしを優先して民進党議員をほとんど受け入れていれば、立憲民主党はできなかっただろう。「憲法改正や安全保障政策だけは絶対に譲れない」とする基本路線も、今では希望の党でも怪しくなってる。

「憲法改正や安全保障政策だけは絶対に譲れない」とするならば、選挙資金も組織もない希望の党では戦えなかった。結局は希望の党は連合の支援も得られなくなり選挙では惨敗して、立憲民主党が野党第一党になってしまった。排除リストなるものは誰が作ったのだろうか。それが事実として一人歩きをして枝野氏は立憲民主党を立ち上げた。

前原代表の行動は理解に苦しむものであり、選挙の惨敗の責任を取って辞任しましたが、民進党そのものを憲法改正や安全保障政策の路線を確立しればよかったのだ。自民党でも右から左まで幅広い政策の集まりですが、民進党も右から左までの広がりを持った政党に変えていくべきだった。しかし前原氏は小池氏と組むことで選挙に臨んだ。

しかし小池氏は都知事としてまだ仕事らしい仕事をしておらず成果がまだ見えない時であり、国政に進出するのはまだ早かった。政策もまだ固まってはおらず付け焼刃であり、これでは希望の党が勝てるわけがない。小池氏はまだ2、3年待ってポスト安倍の話が出始めることから動けばいいのであり、2020年の時なら都政の実績を持って国政に乗り込めば首相の座も夢ではなかっただろう。

上杉氏も希望の党から出るという噂が出ましたが、たとえ出ても当選は無理だっただろう。上杉氏によれば、「右手に学会、左手に連合、非自民、非共産の新進党型の政党を作るしかない」ということですが、民進党左派の中には共産党と組もうというグループが有り、それでは政権が取れない。

民主党から民進党の名前を変えても政権が取れないのは、右派を排除してしまうからであり、長嶋氏も細野氏も排除されてしまった。かつての民主党には西村真悟しのような極右の政治家もいたが結局は排除されてしまった。維新の党と民主党議員と組んだが、結局は寛容と忍耐が足りずに別れた。野党は離合集散の歴史であり寛容と忍耐がないから国民政党になれない。

民進党は結局は4つに割れてバラバラになってしまった。選挙が終わって再結集もままなりませんが、結局は労組頼みの政党であり、議員一人ひとりの後援団体もなく、政策も偏向マスコミが言っていることを国会で言っているだけだ。自民党も後援団体があるのはいいが、そのために世襲の二世議員が多くなってしまう。




私は、「石橋をたたいて渡る慎重な人」よりも、「見切り発車で、とりあえず始めてしま
う人」のほうが、社長にふさわしい。会社の将来は「決定のスピード」で決まるからです。


2017年11月2日 木曜日

会社を潰す社長の「ダメな口ぐせ」ワースト5 会社の未来は「経営者の言葉」ですぐ分かる 10月30日 小山昇

ダメな口ぐせ@「ビジネスは現場社員の熱意で決まる!」

「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、夏が暑いのも、冬が寒いのも、すべて社長である小山昇の責任」。これがわが社のルールです。クレームが起きても、私は社員の責任をいっさい追及しない。給与の減額もしないし、降格人事もしない。

責任を追及しないのは、社長しか責任を取ることができないからです。「責任を取る」とは、「経済的に損をする」ことです。代議士や官僚が汚職を働くと、責任を取って辞職するケースがあります。でも私に言わせれば、辞めるだけでは「責任逃れ」にすぎません。

クルマで接触事故を起こします。原因はあなたの前方不注意。相手のクルマのボディがへこみました。このとき、あなたはどのように責任を取りますか? 

「私の運転ミスでした。今後は気をつけます」と謝っただけでは、事態は収拾しません。正しい責任の取り方は、「修理費を負担する」ことです。経済的な損を取らない人は、責任を逃れただけです。

二十数年前、私は、当時の常務の提案を受け、ある事業を始めました。ところが事業は失敗し、4億円もの損失を出した。おそらく常務はクビや降格を覚悟したと思います。

しかし私は、「あなたがこの話を持ってきたのは事実だが、決定したのは私。だから、損をしたのも私の責任」と「私が責任を取る」ことを示しました。そして、「これから、あなたがやることは1つ。3億円に見合う稼ぎを上げること」と付け加え、彼の奮起を促しました(結果的に元常務は、毎年2億円を稼ぐしくみを作った)。

多くの会社の社長は、失敗を部下に押し付けます。「ビジネスは現場社員の熱意で決まる!」と言い放ち、責任を取らせようとする社長もいます。ですが、会社の赤字も、事業の失敗も、社員のせいではありません。会社の業績が悪化するのは、すべて社長の責任です。

