株式日記と経済展望


悪質タックルを見舞ってベンチの戻った選手がヘルメットを撫でられたのと同じように、
粉飾決算に手を染めた東芝の社員たちも「グッジョブ!」と褒められたのだろうか。


2018年5月22日 火曜日

日大アメフト部の悪質タックルは、東芝の「チャレンジ」と同じ構造だ こうして日本型組織は「集団催眠」にかかってゆく 5月19日 大西康之

日本大学選手による悪質タックルで関西学院大学アメフト部の選手が負傷した問題で、関学は5月17日、日大から「『厳しさ』を求める指導と選手の受け取り方に乖離が起きていた」という旨の回答があったことを明らかにした。

 閉ざされた集団の中では、上からの指示に逆らえない空気が生まれる。7年以上にわたって大規模な粉飾決算を続けていた東芝でも同じことが起きていた。背景には「組織のためなら一線を超えても構わない」という集団催眠がある。

「反則」というより「犯罪」に近い

 テレビが繰り返し流す映像を見る限り、その行為は「反則」というより「犯罪」に近い。アメリカンフットボール、日本大学と関西学院大学の定期戦。試合開始直後、投げたパスが通らず空を仰ぐ青いユニフォームの関学クオーターバック(QB)に、赤いユニフォームの日大選手が背後から全力疾走で迫る。プレーが終わり、すっかり気を緩めている関学QBの背中に、日大選手は猛烈なタックルを見舞った。不意をつかれた関学QBは激しく仰け反り、頭は激しく地面に打ち付けられた。

 アメフトでは、プレーが終わった後の無防備な選手へのタックルは禁止されている。また、アメフトに限らず、ラグビー、サッカーなど相手との激しい接触をともなうスポーツでは、相手の選手生命を奪いかねないタックルはご法度である。

仲間たちが「よくやった」とヘルメットを撫でる

 その後の報道によると、日大チームの他選手は「あのプレーは監督の指示だった」「(反則を犯した選手は監督に)試合に出たいなら(関学大の)QBを壊してこい、と言われていた」と証言している。日大の内田正人監督は、選手に猛練習を課す厳しい指導で知られる。悪質タックルのあった試合の直後も日刊スポーツの取材に対し、「うちは力がないから、厳しくプレッシャーをかけている。あれぐらいやっていかないと勝てない。やらせている私の責任」と悪質タックルを容認する発言をしている。

 悪質タックルがそれを命じたであろう監督と遂行した選手だけの問題ではないのは、当該選手がベンチに下がったシーンを見ればよく分かる。内田監督以外のコーチや仲間の選手たちが「よくやった」と言わんばかりに当該選手のヘルメットを撫でているのだ。相手選手を再起不能にしかねない悪質タックルがこのチーム内では「許容範囲のプレー」と認められているかのようだった。

 もしも相手チームの司令塔を壊した(怪我を負わせた)仲間を「よくやった」と褒めることが常識になっていたとすれば、日大アメフト部はまさに集団狂気に陥っていたと言わざるを得ない。

利益を水増しして「会社に貢献した」と達成感

 まったく同じシーンに出会ったことがある。東芝の粉飾決算を取材していた2015年、私は都内の某所で東芝の原子力事業部門で働く現役の部長に会っていた。彼は匿名を条件に自分たちの部署でも決算を改竄し、利益を水増しした手法を明かした後、驚くべき発言をした。

「上に言われて利益を水増しした書類を提出したのですが、その時は罪悪感を感じませんでした」

 ではどんな気持ちだったのか。

「むしろ、自分の部を守った、会社に貢献した、という達成感を感じていました」

 悪質タックルを見舞ってベンチの戻った選手がヘルメットを撫でられたのと同じように、粉飾決算に手を染めた東芝のエリートサラリーマンたちも「グッジョブ!」と褒められたのだろうか。だとしたら、すべてが狂っている。

言い訳の仕方も東芝に酷似している

 冒頭の回答の中で、負傷した選手に対する謝罪を求めた関学大に対して、日大側はこのように釈明していた。

「ルールに基づいた『厳しさ』を求めたが、指導者の指導と選手の受け取り方に乖離が起きていた」

「『あれぐらいやっていかないと勝てない。やらせている私の責任』(日刊スポーツ)という試合後の内田監督のコメントは、選手に『厳しさ』を求めて発したもの。反則行為を容認する発言と受け取られかねないものであり、本意ではないため撤回する」

 言い訳の仕方も「チャレンジ」と称して社員に粉飾をけしかけたとされる東芝の経営陣とよく似ている。東芝は粉飾決算(東芝は「不正会計」と表現している)で被った損害の賠償を求めて西田厚聰、佐々木則夫、田中久雄の歴代3社長(西田氏は死去)と2人の財務担当役員を訴えている。この裁判の中で佐々木氏はこう主張している。

「社長月例(社長と事業部責任者の会合)において『チャレンジ』と称される目標の伝達が行われる場合もあった。その意味合いはコーポレートからカンパニーに対する努力目標であり、その必達が要求されるものではなかった」

田中氏も「チャレンジは『もっと頑張れ』という社長からの叱咤激励であり、経営者として当然の行為。それをしないのは経営者の怠慢」という旨の発言をしている。「『厳しくやれ』とは言ったが『相手に怪我をさせろ』とは言っていない」という日大の主張と酷似しているではないか。(後略)


(私のコメント)

日本型組織の恐ろしさは、組織に対する絶対的な忠誠を求めることであり、それが倫理に反することであっても「上官の命令は天皇陛下の命令だ」とされて、絶対の服従が求められることだ。ヤクザ組織ならそれでもいいかもしれないが非合法集団とされてしまう。

しかし日本大学や東芝が、なぜヤクザ組織化してしまうのでしょうか。それは終身雇用であり年功序列型の組織では、組織に対する絶対的忠誠が求められやすいからだ。私も銀行員時代に同じような感じを持ったが、上司の命令に「そこまですることもないのでは」と思うことが多々あった。

日本型の組織では、有能である事よりも組織に対する絶対的忠誠が求められており、上司の命令に逆らえばその組織にいられなくなる恐れも出てくる。なぜ日本型の組織ではそれほど上司や組織に対する忠誠が求められるのでしょうか。それは会社内の倫理と一般社会倫理にズレがあっても気がつかないからだろう。

日大のアメフト部や東芝などの事件は、このような問題が顕在化したからわかりますが、アメフト部の監督や東芝の社長などは絶対化されてしまって、不正な事を指示されても「それはおかしい」とは言えない雰囲気ができてしまう。

財務省の文書改ざん事件でも同じことですが、佐川局長から指示されれば不正でもそれは行われてしまう。日本では組織防衛が正当化されて不正が行われても処分がされない事があるようだ。文書の改ざんは違法行為なのに内容の変更はないとして起訴されない。

日大のルール違反のタックルも、東芝のチャレンジも、財務省の文書改ざんも不正な事に変わりがない。しかし組織防衛のためということで組織内部では正当化されてしまう。それが外部に漏れて問題化すれば、日本人は初めてそれが「不正」だと気がつくのだろうか。

日大も東芝も財務省も、一種の閉鎖された社会であり、一般社会倫理と組織内倫理にズレが生じても気がつかなくなってしまうことがあったようだ。やっている本人がそれが組織の為という正当化された行為と思い込んでしまう。

記事においても、「上に言われて利益を水増しした書類を提出したのですが、その時は罪悪感を感じませんでした」「むしろ、自分の部を守った、会社に貢献した、という達成感を感じていました」という発言が書かれていますが、まさに狂っている。しかもみんな狂っていて誰もが気がつかない。

日本全体も海に囲まれた閉鎖された社会になりがちですが、トップが狂ってしまうと歯止めが利かなくなり暴走しやすい体質を持っている。国会にしても「モリカケ」で狂いまくっていますが、違法行為があれば問題となるが、有権者からの陳情に政治家がこたえて何の問題があるのだろうか。これだけ狂っているのに国会内の野党はそれに気がつかない。