社員の仕事は、社長が決めたことを実行することです。会社の方針を実行し、実績や成果が得られれば、それは社員のお手柄です。ですから、「実施責任」は社員にあります。けれど、「利益責任」を取れるのは社長だけ。会社は、社長ひとりで「99%決まる」のです。

ダメな口ぐせA「正しい決定をしよう」

私は、「石橋をたたいて渡る慎重な人」よりも、「見切り発車で、とりあえず始めてしまう人」のほうが、社長にふさわしいと思っています。なぜなら、会社の将来は「やり方」で決まるのではなく、「決定のスピード」で決まるからです。

かつて武蔵野では、「実践経営塾」(武蔵野が主催する経営者のためのセミナー)のセールスで大きな赤字を計上したことがありました。7000万円の広告費を使ったにもかかわらず、新規のお客様は「たったの2社」しか増えなかった。そこで私は、「売り上げを上げる」と決定しました。

「どうすれば利益が出るのか」を検証したり、正しいやり方を考えたりすることは後回し。それより先に「売り上げを上げる」と決定したのです。その結果、お客様を増やすことができ、毎年増収を続けています。

会社は、「社長の決定」で決まります。ところが、ほとんどの社長は、決定ができない。あるいはしない。なぜなら、「正しい決定をしよう」とするからです。

決定を正しくしようとすると、どうしても時間がかかります。正しい意思決定のために、情報収集に時間を割く社長は少なくありません。ですが、経営のスピードが失われてしまえば、マーケット(お客様とライバル)の変化についていくことができません。

また、正しい決定を下しても、その決定は「社長(会社)にとって正しいだけ」であって、お客様にとって正しい決定とは限りません。そもそも「正しさ」はお客様が決めるものです。社長が正しいと信じても、お客様に受け入れられなければ、その決定は「間違い」です。だから、「とりあえず計画を作って、マーケットの反応を見る」のが先決です。

私は、「正しく決定すること」よりも、ある程度テキトーでもいいから「早く決定すること」に重きを置きます。とりあえず決定して、途中で間違いに気がついたら、そのときに修正すればいいのです。実行するのが早いほど、間違いに気づくのも早くなり、修正も早くできます。(後略)



(私のコメント)

サラリーマン社長が無責任なのは、会社がダメになっても辞めりゃいいと考えているからだ。オーナー社長は会社がダメになれば社長を辞めても莫大な借金が残ります。だからオーナー社長は誰もが出来ることではなく、有能でなければ会社を大きくすることはできません。そして責任を全部負わなければなりません。

大企業なども、歴史が長くなればサラリーマン社長にならざるを得ませんが、それでも最終的な責任は社長にあり、部下に責任を押し付けて自分は正しいとする社長では会社は長く続かないだろう。オーナー社長には定年がないことが多く、社長を何十年も続けている人がいるが、サラリーマン社長は任期が数年しかなく、問題が起きても先送りにすれば責任逃れができる。

日本の大企業で、不祥事が相次いでいますが、何十年も前から不正が行われていても不正に気がつかないのは何故なのだろうか。社長の任期が数年しかなく、先代や先々代から行われてきた不祥事の責任はどの社長に責任があるのだろうか。大外車では会議が頻繁に行われて、物事が決定されていきますが、責任の所在がわからなくなる。

大企業も中小企業も、社長に全責任があることには変わりがないと思うのですが、大企業では間違ったことが行われていてもなかなかその修正が効かない。社長が決定をできないのは「正しい決定をしよう」とするから時間ばかりかかって、中国や韓国に遅れをとってしまう。間違った時の修正も遅れがちだ。

シャープにしても東芝にしてもタカタにしても会社の存亡に関わる事なのに、どこに責任があってどうすべきかは社長にあるのですが、右往左往するばかりで手遅れになってしまった。小山氏は、『会社は、「社長の決定」で決まります。ところが、ほとんどの社長は、決定ができない。あるいはしない。なぜなら、「正しい決定をしよう」とするからです。』ということです。

スピードが第一だからとりあえずは始めてみて、間違っていたら修正をすればいいだけの話だ。しかし日本の役所や大企業は一度決めるとなかなか修正ができない。何事も正しい決定をしようとするから情報収集ばかりして、結論が出る頃には手遅れになってしまっている。