韓国の17年の合計特殊出生率は、さらに大きく悪化して1.05。推計値を含む同年の
国際比較では、1を割り込んでいるマカオ、シンガポールに次いで世界ワースト3位だ


2018年5月21日 月曜日

韓国政府、「韓国人が消滅」との予測発表…超格差社会で20代の未婚率91%、諦める若者 5月20日 高月靖

下がり続ける底なしの出生率

 西暦2750年、韓国人は最後の1人が死んで地上から消える――。韓国の行政機関、国会立法調査処がこんな発表をしたのは、14年8月のこと。これは前年の合計特殊出生率1.19が持続した場合の推計だ。

 だが3年半後に発表された17年の合計特殊出生率は、さらに大きく悪化して1.05。推計値を含む同年の国際比較では、1を割り込んでいるマカオ、シンガポールに次いで世界ワースト3位だ。

 韓国でも少子化と同時に高齢化が進んでいる。昨年の総人口5144万6000人のうち、65歳以上の高齢者は全体の13.8%。いっぽう14歳以下は13.1%にとどまり、史上初めて高齢者と子供の数が逆転した。


非婚化、晩婚化は日本以上
 
 高齢化の進行は予想を超えるスピードで進んでいる。人口の20%を高齢者が占める超高齢社会の到来は26年といわれたが、1年ほど前倒しになりそうだ。死亡数が出生数を上回る人口減少も、当初予想の30年から23年に早まるとの見通しがある。

 今年3月には、もう一つ悪い数字が発表された。婚姻件数が12年から6年連続で減少し、昨年に前年比6.1%減で過去最低を記録したのだ。これで出生率のさらなる悪化はほぼ確実となった。

 韓国の婚姻率の低下と晩婚化は日本以上だ。初婚年齢は09年から日本を上回り、20代の未婚率は日本79.7%に対して91.3%に上る。


過去16年間の少子化対策は「失敗」と総括
 
 韓国で少子化が大きな問題として認識されたのは、サッカー・ワールドカップ日韓大会が開かれた02年。この年に新生児数が初めて50万人を下回り、史上もっとも多かった1971年(102万5000人)の半分以下に落ち込んだ。

 これを受けて05年に低出産・高齢社会基本法が成立。韓国政府は06年からの「第1次低出産・高齢社会基本計画」を皮切りに、第2次、第3次と対策を繰り広げてきた。一連の計画で費やされた予算は、200兆ウォン(19兆6200億円)に上る。

 だが現職の文在寅大統領は昨年12月、次のように述べている。「(16年に及ぶ)これまでの少子化対策は失敗だった」「少子高齢化は韓国の根幹が揺さぶられる深刻な人口危機状態だ」「いまを逃せば解決のチャンスはもうない」。この強い危機感の下、政府は前政権から引き継いだ第3次計画の大幅見直しに着手している。

高所得者の特権と化した結婚・出産

 韓国政府がこれまで主にやってきたのは、出産インセンティブの付与。つまり出産奨励金や育児手当の支給、保育支援などだ。だが前述のとおり、これは大金を浪費しただけだった。出産インセンティブが無意味なわけではないが、それだけでは出生率は上がらなかったのだ。

 失敗は少子化の原因を見誤っていたせいだという議論がある。現地メディア「Chosunbiz」は昨年11月、30代男女の既婚・未婚を分ける最大の要因は所得だと伝えた。これは15年の意識調査を分析し直した結果だ。

 30代男性の場合、月収が100万ウォン(9万8000円)上がるごとに既婚者である割合が12.4ポイント上昇。また同じく正規職の男性の既婚率は、非正規職より17.7〜18.5ポイント高い。35歳男性のうち月収400万ウォン(39万円)の正規職の既婚率が83.9%に対し、同200万ウォン(20万円)の非正規職は46.3%という残酷な実態も明らかになっている。

 また昨年5月には、従来の常識に反して教育水準が低い層ほど子供が少ないこともわかった。学歴が低いため低収入の職にしか就けない層が、子供をつくらなくなっているのだ。

出生率低下は「不平等」の産物か
 
 国会立法調査処の立法調査官は今年3月、過去の対策を批判しながらこう語った。

「少子化を迎えた韓国と日本の共通点は、格差社会という点に集約できる。若い世代は、自分の考えに基づいて結婚しないわけではない。結婚・出産の経済的コストが自分に賄える水準を超えているという、合理的な判断をしているのだ」

 結婚を奨励し、初婚年齢を早めれば出生数が増える――。過去の対策が土台としたこの仮説も、否定されつつある。低出産・高齢社会委員会で今年3月、専門家が次のように発言した。

「晩婚化・非婚化が問題なのではない。スウェーデンの平均初産年齢は31歳で韓国とほぼ同じだが、出生率は1.98(13年)で韓国を大きく上回っている」

「韓国の出生率が低いのは、持てる者だけが恵まれる不平等の深刻化、そして国民全体の『生活の質』が悪化したことだ」

結婚・出産を諦めた若者たち
 
 韓国で「3放世代」が流行語になったのは、11年頃から。これは「恋愛、結婚、出産の3つを諦めた=放棄した青年世代」を意味する。背景にあるのは、青年層の就職難と家庭を持つ経済的コストの増大だ。のちに「人間関係、住宅」を加えた「5放世代」という言葉も生まれた。

 猛烈な受験勉強を経て進学しても、ソウルの一流大学でなければ満足な就職は望めない。やっと会社に入れても雇用は不安定で、長時間労働が常態化している。住宅価格は経済成長を上回る勢いで高騰し、マイホームはますます手が届かなくなった。こうして家庭を持つことを諦めた青年層には、出産奨励金も行き渡りようがない。

女性と青年の「生活の質」が究極の答え
 
 労働問題に詳しいウン・スミ大統領府女性家族秘書官は、昨年12月の懇談会で「少子化は単独の問題ではなく、私たちの社会が抱えるさまざまな問題が現れた病の症状だ」と述べた。さらに「出生率と出生数を当面の目標とするのでなく、市民、特に女性と青年の生き方を変える人間中心の政策にパラダイム転換する」と宣言した。

 韓国社会の一部でも、女性の社会進出や高学歴化が少子化の原因だという意見は根強い。だが世界経済フォーラムによれば韓国と日本はともに、OECD加盟29カ国中で女性の社会進出が難しいランキングのワースト1と2に並んでいる。これは、むしろ逆の相関を疑うほうが合理的だろう。

 儒教に基づく韓国の伝統的な家族観は、父系の血縁を特に尊重する。それと相反する未婚の母は、執拗な偏見と差別の対象だ。韓国人の価値観は現在も急速に先進国化しつつあるが、こうした因習は一部でまだ根強い。

 女性や家族問題を扱う中央省庁、女性家族部は、前政権の第3次計画を見直すにあたってこうした点を批判している。入籍していないカップルが、出産インセンティブの対象から排除されていることなどがそうだ。同時に未婚の母への差別にも言及し、その改善を求めた。

「最後のチャンス」に賭ける具体策はこれから
 
 韓国の大学進学率は、09年から女性が男性を上回っている。16年は女性74.6%、男性67.6%だ。同年の女性就業率は66.4%で日本とほぼ並んでいる。文政権はさらに女性の労働環境を幅広く改善し、「女性の人生と選択を尊重する」政策を追求すると宣言。育児を母親1人に負担させない「平等育児」も提唱した。日本のあとを追って生産年齢人口が減少へ向かう韓国は、女性の労働力活用も死活問題だ。