欧州の自動車メーカーは今、こぞって次世代ディーゼルの開発を秘密裏にやっている
形跡があるという。熱効率50%に持っていけば、文句はないだろうというロジックらしい


2017年11月1日 水曜日

欧州自動車メーカーが「EVシフト」をことさら大合唱する理由 10月31日 NEWS ポストセブン

 東京モーターショーが10月27日に開幕した。今年は各自動車メーカーがこぞってガソリン車からEV(電気自動車)へのシフトを睨んだコンセプトカーの展示や、運転操作の要らない自動運転技術の最新デモなどを行い、近い将来、クルマ社会が大きく変わりそうな印象を与えている。

 だが、完全EV化や無人運転の時代は本当に間もなくやってくるのだろうか──。自動車ジャーナリストの井元康一郎氏が、100年に1度といわれる自動車業界の変革期に一石を投じる。

 * * *
 東京モーターショーの花形はもちろん完成車メーカーの打ち出す数々のショーカーなのだが、取材陣にとっては世界から集まる自動車業界関係者と気軽にコミュニケーションを取れる貴重な場でもある。

 そのなかでも往々にして自動車にまつわる本音や裏話が聞けるのは、部品業界である。海外の大手部品メーカーも複数出展しているうえ、日本勢もいまやグローバルサプライヤーとしての地位はゆるぎない。

 昨今、クルマは100年に1度の変革期にあると言われている。電動化の導入、自動運転やコネクティビティの実用化などテーマはいろいろ。その技術革新の多くを支えているのは、実は部品メーカーだったりする。ということで、本当に劇的な変化がすぐにでも訪れるのか、技術開発の最前線にいるエンジニアたちをはじめ、ステークホルダーの温度感をきいてみた。

 まずは電動化。欧州でフランス、イギリスなどが次々とエンジン車を廃止する方針を打ち出したり、世界最大市場である中国が電動化車両の比率を一定以上にすることをメーカーに義務付けるという半ば強引とも思える手法で脱石油を図るなど、話題には事欠かない。世界各国のメディアがガソリンエンジンすらあっという間になくなるというストーリーを出している。

 果たして、そういうムーブメントに対する現場の声は、至って冷静なものばかりであった。

電動化は進む。このこと自体に間違いないでしょう。部品メーカー、とくにメガサプライヤーは求められる技術は全方位にわたってやるというのが使命ですから、もちろん研究開発はやっています。ただ、ヨーロッパが早期にエンジン車をなくし、EVに切り替えていくような方向に向かうかと言えば、ちょっと違うかなと思います

 欧州系部品メーカーの関係者は語る。

EVシフトは今までの道路交通のエネルギー供給の仕組みを根底から覆すような大きな話で、やるとしても何十年もかかる。当然、今から社会の制度設計について真剣な議論がなされてしかるべきですが、現地でもそういう根源的な議論はほとんどされていない。今はちょっと熱に浮かされているような感じではないかと思いますね

 今年夏、欧州では電動化の導入だけでなく、クルマから内燃機関をなくすという目標を打ち出すのが流行した。が、それから数か月のあいだに「ハイブリッドもカウントする」と、事実上のトーンダウンが相次いだ。

 ハイブリッドを増やすのは、今の自動車工学の水準からいえば、造作もないことだ。モーターだけでクルマをかなりのレベルで走らせることができる、プラグインタイプを含むストロングハイブリッドはまだまだ高コスト。

 だが、駆動力をちょっとアシストしたり、ブレーキ時に発電して減速エネルギーを回収したりすることがメインのマイルドハイブリッドは低コスト化、高機能化が進み、先進国向けのクルマでは当たり前の装備になるという未来像が見えるところまで来ている。

 ヨーロッパでは、クルマのシステム電力を今の12ボルトから48ボルトに変え、簡易ハイブリッドを普及させるという目論見が進行中だ。筆者は2年ほど前、その試作車を運転する機会を得たことがあったが、走行中でも必要ないときにはエンジンを積極的に停止。運転のしかたによってはかなり燃費を稼げそうで好印象を抱いた。

 今回の東京モーターショーでも日欧の部品メーカーがこぞってそのソリューション技術を展示していた。これも電動化にカウントすれば、EV比率は急速に上がるだろう。

 だが、このマイルドハイブリッドについても、ヨーロッパが本当に本気を出しているかといえば、まだ動きが鈍いところがある。

 48ボルトというのは、これが小規模なハイブリッドに適した電圧ということで決められたのではない。ヨーロッパではピーク電圧60ボルト超だと高電圧扱いとなり、自動車用部品としてはコストの高いデバイスをいろいろ装備しなければならないという規制がある。低コストシステムを目指すために、やむなく48ボルトにしているのだ。