 女性と青年の「生活の質」を変えるという文政権の少子化対策。だが今のところ提案されている具体策は、既視感が強い。「公共部門の雇用を増やす」「企業の意識改革の促進」「女性のワーク・ライフ・バランス」「育児ケアの強化」など、前政権でも見たようなプランに終始している。1994年のエンゼルプランを皮切りとする日本の政策もベンチマークにしているが、それとて目立った成果が出ているわけではない。

 移民を歓迎するムードは、10年ほど前より後退した。南北統一という変数もあるが、もちろん現実味に乏しい。待ったなしの危機的状況を前に、韓国社会はどこまで自己変革できるのだろうか。


(私のコメント)

経済の低迷の大きな原因の一つが、少子化と高齢化の問題がありますが、日本だけではなくアジア諸国や先進各国も同じ問題に直面している。原因については教育に金がかかるようになり、結婚して妻子を養うには費用がかかるという問題がある。さらに格差社会となれば、富裕層は結婚して子供も作れるが、貧困層は結婚もできず子供も作れない。

ならば社会主義的な政策をとって、累進課税などで所得の再分配を行って貧富の格差を無くす政策をとって、ゆりかごから墓場までの福祉政策で生活の保証をすれば解決するのだろうか。非常に貧しい国では子供も働かせて生活手段になるから子沢山で、人口構成も多産多死のピラミッド型になりますが、戦前の日本もそうだった。

しかし高度経済成長で日本も豊かになり、医療なども充実して生まれた子供もほとんど大人にまで成長するようになり、子供をたくさん産む必要がなくなる。国中が貧しい頃なら家族が貧しくても平気だったが、豊かな社会になれば家族の生活費はかかるようになり、特に教育には大学まで進学させるには数千万円もかかる。

これでは5人も10人も子供は作れず、2、3人の子供の家庭が多くなる。家付きカー付きババア抜きと言った言葉があるように、結婚して家庭を持つには非常に金がかかるようになり、その多くは結婚して住宅ローンを借りて家を持つ。日本もバブル崩壊まではそれで上手く行っていたが、バブル崩壊とともにその生活スタイルは崩れた。

非婚化と晩婚化は、高学歴社会にも原因があると思うのですが、高卒ならば18歳で社会人となり、仕事も覚えて20歳代半ばで結婚はできるが、四年制大卒だと仕事を覚えるまでに30歳になってしまう。高い学費を払って大学を卒業すれば親や本人の負担はかなりのものになる。

男はともかく女性は結婚適齢期の数年間を大学で過ごしてしまうし、高卒ならば20歳前後で結婚して子供を作ることも多かったが、今では20歳前後で結婚して子供を作るのは圧倒的に少数派になった。さらに晩婚化だけなら高齢出産も多くなってきたが、非婚化社会になると出産そのものが難しくなる。

韓国政府も、「出産インセンティブの付与。つまり出産奨励金や育児手当の支給、保育支援などだ。だが前述のとおり、これは大金を浪費しただけだった。出産インセンティブが無意味なわけではないが、それだけでは出生率は上がらなかったのだ。 」という事ですが、子供を3人産めば1000万円という条例案があるそうだ。

「株式日記」でも子供が出来たら毎年100万円配れという案を出していますが、出産奨励金は効果がないのだろうか。日本もそうだが韓国や台湾も出生率の低下が著しく1、0を下回った年もあったそうです。いずれも高度経済成長した人口過密国家であり、少子化は自然調節とも思えるのですが、貧しいアジアやアフリカは人口爆発が止まらない。

世界的に見れば人口爆発は止まってはおらず、インドなども中国を追い越して人口大国になる。アジアやアフリカも豊かになれば人口爆発も止まるのでしょうが、中国は豊かになって少子化が問題になり始めている。少子高齢化問題は問題ではなく自然調節現象なのでしょうが、成り行きに任せるしかないのだろうか。

シンガポールなども、「出産祝い金や子ども手当の増額、外国人メイド税の減税など包括的な政策を出したが、効果があったとはいえない。今もなお、出生率は1.1〜1.2あたりをはっている」そうです。ヨーロッパなどは婚姻制度そのものが崩れて非嫡出子が多くなり、結婚と出産は関係がなくなった。日本もいずれそうなるのだろう。




日本はデフレが続き給料は長期間にわたって下がり続けていた。名目所得が
過去20年でアメリカは7割、欧州でも4割上がっているが、日本は1割も下がっている


2018年5月20日 日曜日

日本企業の給料が低いのは、社員を解雇できないから。「雇用」より「人」を守れ。 5月16日 中嶋よしふみ

先日、フェイスブックの社員の給料が年収2600万円であると報じられた。

フェイスブック社員の年収2600万円 17年中央値 ソニー平均の3倍 :日本経済新聞

2017年の中央値は2600万円で、パートタイム労働者も含んだ数字であるとして平均年収はもっと高い可能性があるという。

少し前には中国のIT企業ファーウェイの初任給が月額40万円だと話題になった。グーグルの新入社員は年収1800万円と報じられたこともある※1。

国内の大手企業やIT企業と比べてもフェイスブックの給料は著しく高い。なぜここまで高い給料を払えるのだろうか。フェイスブックは儲かっているから、というだけの話なのか。

■フェイスブックの脅威の利益率

フェイスブックの給料が高いのは儲かっているから、という指摘は当然のことながら正しい。

2017年の売り上げは約406億ドル、営業利益は202億ドル、営業利益率は約50%と驚異的な数字だ。日本の上場企業でもこれくらいの企業はあるが、日本円換算で兆単位の売上規模がありながらこの数字は驚異と言える。

生産性の観点でも、社員一人当たりの売り上げや利益で見るとやはりフェイスブックの数字は抜きんでている。

国内で最も売り上げが大きいトヨタ自動車と比較すると、トヨタ自動車は社員一人当たりの売り上げが約7481万円、フェイスブックは約146万ドル、1ドル109円で換算すると約1億5972万円と、およそ2倍となる。

これが社員一人当たりの利益だと、トヨタ自動車が約496万円、フェイスブックは約6260万円と、10倍以上の差だ※2

ウェブサービスを主とする企業とモノづくりの企業で利益率が異なるのは当然とも言えるが、製造業の中でも効率性が高いと言われるトヨタと比較してもこれだけの差が出てしまう。

■日本の企業はなぜ給料を上げられないのか

フェイスブックがたまたま儲かっているから給料が高い、というのであれば特殊な事例ということで何の参考にもならない。

しかし、日本はデフレが続き給料は長期間にわたって下がり続けていた。名目所得が過去20年でアメリカは7割、欧州でも4割上がっているが、日本は1割も下がっている(日本総研 政策観測No.33 2012/02/27)。

日本の給料が下がる一方で他の先進諸国の給料が上がっているのなら構造的な問題がそこにあると言える。

その最大の原因は強い解雇規制にある。

例えば日本国内にある企業であっても、外資系企業の給与水準はあきらかに日本企業より高い。

自分はFPとして多数の顧客にアドバイスをしているが、外資系企業に勤務している人ならば30代で年収1000万円超は当たり前といった水準だ。

これも解雇を前提とした給与体系になっている事が大きな理由だ。今の働きに今の給料で応える、逆に言えば業績が悪化すれば大幅に給料を減らしたり解雇をする前提なので給与アップが将来のコストアップ要因とはならない。

外資系企業でも日本にある以上は当然のことながら日本の法律に従って違法行為にならないように対応はしている。

とはいえ、実際には法の穴をかいくぐって(現在の法律ではグレーゾーンとなる)実質的な指名解雇が行われており、従業員も概ねその慣習を受け入れている※3。

外資系企業はクビに出来るからこそ高い給料を払える。

一方で日本企業は解雇が難しく、なおかつ不利益変更と言って急激な給与の引き下げも難しいため、業績が悪化した時の事を考えて給与の引き上げには慎重にならざるを得ない。

そして解雇規制は他の部分にも様々な悪影響を与えている。

解雇は制限される一方で転勤は企業の裁量でほぼ自由に認められている。残業時間もほぼ青天井だ。

電通では新入社員が長時間労働を理由に自殺する事件が発生したが、過労死基準とされている一か月あたり80時間程度の残業は多くの企業でごく普通に行われている。

つまり、雇用調整を解雇ではなく低賃金や転勤、長時間労働で行っているのが日本企業ということになる。

そして解雇を制限出来ても採用を強制することは出来ない。可能な限り少ない社員で、一人当たりの労働を限界まで増やすことで業績が悪化した時でも解雇出来ないリスクをヘッジする……これが日本の雇用ではスタンダードなやり方だ。

果たしてこれは健全な状態と言えるのか。解雇を過剰に避けようとするあまり雇用がゆがめられているのではないか。
(後略)



(私のコメント)

表題にあるように、「日本はデフレが続き給料は長期間にわたって下がり続けていた。名目所得が過去20年でアメリカは7割、欧州でも4割上がっているが、日本は1割も下がっている」のは何故なのだろうか。記事では日本の解雇規制が原因であるとしている。

日本の雇用制度は終身雇用と年功序列制度であり、大企業や公務員などの一流企業ほどその傾向が強い。高度成長経済の時はその制度はプラスに働いたが、変動の激しい現代では硬直した雇用制度が企業の足を引っ張っているようだ。しかし年功序列制度は儒教などの影響で小さい時から叩き込まれてしまっている。

これは学校教育から変えなければどうにもならないことかもしれない。成績別クラス編成とか能力別に進学させるとか言った制度は、「差別」だと言って受け入れられない。日本では小学校から一斉に誰もが進級して、落第といった制度は受け入れられない。大学に入ってもトコロテン式に卒業ができる。

勉強しない生徒は落第させるべきだし、成績優秀者はどんどん進級させて16歳で大学卒業してもいいのではないかと思う。それほどでないと能力主義が受け入れられないだろう。会社も新卒で採用して使えないと分かれば解雇したほうが本人の為になるのではないだろうか。

しかし解雇が規制されているので、会社は陰湿ないじめや過剰労働をさせて本人を辞職に追い込むこともしている。日本では過労死がニュースになりますが、過労死する前に会社を退職すればと思うのですが、小さい時から年功序列のレールの上に乗っていると、脱線することは死を意味するように思ってしまう。

私自身も銀行を退職したあとは、2〜3年は仕事をすることもなくぶらぶらしていましたが、アパートを経営していたので失業手当はもらっていない。そして電気学校に行って電気工事士の資格を取った。それはビル経営にも役に立っている。もっと早く銀行を首になっていればもっと早く転身できたかもしれない。

日本の銀行はこれでいいのかといった問題を当時から思っていましたが、バブル崩壊でそれは現実になって銀行は大整理された。投資は人海戦術で預金を集めていましたが、私にはバカバカしく思えた。現在では外回りの預金集めは廃止されてコンサルタント業務に特化している。預貸率が50%では預金集めは意味がないからだ。

電気工事士の資格を取ってビル管理会社に転職しましたが、理系の仕事は比較的能力主義で資格がなければ出来ない仕事が多い。また仕事も出来る人と出来ない人の能力もはっきりとわかりやすい。しかし現場ではそうでも本社では銀行と同じように年功序列社会で、明らかに仕事ができない人でも首には出来ない。

会社の効率を上げるには、能力給にして記事のように、「今の働きに今の給料で応える、逆に言えば業績が悪化すれば大幅に給料を減らしたり解雇をする前提なので給与アップが将来のコストアップ要因とはならない。」ようにしたほうがいいのではないかと思う。

日本企業では有能な社員を無能な社員が脚を引っ張っている面があり、有能な社員がバカバカしくなって辞めていく。そして社内政治を生き残った社員が会社の社長になる。その結果がシャープや東芝のような会社になってしまう。

記事でも、「雇用調整を解雇ではなく低賃金や転勤、長時間労働で行っているのが日本企業ということになる」というのもそのとおりであり、私もサラリーマン時代は転勤や配置転換で年がら年中移動が続いた。これも終身雇用年功序列制度を守るためであり、残業も効率化するか人を増やせばいいだけの話だ。




グーグルやフェイスブックなどのネット事業者の政治力が強まっている。
安倍首相も、楽天やサイバーエージェントなどのネット事業者に軸足を移している


2018年5月19日 土曜日

「最強のロビー団体」民放連が迷走させる放送改革 電波の「区画整理」で日本は5Gのトップになれる 5月18日 池田信夫

 安倍首相も民放連も「政治的公平の規制をなくしたら地上波にネット放送が入ってくる」と誤解しているようだが、ニコニコ生放送やAbemaTVなどのネット放送が地上波の放送免許を取ることは不可能だし、その必要もない。

 いま現に放送できているのだから、各県に中継局をつくる必要はない。企業買収も、ライブドアや楽天の事件で分かるように不可能だ。これから放送ビジネスをやるなら、中継器1本で全国に放送できる通信衛星だろうが、地上波局の既得権を脅かすものではない。

政治部記者というロビイスト

 要するに安倍政権の放送改革は、よくも悪くも民放には影響がないのだ。ところが読売新聞は1面から3面までつぶして「放送法4条の改正反対」のキャンペーンを張り、朝日や毎日もこの点は歩調を合わせた。これは民放が新聞社と系列化されているからだ。

 民放の事業規模(年間売り上げ)は、全国の地上波局をすべて合計しても2兆6000億円。NTTグループ(11兆8000億円)の2割程度にすぎない。ところが地デジのネット配信のような通信・放送の利害が対立する問題では、常に放送が勝つ。

 産業としては小さい民放の政治力が強いのは、政治部記者という最強のロビイストを雇っているからだ。彼らは夜回りと称して政治家の自宅に上がり込み、本音ベースで取引できる。これに対して通信業者の渉外担当は役所に「ご説明」するだけで、政治家にはあまり影響力がない。

 また民放は、政治家の地元に対する「宣伝塔」になっている。民放は田中角栄が郵政相だったとき大量に免許がおり、政治家とのつながりが強い。田中角栄は、最盛期には新潟県で30分のテレビ番組を週2本もっていた。今でも地方に行くと、自民党の政治家がレギュラー出演するローカル番組がある。

 民放は自民党の集票基盤の一部で、彼らの電波利権を守る「族議員」がいるため、大きな影響力をもっているのだ。これはかつて農協が自民党の後援会を仕切ったのと似ているが、衰退産業である点も同じだ。安倍政権は農協に距離を置いたように、民放連とも距離を置き始めているのだろう。

 これは政治的には正解である。欧米でもテレビ局の政治力は衰え、グーグルやフェイスブックなどのネット事業者の政治力が強まっている。安倍首相も、楽天やサイバーエージェントなどのネット事業者に軸足を移している。

UHF帯を「区画整理」して5Gに

 民放連が電波の問題を恐れ、新聞もこれを取り上げないのは、UHF帯の電波が余っているためだ。私も規制改革推進会議で説明したが、テレビ局に割り当てられているUHF帯の470〜710メガヘルツ(テレビ40チャンネル)のうち、実際に使われているのは各エリアで最大8チャンネルで、残り32チャンネルが空いている。

 この「ホワイトスペース」を区画整理すれば、約200メガヘルツ空けることができる。民放連は電波が空くとテレビ局が入ってくると思っているようだが、前にも書いたようにこれは誤りである。UHF帯を整理して入ってくるのはネット事業者なのだ。

 アメリカで2017年に600メガヘルツ帯の割り当てを受けた通信事業者Tモバイルは、この帯域で5G(第5世代移動通信システム)を導入する予定だ。EU議会も2017年6月に、700メガヘルツ帯を2020年までに5Gに割り当てる方針を決めた。