「もう少し電圧が高くなれば、電流依存が減って効率を上げられる。100ボルトまで行ければ、マイルドとしては申し分ない。しかし、EUが規制緩和に乗り出すという話はまだ聞かない」(別の欧州部品メーカー関係者)

 欧州とは規制の異なる日本では、スズキが100ボルトのマイルドハイブリッド(スズキはストロングと称している)をリリースしている。クルマの効率を良くすることを第一に考えるのであれば、それが本来のあるべき姿と言える。欧州は電動化ありきを叫んでいるが、本気度はまだそれほどでもなく、本音の部分はあくまで中国でのビジネスの継続性確保にあるものと考えられる。

 ヨーロッパではマスメディアがEV転換の大合唱。その中には、社会全体でのエネルギー消費のバランスについての適正な見方とは思えない記事を大手新聞が出すこともしばしばだが、ある業界事情通は「今、ヨーロッパのマスメディアにとって、環境NGOは一大スポンサー。彼らの主張を盛り込めば広告費を稼げるという理由だけですよ」と切って捨てる。

 一方で、これはあくまで噂だが、欧州の自動車メーカーは今、こぞって次世代ディーゼルの開発を秘密裏にやっている形跡があるという。熱効率50%に持っていけば、少なくともあらゆる火力発電由来の電力にCO2排出量で勝てる。それで排出ガスレベルを本当にクリーンにすれば文句はないだろうというロジックらしい。

 日本勢で内燃機関の技術革新に力点を置いているマツダの関係者は少し前、

欧州メーカーは単に死んだふりをしているんだと思う。静かにしているとき、決まってすごいことをやっているというのが彼らのパターン。電気を声高に叫んでいるよりそっちのほうが脅威」

 という見方を示していたが、あながち外れていないのかもしれない。(後略)

(私のコメント)

EVについては「株式日記」でも何度も書いてきましたが、現在の段階ではまだ使い物にならない。自動車評論家のあいだで評判のいいテスラですら、車が炎上する事故が絶えず有りマスコミはそれを書かない。リチウムイオン電池はダイナマイトのようなものであり、電池パックが破損すると火災炎上して水をかけても消せない。

日産のリーフが火災炎上したというニュースはまだ聞いたことがない。電池がまだ小さいからでしょうが、テスラのように大量の電池を積むと航続距離は伸びるが問題が多いようだ。一番の欠点は充電に時間がかかることであり、急速充電を繰り返すと電池の寿命がみじかくなるという欠点もある。

充電ステーションのインフラもまだ整ってはおらず、高速道路のスタンドではEVの充電待ちの車が列をなしているそうだ。高速充電でも30分もかかればEVの行列ができるのは当たり前だ。このような状況ではとてもEVは実用化のレベルとは言えないだろう。しかもコストが高い。

もしEVの普及が進めば、充電する電力は今の発電所の能力では足らなくなる。その為に火力発電所を何箇所も建設すれば、それだけCO2を排出することになる。ヨーロッパにしても中国にしてもEVを次世代に車としてガソリン車を廃止するといっているのはプロパガンダであり、外国車を排除するための口実だろう。

HVをEVに含めるかどうかは微妙な問題であり、ヨーロッパでもHVも含めるといった方向に行くのだろう。EVにしてもHVにしてもコストが問題であり、主力の大衆車に採用するにはEVもHVも高すぎる。HVと言ってもいろいろな種類が有り、マイルドハイブリッドとストロングハイブリッドに分けられる。マイルドハイブリッドは電動自転車のようなものでありコストがかからない。

もちろん画期的な自動車用電池が開発されれば、私の予想も変わりますが、リチウムイオン電池は化学反応を利用した製品であり、大量生産が難しい。もっと安い材料で大量生産の効くような電池ができれば別ですが、現状の技術では難しいだろう。だからトヨタでは燃料電池車の方に将来性をかけている。

ポストセブンの記事では、ヨーロッパのメーカーでもEV化もまだ本気ではなく、車の48V化も100V化もまだ規制緩和の動きもない。車の電動化を目指すなら100V化は避けて通ることができなきからだ。騒いでいるのはマスコミだけで、「日本はEV化に遅れている」と騒ぎ立てている。

しかし自動車部品メーカーから見れば、欧州も中国もEV化は掛け声だけであり、噂によれば画期的な次世代型ディーゼルエンジンを開発しているという。日本でもマツダなどが新型エンジンを開発していますが、EV化に飛びつくのは問題がある。東京でも日産のリーフや三菱のアイミーブを見かけることはほとんどない。

テスラにしても注文は殺到しているが量産化に失敗している。EVは手作りなら簡単にできるが大量生産には問題があるようだ。



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