 日本では、5Gは3.7ギガヘルツ帯や4.5ギガヘルツ帯などに割り当てられる予定だが、こういう高い周波数は直進性が強く減衰が大きいため、数百メートルしか届かず、携帯電話のような公衆無線には使えない。実証実験が行われているのも、センサーなどの業務用無線だ。

 これに対してUHF帯は、いま携帯電話に使われており、200メガヘルツあれば、携帯電話の帯域は倍増する。5Gなら、今の数十倍のユーザーが収容できる。自動運転などの移動端末には、こっちのほうが向いている。

 電波の再編は、欧米ではテレビの中継局と受像機のチャンネルをすべて変更しないといけないため、政治的に困難だが、日本の地デジではSFN(単一周波数ネットワーク)という技術で、同一エリア内は一波で放送できる。チャンネルはスイッチ一つで変更できる。

 これは南米では(日本メーカーのライセンスで)現に使われており、日本でも規制改革推進会議での総務省の説明によれば、神奈川県では97%がSFNだという。それならあと3%を整理するだけで、既存のテレビ局が立ち退く必要はない。むしろ新たに空いた電波で民放がネット放送をやってもいいのだ。

 こういう技術的な問題は民放連の経営者には分からないので、彼らはロビー活動で電波の区画整理をつぶそうとするだろう。それを説得するには「立ち退き料」を払ってもいいし、ホワイトスペースの一部を優先的に使う権利を与えてもいい。

 UHF帯ホワイトスペースの価値は、ざっと時価2兆円。これを効率的に配分できれば、民放連の既得権なんか大した問題ではない。これを区画整理して5Gに割り当てれば、日本の通信が世界のトップになる可能性もある。



(私のコメント)

「株式日記」でも、安倍内閣はネットを支持基盤として出来た初めての内閣と何度か書いてきましたが、テレビなどのマスコミがモリカケで1年半にも及ぶ批判キャンペーンをしても倒れないのは支持基盤が異なるからだ。ネットでは安倍内閣支持率が80%もあるというのは大げさだが、ネットとマスコミの対決が続いている。

しかし若者世代はテレビを見なくなりネットで時間を潰している事が多くなってきている。私などもネットで時間を潰すことが多くなり、テレビでもユーチューブを見ていることが多くなった。テレビ番組で下らないものが多くなったからだ。テレビ放送局でもアーカイブはネットで放送している。

だから既に結果は既に出ているのですが、マスコミのモリカケのキャンペーンは最後の悪あがきなのだ。新聞やテレビ局はなくなることはないだろうが、90年代までのような政治を動かしたような力はなくなるだろう。大手新聞社やテレビ局は数は限られているから買収することも可能でしたが、ネットは買収は不可能だ。

新聞社やテレビ放送局はインテリが集まる場所でしたが、電波などの技術的な事がわからないようだ。技術系の社員もいるのでしょうが、トップが文化系なので政治力が大きくて、政治部記者がロビー活動をして政治を動かしてきた。テレビ朝日も美人記者を財務事務次官に割り当ててハニトラしてきた。

日本の政治とマスコミの記者クラブは二人三脚できたようなものですが、マスコミの影響力がなくなってきて、ネットの影響力が増してきて安倍内閣が誕生しましたが、マスコミがネットを今更潰すわけにも行かず、数の力には抗し得ない。マスコミもネットサーフィンしながらネタを探しているような状態であり、それが電波行政にも影響してくる。

私も電波のことはよくわからないのですが、地上波テレビからなぜBS放送に切り替わらないのでしょうか。それには利権が絡んでいるからということは以前に書いたことがありますが、これも池田信夫氏の記事の受け売りだった。池田氏はNHKからネットに移ってきた人だから電波にも詳しい。

技術的にはBS放送の方が合理的であり、難視聴地域も無くなる。雨が降れば映らないこともありますが、高画質化にはBSなら放送機材とチューナーを新しくすれば可能だ。それに対して地上波では高画質化は不可能に近いほど困難であり、4Kや8K放送はBS、CS放送でしかできない。

最近ではマスコミ報道の左傾化が著しくなりましたが、それに対してネットの右傾化で安倍内閣が誕生したようなもので、放送の自由化は時代の流れで止められない。デジタル化で放送局は数倍にもできるはずなのですが、電波はスカスカの状態だ。政治と放送業界がグルになってきたからだ。新聞だって再販法や宅配システムで新規参入ができない。

ネットは新規参入が自由であり、サイト数は数百万もある。数百万もの新聞社やテレビ局があるようなものですが、政治でコントロールすることは不可能だ。やろうとすれな中国のように海外と遮断しなければならない。監視人も数万人も必要になる。




小さな子供たちまでが学校に飽き飽きしている。彼らは学校を占拠したり、
バリケードを築いたりはしない。もっと強力な武器を使う。勉強をしなくなることだ。


2018年5月18日 金曜日

社会を覆う閉塞感は、勉強しない学歴男性と退屈な教育のせい 5月16日 高橋大樹

高等教育は青年期を長びかせるが、仕事につながらない

教育と仕事の関係について、「20世紀の知的巨人」「未来学者」などと呼ばれたピーター・ドラッカーは、過去と現在・未来との間にはすでに大きな変化(=断絶)が起きてしまっていると指摘しました(『断絶の時代』)。

つまり、「勉強は成人前にしかできないもの、仕事は経験によるもの」とみなし勉強と仕事を別世界にわけた過去から、「勉強は経験を積んだ成人後のほうができる科目が多いもの、知識は仕事や生活に応用する基盤」として学校を社会と統合させる時代への変化(=断絶)です。

こう考えると、いままでの高等教育の弊害がみえてきます。まず「青年期の長期化」という問題です。

一八歳ないしは二〇歳まで学校にとどめておくことは、青年期の長期化を意味する。

青年期とは、その本質からして、自らの能力と社会的に要求される行動とが食い違う時期である。

青年期とは責任をもたされることへのおそれと、権力や機会から遠ざけられていることへの不満に満ちた時期である。

前途有望な若者の多くが、大人でもなく子供でもないという青年期なる煉獄に置かれている社会

引き延ばされた青年期は、社会にとっても、本人にとっても健全な状態ではない。

また、「勉強と仕事は別世界」とする考えのために、いくら勉強しても仕事につながらないことも問題でしょう。

教育が、経済的には何の役にも立たない贅沢と見られていたことは、一般高等教育のルーツを見ればわかる。それは労働寿命の延長に応じて延長されてきただけだった。

今日の一般教養科目にしても、教育者の怠慢によって生き残った専門教育のなれの果てにすぎない。一般高等教育の発展は、意図したものではなく成り行きのものだった。

今日では、学校はあらゆる者にとって成長の場とされるにいたった。しかし、もしそうであるならば、文法の教育は生産的でないことはもちろん、適切でもない。

この「仕事は学校を終えた後のこと、仕事は経験だけ」とする教育観に立ち続けるかぎり、仕事の経験量だけでは不利な女性にとっても意欲ある低所得者にとっても、高等教育は状況の改善に貢献しないと思います。

退屈な教育で勉強しなくなり、過酷な仕事で価値観が固定化する

そもそも私たちは学校でちゃんと勉強してきたんでしょうか。いまの大人は子どもの頃に退屈なことを教えられてきた反動で、勉強しない習慣が身についているのかもしれません。

今日学生はいたるところで学校に反旗を翻している。そもそも教室で教えていることが無意味であるとしている。無意味といわれるほど深刻なことはない。

小さな子供たちまでが学校に飽き飽きしている。彼らは学校を占拠したり、バリケードを築いたりはしない。もっと強力な武器を使う。勉強をしなくなる。これが今日の子供たちがしていることである。

落ちこぼれず高学歴を得た人たちは、「退屈に耐えられる」という資質のためにそうなれたという面も大きいと思います。

落ちこぼれは社会の側の失敗である。社会が喜んで仕事を与えてくれる歳まで彼らを学校に引きつけ、とどめておけなかった学校の失敗である。生徒に対する責務という、自らの最大の責務を全うできなかった教師の失敗である。

高給の職に就く男性たちは、「時間のプレッシャーが厳しい仕事」「チームのメンバーとつねに一緒にいなくてはならない仕事」「ほかの人に代わってもらえない仕事」などのために、リフレッシュや学び直しをして固定観念から脱却する機会をもてないのだと思います。

勤務先の「企業の制度や手続き、文化や価値観」もそうさせるんじゃないでしょうか。

社会を覆う閉塞感を打破する方法

社会の閉塞感を打破する方法については、グラットンとドラッカーという新旧の経営思想家のあいだで、ある程度の意見の一致がみられると思います。

「人生100年時代」のグラットンは、「教育→仕事→引退」という古い3ステージの生き方に別れをつげることを提唱しています。思っていたより20年も長く働く可能性の高い時代には、手もちのスキルや人脈だけで活力を維持しつづけるのがほぼ不可能になるからです。

ドラッカーは、学校教育を短縮し、学歴(職歴)偏重をやめ、成人のための継続教育を発展させることを提唱していました。若者にとっては「行政学ではなくアメリカ研究」のような応用科目の方が必要で、哲学や歴史などの一般的な教養科目は経験のある成人の教育としてこそ意味があるといいます。

つまり、とるべき道は「スペシャリストからゼネラリスト」だというのです。

継続教育こそ、真のゼネラリストを生み出す場である。そこにおいてこそ、全体すなわち総体を見、哲学し、意味を問うことができる。

それはナシーム・ニコラス・タレブが「実生活+蔵書」「膨大な蔵書を持つ遊び人」と呼ぶような、読書からの知識も手がかりに生活や仕事をどんどん変えていく、発展させていける人のことを指すのだと思います。

知識とは、その本質からして革新し、追求し、疑問を呈し、変化をもたらすものだ

われわれは、学歴はないが有能で意欲ある者が通れるだけの風穴をあけておく必要がある。

学校教育を短縮し、学歴・職歴偏重をやめ、家庭や仕事での経験のある成人が何度も勉強できる継続教育の環境や機会を充実させることにより、「これまでの閉塞感を打破し、希望の持てる社会」を目指せるんじゃないかと思います。



(私のコメント)

最近では誰も彼もが大学に進学しますが、時と学費の無駄遣いになるだけではないかと思う。60年代の頃は大学進学率は2割程度でしたが、私が大学を出た頃は4割となり、最近では6割近い進学率になっている。しかし大卒者にふさわしい職場はそれほど増えていはいないだろう。

その結果、高学歴のアルバイターやフリーターや引きこもりの若者が増える結果になる。将来的にはAIが高学歴の職場を更に奪っていく結果になるだろう。しかし高学歴化の流れは変わりそうもないが、18歳から22歳までの非常に貴重な年代を、高額な学費を払って無駄な時を過ごしかねない危険性を持っている。

私自身も大学生の頃は、大学が学問の墓場のような様相を見せていましたが、大学生は勉強をしに大学に来てはおらず、テストの時だけ出てきて学友にノートを見せてもらってテストに出るところを教えてもらって答案を書いていた。それ以外の時は皆んなアルバイトをして働いていた。

高校生の時は、みんな大学進学のために必死に勉強していたが、大学進学のための勉強であり、自分に身に付けるための勉強ではなかった。だからテストが終わればみんな忘れてしなうような内容の勉強であり、記憶力のテストに過ぎない。私が微分や積分を習ったところで実社会では何の役にも立たない。

基本的な学習としては、小学校や中学校で習う程度の学習で十分であり、高校からはどのような職業を選ぶかで学習科目を絞っていったほうがいいのではないかと思う。しかし多くの場合、決まっていない生徒が多いから工業高校や商業高校よりも圧倒的に普通科が多くなる。

しかし大学進学率が2割くらいの時は、大学入試がある程度の学力の選別基準になったが、大学全入時代ともなれば大学受験勉強もしなくても大学に入れるので、今の高校生は受験勉強しなくても大学に入れるようになった。さらに早稲田慶応といった大学もAO入試で入れるようになり、今では大学卒業が学力の証明にはならなくなってきている。

いわば大学生のインフレであり、高等教育の弊害のような事が起きている。記事でも、「前途有望な若者の多くが、大人でもなく子供でもないという青年期なる煉獄に置かれている社会」と書かれていますが、大人でもなければ子供でもないといった中途半端な年代が長すぎるようになる。

私自身も感じたことだが、勉強は社会に出てからも続けるべきものであり、私も株式投資で食っていこうと思っていたから社会や経済や科学などの本を読んでいた。パソコンなども早くから株式投資ソフトなどを買って勉強したが、全く役に立たなかった。ネットの株式情報も早くから読みあさったが全く役に立たなかった。

これからは、「教育→仕事→引退」という3ステージに分けるのではなくて、社会に出てサラリーマンなどの仕事をすることもひとつのステージであり、サラリーマンの経験を積んで独立起業してこそ、初めて社会人となれるのではないかと思う。つまりサラリーマンで定年までいた人は卒業できなかった大学生のようなものだ。

独立した起業家にとっては大学卒業の学歴は何の役にも立たない。ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズは大学を出ておらずに起業した。私から見れば大学を出てサラリーマンになっても一人前ではないのであり、独立起業してこそ一人前と言えるのではないだろうか。




国の中央防災会議で、「長期評価」を災害対策に生かすよう求めたにもかかわらず
反映されなかったと証言、対策をとっていれば、原発事故は起きなかった」と結論


2018年5月17日 木曜日

「原発事故はやっぱり防げた」地震学者の決死の法廷証言を聞け 5月15日 町田徹

明らかに人災」と断言

新聞によると、先週水曜日(5月9日)、福島第一原子力発電所事故を巡る業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電の旧経営者3人の第11回公判が東京地裁で開かれ、原子力規制委員会の元委員で地震学者の島崎邦彦・東京大学名誉教授が「福島第1原発事故は防げた」と証言した

あの事故を巡っては、国会が設置した東京電力福島第一発電所事故調査委員会(国会事故調)が「何度も事前に対策 を立てるチャンスがあったことに鑑みれば、今回の事故は『自然災害』ではなくあきらかに『人災』である」として「明らかに(歴代の規制当局及び東電経営陣による)『人災』だ」と断定するなど、東電の原子力事業者としての資質に落第点を付けた例が多い。今回の島崎証言も規制当局や東電の問題を改めて裏付けた格好である。

それにもかかわらず、政府は、地震・津波を巡る甘いリスク管理が祟って経営破綻が避けられなかった東電を経済・資本主義の論理に抗って救済、そのツケを国民に回すばかりか、柏崎刈羽原発の再稼働を後押しして、東電が「原子力事業者として復活する」ことも容認する構えだ。

着々と準備が進む柏崎刈羽原発の再稼働の流れを押しとどめることができるのは、地元・新潟県だけだ。が、その新潟県では、再稼働に慎重だった米山隆一前知事が女性問題で辞任、次の知事を選ぶ選挙は6月10日に行われる。結果次第では東電が原子力事業者として復活する日が大きく近づくだけに、新潟県民でなくてもその選挙の行方に関心を払わざるを得ない。

もう一度、受け止めるべき

福島第一原発事故は、東電が2011年3月11日の東日本大震災の地震と津波の影響で原子炉の冷却に必要な電源をすべて失い、メルトダウン(炉心溶融)や放射性物質の放出を起こした原子力事故だ。1986年に旧ソビエト連邦(現:ウクライナ)で起きたチェルノブイリ原発事故と並び、国際原子力事象評価尺度 (INES)で最悪の「レベル7(深刻な事故)」に分類されている。

事故原因については、すでに2012年7月、国会事故調が公表した報告書で「この事故が『人災』であることは明らかで、歴代及び当時の政府、規制当局、そして事業者である東京電力による、人々の命と社会を守るという責任感の欠如があった」とした。

政府が閣議決定で設置した東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会も、同月の最終報告書で「確立していないものであっても新たな知見を受け入れて津波の想定を見直し、それに対して十分な準備がしてあれば、又は予期せぬ事態の出来に備え十分な準備がしてあれば、今回のような大事故には至らなかった可能性がある」と結論付けた。

また、この事故の損害賠償を求める民事裁判としては、約1万2千人が18都道府県で約30件の集団訴訟を起こしており、2017年3月に最初の判決を下した前橋地裁が「津波の到来を予見でき、事故を防ぐことができた」として東電の賠償責任を認めただけでなく、東電に適切な安全対策を取らせなかった点を違法として、国の賠償責任も認めている。

島崎名誉教授が証言した刑事裁判は、福島県民ら1万人の告訴・告発がきっかけだ。検察は繰り返し不起訴としたが、検察審査会は2015年7月、東京電力が事故の3年前に15.7メートルの津波が押し寄せる可能性があるという試算をまとめていたにもかかわらず、対策を怠った点を問題視、2度目の議決でも「起訴すべき」とした。

この結果、2016年2月、裁判所が選任した5人の指定弁護士が検察官役をして、東電の勝俣恒久元会長、武黒一郎元副社長、武藤栄元副社長3人の強制起訴に踏み切った。

二つの大きな争点

裁判では、@巨大津波の襲来を予測できたか(予見可能性)、A有効な対策は可能だったか(結果回避可能性)――の二点が大きな争点となっていた。

島崎名誉教授は原子力規制委員会の委員長代理を務めた人物だ。あの事故の9年前、地震学者として政府の「地震調査研究推進本部」の部会長を務め、福島県沖を含む三陸沖から房総沖にかけて、30年以内に20%の確率で巨大地震が発生するという「長期評価」を公表しており、5月9日の公判に証人として出廷した。

ちなみに、この長期評価は、あの震災の3年前に15.7メートルの津波が押し寄せる可能性があるという試算を東電自身がまとめることになった原資料だ。

今回の島崎証言のポイントは、被告の元会長ら3人が「『長期評価』には専門家の間で異論があった」として「津波は予測できなかった」と主張していることに対し、「当時、部会の専門家の間で、信頼性を否定するような議論はなかった」と反論したことだ。

さらに、国の中央防災会議で、「長期評価」を災害対策に生かすよう求めたにもかかわらず反映されなかったと証言、当時の国の怠慢ぶりを指摘した。そのうえで「『長期評価』に基づいて、「(国や東電が)対策をとっていれば、原発事故は起きなかった」と結論付けたのだ。

原子力発電は本来極めて危険な技術で、一歩間違えば大惨事を招くことは、福島第1原発事故でも浮き彫りになっている。

また、「長期評価」とそれに端を発する各種の試算の存在や、東電がそれらの試算に基づいて当然講じるべきだった安全対策を怠ってきた問題は、国会事故調や政府事故調の報告書に先立つ2012年6月出版の『東電国有化の罠』と、その後の2014年2月に出した『電力と震災』で、筆者も指摘し続けてきた。今だに東電のガバナンスやリスク対応能力が極めて低いことは、大きな問題だ。

あの震災で福島第一原発より震源に近く、福島第一原発を襲ったものに匹敵する地震と津波に遭遇しながら、ボヤ程度の事故しか起こさず、ピーク時には周辺住民364人の避難所になった原発(東北電力女川原発)の安全対策や事故対応と比べでも、東電の原子力事業者としての劣後は明らかだろう。東電は原子力事業者として失格である。このレベルの会社には、二度と原発を運転させてはならないはずだ。

間接的な表現とはいえ、今回の島崎証言も、その事実を示唆したものと言える。(後略)



(私のコメント)

今日も、お昼過ぎに地震がありましたが、東京にもいずれは100%の確率で大震災がやってくることは分かっている。しかし国や東京都はこれといった対策を打てていない。耐震基準も猫の目のように変わるし、古い建物は大きな地震が来れば倒壊することが分かっていても何もできない。

東京都民もそれは分かっていても自分で震災対策をしている人はわずかしかいない。つまり無いことを祈りながら生活しているわけですが、なぜ十分な震災対策ができないのだろうか。国や東京都のそれだけの権限も予算もないからなのでしょうか。市街化区域は耐震性耐火性のあるコンクリート建物だけに限るとかできないのだろうか。

このような大震災対策に比べれば、原子力発電所の防災対策は限定されており、東京電力なら津波対策もやろうと思えばできるはずだった。非常用発電機を丘の上に移すとか、揚水ポンプ室を完全防水にするとかすれば最悪の事態は防げたはずだ。しかし東京電力は利益最優先にして防災対策を怠った。

十分な対策をしていれば、福島第二原発や女川原発のようになんとか防げたはずだ。大地震が起きれば地震の被害だけではなく、停電や津波の被害が予想されることは誰にでも分かることだ。原発が地震に弱いことは、中部日本海地震でも柏崎原発の周辺施設がやられた。幸い大事故にはならなかったが、福島第一は起きるべき事が起きてしまった。

原発は、一旦大事故が起きれば取り返しがつかなくなることは分かりきった事であり、当然安全対策はなされていると思われていたが、津波が来ることは想定外とされてしまった。原発は繋ぎの発電設備であり、完成された技術ではない。だから原発を作るにしても必要最小限にすべきであり、一ヶ所に何基も作るのは危険が大きくなる。

原発は寿命が来れば解体されなければなりませんが、解体されることを想定して作られてはいないようだ。それとも石棺方式で密封するのだろうか。3月18日には核燃料の保管について述べましたが、10年もすれば放射線も500分の一くらいになる。原発もより小型で安全な原発も開発見通しもあり、使用済みの核燃料も再利用できるかもしれない。

問題の核心は、民間会社が原発を運用していることであり、民間の電力会社では一旦事故が起きれば補償などの手当ができなくなることであり、東電は実質国営会社になってる。ならば最初から国営ですれば安全対策ももっと取れたのではないだろうか。今の段階では民間では無理なのだ。


使用済み核燃料使う次世代原子炉 日立が実用化へ 2014年9月23日 日本経済新聞

日立製作所が使用済み核燃料を燃料に使う資源再利用型沸騰水型軽水炉(RBWR)の実用化に向けて動き出した。使用済み核燃料の有害度は天然ウラン鉱石と同程度まで減衰するのに約10万年かかるとされる。だがRBWRが実用化されれば300年程度まで短縮できるという。原子力発電にとっての課題は使用済み核燃料の処理だ。日立は処分場の面積を約4分の1まで減らすことができるとみており、開発の行方に注目が集まる。

■処分場を4分の1程度まで縮小

 RBWRは使用済み核燃料の中に含まれるプルトニウムなど有害度の高い超ウラン元素(TRU)を燃料に使うのが特徴だ。TRUは使用済み核燃料のうち数%含まれており、使用済み核燃料から取り出したTRUをRBWRに投入する。

 RBWRは炉に投入したTRUを燃焼によって約9%減らすことができる仕組み。通常の原発であるBWR2基に対し、RBWRが1基あればTRUを現状より増やすことなく、BWRを運営できるのだ。

 通常の使用済み核燃料の有害度が高い原因はTRUを含むことによる。TRUを除去できれば、使用済み核燃料が天然ウランと同程度まで減衰する期間を10万年から300年程度まで短縮できる。よって使用済み燃料の処分場を4分の1程度まで縮小できる公算だ。(後略)





最低賃金には理論値があり、しかるべき水準であるべきなのです。しかし、日本では
政府が、理論値をまったく無視し、理論値を大幅に下回る最低賃金を設定しています。


2018年5月16日 水曜日

格差の超簡単な解決策は最低賃金引き上げだ 「適正水準は1300円」とアトキンソン氏 5月16日 デービット・アトキンソン

現在、日本の最低賃金(加重平均)は854円です。この水準の給料の人は、年間2000時間、まじめに働いても、年収はたったの170万円にしかなりません。しかも、この少ない年収から、社会保障費や税金を支払わなくてはいけないのです。

欧州と同じように1人・1時間当たりGDPの約半分と設定するなら、2020年までに日本の最低賃金を1300円にする必要があります。現時点で計算しても、1200円です。理論値まで最低賃金を引き上げていけば、年収は70万円増え、240万円となります。

『低すぎる最低賃金』が日本の諸悪の根源だ」の記事は大変たくさんの人に読んでいただき、250を超えるコメントをいただきました。多くのコメントが私の主張に賛意を表明するものでしたが、中には最低賃金の引き上げに反対のコメントもあってビックリさせられました。

最低賃金の引き上げに反対の人には、額面170万円の年収で、実際に生活してみてほしいと思います。それと同時に、日本の技術力の高さや国民の勤勉性に誇りを持っているのに、同じ日本人にたった時給1200円すら払いたがらない理由を教えていただきたいです。

今、最低賃金、もしくはそれに近い水準の給与をもらっている日本人は、技術力もなければ勤勉でもないというのでしょうか。この層はそれなりのボリュームがあり、理屈上は日本人全体の平均値に大きく影響しますので、日本人全体も勤勉でもなければ、技術力もないという結論を受け入れなければならなくなります。彼らの年収を170万円のまま据え置くべきだという主張をどう正当化するか、非常に興味があります

倒産を理由にした反対は「甘え」だ

以前も紹介しましたが、英国では1999年から20年かけて、最低賃金を当初の2.1倍に引き上げました。この政策が導入される前、エコノミストや企業経営者から大反対の声が上がりました。やれ「倒産が増える」「失業者が増える」と、それはそれは大騒ぎになったものです。

しかし、彼らの心配は杞憂に終わりました。失業率の大幅上昇などの予想された悪影響はいっさい確認されなかったのです。

その理由は、低所得者の場合、所得が少ないので欲しいものや本来必要なものも買わずに我慢しながら生活しており、収入が増えるとその大部分を消費に回すので、経済にプラスの効果が表れやすいためだと言われています。

同じ現象は日本でも起こることが予想できます。今、年収170万円で生活している人は、いろいろな面で非常に切り詰めた生活を強いられています。最低賃金を引き上げ、彼らがもう70万円手にできるようになれば、これまで我慢していたものを買うようになり、消費が活発化することでしょう。

先に紹介した英国の例と同様に、日本でも最低賃金の引き上げには、中小企業の経営者から反対の声があがることでしょう。しかし、私に言わせれば、年収170万円の労働者をこきつかえないとやっていけないような会社には、そもそも存続する意味がありません

こういう会社に貴重な労働力を浪費させるのは、これから急速に生産年齢人口が減少する日本にとってはマイナスでしかありません。もっと高い年収の払える、生産性の高い会社に移ってもらうべきなのです。

「おカネじゃない」という妄想

日本では「サービス料を払ってもらえない」「お客に価格転嫁ができない」などを理由に、 最低賃金の引き上げができないという経営者の声を聞くことがあります。また、「日本人はおカネばかりを目的に働いているわけではない」「だから賃金を上げる必要はない」とうそぶく経営者までいます。私に言わせれば、まったくのナ・ン・セ・ン・スです。

最低賃金には理論値があり、しかるべき水準であるべきなのです。しかし、日本では政府が(理論値の存在を知ってか知らずか)、理論値をまったく無視し、理論値を大幅に下回る最低賃金を設定しています。その結果として、国民が理論的にもらうべき水準の給料がもらえていないのです。

「デフレによって価格が下がって、何が悪い」「見返りを求めないおもてなしこそ日本独特な文化で、すばらしい」などと言う人がいます。これはただの妄想です。

実際には、国はインフラの整備・維持、年金・医療費などの社保障の負担を負わなくてはいけません。見返りを求めない、最低賃金が低い、価格転嫁できないなどの理由で国民の所得が増えなければ、払うべき税金を納められない状態が続くだけです。その結果、国の借金としてその分が蓄積されていきます

「日本には、おカネ以外に見えない価値がある」「日本型資本主義だから」と非現実的なことを言う人がいまだにいます。しかし、他の先進国並みにインフラや社会保障制度が整備されている日本では、これらの「見えない価値」はただ単に、国の借金という「見える形」で積み増されていくだけです。非現実的な「日本型資本主義」のコストは、国の借金という形できちんと勘定されています。日本人の甘え・妄想・非現実性が、国債という形でそのまま積み上がっているのです。

経済合理性を否定する「論者」が多いこの国では、この事実が理解されていないのです。



(私のコメント)

最近はコンビニや飲食店チェーンなどでアジア系外国人を多く見かけるようになりましたが、本来ならば人手不足になれば賃金を引き上げて従業員を確保するののが正常な姿でしょう。ところが最低賃金が低く抑えられているので、外国人を使うしか方法がなくなってきている。

日本の最低賃金は854円だそうですが、理論的な最低賃金は1200円だそうです。これだと170万円から240万円に上がるから、なんとかやっていける水準になります。若年労働者が不足しているのに賃金が上がらないのは、アジア系労働者が大量に低賃金労働者が入って来ている為であり、最低賃金が1200円に上がれば人手不足は解消されるはずだ。

明らかに東京などのコンビニや飲食店チェーンは多すぎるのであり、過当競争になっています。失業率も最低水準になり賃金が上がるのが普通の現象なのですが、経営サイドでは外国人労働者で穴埋めをしている。その為に日本人の若者が巻き添えを食らってしまって低賃金で働く人が多くなっている。

だから最低賃金を1200円に上げれば外国人労働者を受け入れなくても労働者の確保が可能だろう。それでも足りないのならば外国人労働者を受け入れればいい。コンビニや飲食店チェーンは国内産業だから国際競争にさらされていない。だから円高でもどこ吹く風で、低賃金で若年労働者を使って儲けてきた。

私に住んでいるところを見ても、コンビニと飲食店チェーンだらけであり、明らかに過当競争でおかしいと思う。むしろ店舗を減らして一店舗あたりに売上を増やすべきですが、過当競争社会ではそれができない。ならば最低賃金を上げて採算に合わない店舗を減らすべきなのだ。

このようなことは自然調節がなされるのですが、最低賃金を抑えておけば採算の成り立たないところでも営業を続けることができる。就職氷河期では倒産を出さないことが雇用対策になりましたが、人手不足になればこのような雇用確保政策はしなくていい。そうすれば最低賃金は上がっていくはずだ。

最近の外国人労働者で多くなってきたのは、中国系から東南アジア系の労働者であり、見た目で外国人であることがよくわかる人が多くなった。中国では日本よりも賃金が良い職業も増えてきて、円安の影響もあって中国系の労働者は減ってきている。

人手不足なのに賃金が上がらないのは、企業内で余っている中高年労働者の首を切れないから若年労働者にしわ寄せが来ていることも影響があるだろう。ならば中高年労働者がコンビニや飲食店チェーンで働けばと思うのですが、そのような自然調節機能が日本では働かない。

日本企業は何が何でも年功序列雇用体制を維持するつもりのようだ。しかしそれでは雇用の流動化は起きず時代の変化に適応ができない日本企業が多くなる。能力給で即戦力を採用して、いらなくなった労働者はクビに出来る方が時代の変化に対応がしやすくなる。

そうなれば、労働者も年功序列にあぐらをかいていてはいられなくなるだろう。企業内でもIT化やAI化に抵抗する風土があって、中高年労働者はパソコンも満足に扱えないといった事もできなくなるだろう。



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